いい波があれば、すぐに海外に出かけてしまう高相祐一に対し、酒井法子は結婚を意識していなかったが、妊娠。
「あのね、赤ちゃんができたの」
というと高相祐一は思いっきり喜び
「結婚しよう」
2人で手を取り合って喜んだものの、翌日から酒井法子は悩んだ。
結婚するとなれば公表しなければならないが、世間からみれば物事の順番が違い、清純派としては仕事にどんな影響が出るかわからない。
なかなか決心できないでいたが、友人に、
「1つの命を絶って、その後の人生を生きるのか、この命を産んで育てる人生を選ぶか。
どっちがいいの?」
といわれ、迷いが消えた。
まずお母さんの家へいき、そこで初めてつき合っていることと妊娠したことを同時に報告。
お母さんは、高相祐一を玄関から上げず、酒井法子を激しく叱った。
それから3日間、酒井法子はお母さんの家に通ってケンカを続けた。
その間、高相祐一は車の中で待っていたが、3日目の夜中、ようやく家に上げてもらって挨拶をした。
頭を下げて結婚の許しを求め、お母さんは渋々承諾。
サンミュージックも結婚に反対し、
「酒井法子と生まれてくる子供のために」
と受け入れるのに1ヵ月間かかった。
それから仕事の調整に入り、ミュージカルやコンサートが中止になり、酒井法子は、高相祐一の両親にも挨拶を済ませ、1年の最後の仕事を終えた翌日、1998年12月28日に2人で婚姻届けを提出。
その足で記者会見に臨み、入籍したことと妊娠していることを報告。
野島伸司と別れて1年後のサーファーとのできちゃった婚に世間は驚いた。
酒井法子は、しばらく仕事を続け、お腹が膨らんでくると産休に入り、1999年4月、ハワイへ移動し、5月に結婚式を行い、7月17日、男の子を出産した。
「あのね、赤ちゃんができたの」
というと高相祐一は思いっきり喜び
「結婚しよう」
2人で手を取り合って喜んだものの、翌日から酒井法子は悩んだ。
結婚するとなれば公表しなければならないが、世間からみれば物事の順番が違い、清純派としては仕事にどんな影響が出るかわからない。
なかなか決心できないでいたが、友人に、
「1つの命を絶って、その後の人生を生きるのか、この命を産んで育てる人生を選ぶか。
どっちがいいの?」
といわれ、迷いが消えた。
まずお母さんの家へいき、そこで初めてつき合っていることと妊娠したことを同時に報告。
お母さんは、高相祐一を玄関から上げず、酒井法子を激しく叱った。
それから3日間、酒井法子はお母さんの家に通ってケンカを続けた。
その間、高相祐一は車の中で待っていたが、3日目の夜中、ようやく家に上げてもらって挨拶をした。
頭を下げて結婚の許しを求め、お母さんは渋々承諾。
サンミュージックも結婚に反対し、
「酒井法子と生まれてくる子供のために」
と受け入れるのに1ヵ月間かかった。
それから仕事の調整に入り、ミュージカルやコンサートが中止になり、酒井法子は、高相祐一の両親にも挨拶を済ませ、1年の最後の仕事を終えた翌日、1998年12月28日に2人で婚姻届けを提出。
その足で記者会見に臨み、入籍したことと妊娠していることを報告。
野島伸司と別れて1年後のサーファーとのできちゃった婚に世間は驚いた。
酒井法子は、しばらく仕事を続け、お腹が膨らんでくると産休に入り、1999年4月、ハワイへ移動し、5月に結婚式を行い、7月17日、男の子を出産した。
via pixabay.com
1999年秋、ハワイから帰国した酒井法子は、2000年から仕事に復帰。
子供を自分のお母さんや夫の両親に預けながら、CMやドラマに出演し、CDをリリースし、日本と香港でコンサート。
2001年、復帰2年目は仕事の量をセーブし、家族3人、夏は誰も知らないような小さな砂浜に通い、冬は山で雪と戯れ、長い休暇が取れると旅行に出かけた。
ドラマで母親役が増え、子育ても仕事を頑張っているママとしての仕事が多くなった。
公的なイベントへの起用も多く、最高裁判所が制作した裁判員制度のPR映画にも出演。
国民的女優になりつつあった酒井法子は、結婚記念に左手小指に高相祐一とお揃いのタトゥーを入れていたが、仕事のときはファンデーションや指輪で隠し、プライベートと仕事で異なる面を持つことにかっこよさを感じた。
2003年、自分と同じヤングミセスをターゲットにしたファッションブランド「PP rikorino(ピーピーリコリノ)」が全国約100店の商業施設と中国や台湾でも販売を開始。
3歳まで自宅で育った息子が幼稚園に入園し、酒井法子は、初めてママ友ができた。
そんなある日、世田谷のマンションの居間の戸を開けると、隠れるように何かをしている高相祐一がいて、
「何やってるの?」
と聞くと
「気持ちがスッキリするものだよ。
やってみる?」
高相祐一がガラスパイプの中に入った白い結晶をライターであぶると白い煙が出て、酒井法子は、いわれるがままにタバコを吸うようにスッと吸い込んだ。
これが人生の分かれ道となった。
「わたしが偶然見つけ、居心地の悪い夫が勧めてきた。
あのとき拒絶できていれば本当に良かった。
あんな場面、見つけなければよかったし、勧めてほしくなかったし、勧められても断固拒否するべきだった。
本当にそう思う。
なぜやめてといえなかったのだろう。
なぜ拒絶できなかったのだろう。
ずっと後悔している。
それでも勧められて吸ってみようと決めて実際に煙を吸ったのはわたし。
その事実は変わらない。
不安もあったけど好奇心もあったし、1度くらいという気持ちもあった。
2人だけの秘密だから大丈夫。
そう安易に思っていた。
悪いのは吸うと決めたわたし自身。
その事実は揺るがない」
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子供が小学校に入学する前に青山のマンションへ引っ越し。
息子が地元の小学校に通い出すと酒井法子は、PTAの役員に立候補。
運動会などの学校行事だけでなく、息子の友達の誕生日会を開くなど夢中で頑張った。
一方、夫婦仲は悪化。
次第に衝突することが増え、
「距離を置こう」
ということになり、平日、高相祐一が房総半島の別荘で過ごし、週末だけ東京か千葉で家族で合流した。
酒井法子は別荘に行くと掃除などをしたが、高相祐一の浮気を疑って携帯をチェック。
あるとき女性の痕跡があったため、問い詰めると
「お茶をしただけ」
といわれ、さらに激怒。
別居してもケンカと仲直りを繰り返した。
「わたしたちはまったく異なる背景を持った人間同士が結婚した。
お互い知らないことや触ったことのないものをたくさん持っていて、それが魅力的で楽しく、カップルとして成り立つ原動力になった。
でも夫婦や家族の生活を維持するのは、それだけでは成り立たないことがいっぱいあった」
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2008年3月12日、ライブにゲスト出演した酒井法子の足首に太陽と梵字のタトゥーがあり、清純派のイメージとかけ離れていたため、わざわざスポーツ新聞に報じられた。
2008年6月、酒井法子が別れ話を切り出したとき、高相祐一は
「これでスッキリするから」
といって薬物を差し出し、酒井法子は半ばヤケになって手を伸ばし、人生2度目、3年ぶりの使用。
以後、1年以上の間、月1、2回のペースで使うようになった。
誰から買ってくるのか聞くこともなく、知ることもなかったが、仕事や家事で疲れていると高相祐一がアルミホイルに乗せたりガラスパイプに入れてセットしてくれた。
高相祐一は、酒井法子が使い過ぎたり、使い方を間違えないようにないように注意した。
「何か頑張ったご褒美に、ちょっとやっちゃおうと息抜きのように使うこともあった。
使い終わったカスを取っておいて夫がいないときに使うこともあった。
薬物を吸引するとドップリとたまっていた疲れが消えていくような錯覚に陥る。
目が冴えて物事に集中できる。
そんな風に感じてた。
いろんな悩みがスッと消えて1つのことに夢中でのめりこむことができる。
ロボットのように機械的で何時間でも動ける人間になれた。
どれだけ行動力が上がったかで薬物に価値を見出せると思い込んでいた。
わたしの場合は夢中で家事をやった。
さっきまでくたびれていたのがウソのように体が動いた。
貯めこんでいた洗濯物を一気に洗って片づけられ、散らかっていた部屋の掃除を集中して何時間でも続けることができた。
夫は気に入っている音楽に聴き入り、本や写真集を夢中になって読み漁った。
夫婦は互いに干渉しなくなり、それぞれの世界に没頭した。
でも実際は、いいことなんて何もなかった。
一晩中起きていられるから限られている時間が増えたような気になるけど、ずっと起きてるだけ疲れもしっかり蓄積されていく。
薬物を吸引した日は徹夜できても次の日は思い切りダルくなっている。
眠たくなって寝てしまい、グッタリとした日が4日も5日も続くことになる」
息子には絶対に知られないように気をつけたが、寝坊して朝食がつくれなかったり、学校に遅刻させたりしてしまうこともあった。
そして悪かった夫婦仲は、さらに悪化した。
2人で何度も
「もうやめよう」
といい合い、薬物をトイレに流したこともあったが、やめることはできなかった。
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2009年2月、酒井法子が薬物が蔓延しているクラブに出入りしているという情報をキャッチした週刊誌が、サンミュージックに問い合わせ。
マネージャーに
「まさかとは思うけど・・・・」
と薬物使用について聞かれた酒井法子は、
「子供がいるんだからそんなことするはずないでしょ」
5ヵ月後の2009年7月、家族旅行で奄美大島へ。
日本では46年ぶりの皆既日食をみるのをメインに、ホテルやテントを泊まり歩き、ビーチで日食を眺めて海へ潜り、10日間ほど滞在。
旅行の最終日である2009年7月30日、午前中、家族3人でホテル近くの海に出かけ、夫はサーフィン、酒井法子と息子はシュノーケリングを楽しんだ。
昼にホテルに戻ると夫が息子に気づかれないように指と目でバスルームの方を指し、
「置いてあるから吸っていいよ」
といってから息子と一緒に大浴場へ。
酒井法子がバスルームに入ると化粧ポーチで隠すようにアルミホイルに包まれたガラスパイプが置いてあった。
中に白い結晶が残っていて、一部が溶けていたので夫の吸い残りだとわかった。
酒井法子はガラスパイプの下からライターの火であぶって、挿し口から出てくる煙を体内に入れた。
そして元の場所に戻して、1人で大衆浴場へ。
戻ってきたとき、ガラスパイプはバスルームからなくなっていた。
それから荷物をまとめて、チェックアウトした。
マネージャーに
「まさかとは思うけど・・・・」
と薬物使用について聞かれた酒井法子は、
「子供がいるんだからそんなことするはずないでしょ」
5ヵ月後の2009年7月、家族旅行で奄美大島へ。
日本では46年ぶりの皆既日食をみるのをメインに、ホテルやテントを泊まり歩き、ビーチで日食を眺めて海へ潜り、10日間ほど滞在。
旅行の最終日である2009年7月30日、午前中、家族3人でホテル近くの海に出かけ、夫はサーフィン、酒井法子と息子はシュノーケリングを楽しんだ。
昼にホテルに戻ると夫が息子に気づかれないように指と目でバスルームの方を指し、
「置いてあるから吸っていいよ」
といってから息子と一緒に大浴場へ。
酒井法子がバスルームに入ると化粧ポーチで隠すようにアルミホイルに包まれたガラスパイプが置いてあった。
中に白い結晶が残っていて、一部が溶けていたので夫の吸い残りだとわかった。
酒井法子はガラスパイプの下からライターの火であぶって、挿し口から出てくる煙を体内に入れた。
そして元の場所に戻して、1人で大衆浴場へ。
戻ってきたとき、ガラスパイプはバスルームからなくなっていた。
それから荷物をまとめて、チェックアウトした。
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3日後の2009年8月2日、息子が夏休みのキャンプから帰ってきたが、渋滞で学校への迎えが遅れた酒井法子は、同じ小学校のママ友に息子を預かってもらい、1度自宅に帰り、高相祐一に
「今日は少し遅くなる」
といって外出。
21時、ママ友の家の到着。
23時過ぎ、ママ友とシャンパンを飲んでいると高相祐一から着信が入り、切迫した声で
「今、警察の職務質問を受けている。
なかなかお巡りさんが帰してくれない。
どうしよう」
といわれ、酒井法子はママ友に聞かれないように、
「ちょっと出てくるね」
といって外へ。
改めて事情を聞くと
「渋谷で職務質問を受けてるんだけど、なかなか帰してもらえないんだ。
法子に来てもらいたいんだけど」
酒井法子は、
(渋谷までそう遠くない。
すぐに行かなくちゃ)
ととっさに動き出し、ママ友には何もいわずにタクシーを拾った。
「まさか戻ってこれなくなるなんて夢にも思わなかった。
まして自分の体内に残る薬物のことなど頭をよぎることもなかった」
「今日は少し遅くなる」
といって外出。
21時、ママ友の家の到着。
23時過ぎ、ママ友とシャンパンを飲んでいると高相祐一から着信が入り、切迫した声で
「今、警察の職務質問を受けている。
なかなかお巡りさんが帰してくれない。
どうしよう」
といわれ、酒井法子はママ友に聞かれないように、
「ちょっと出てくるね」
といって外へ。
改めて事情を聞くと
「渋谷で職務質問を受けてるんだけど、なかなか帰してもらえないんだ。
法子に来てもらいたいんだけど」
酒井法子は、
(渋谷までそう遠くない。
すぐに行かなくちゃ)
ととっさに動き出し、ママ友には何もいわずにタクシーを拾った。
「まさか戻ってこれなくなるなんて夢にも思わなかった。
まして自分の体内に残る薬物のことなど頭をよぎることもなかった」
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「大事にならならないように収めないと・・・」
渋谷駅近くの繁華街でタクシーを降り、そこから何度も高相祐一に電話をかけて居場所を聞き直し、初めていくような路地裏で目印を探しながら近づいていった。
途中、高相祐一は
「建設会社の会長に連絡を取ろう」
といった。
それはお母さん母が数十年間、世話になっている人で高相祐一も何度か会ったことがあり、会長の兄は、元弁護士で70歳を過ぎた会長も法律に詳しかった。
酒井法子は
(確かにあの人の助けが必要かもしれない)
と思った。
しかしこのとき酒井法子が持っていた携帯電話は、息子のものだった。
自分の携帯電話は2ヵ月ほど前に液晶が壊れて文字が読めなくなったので、息子の携帯に自分の携帯のチップを差し込んで使っていた。
しかし慣れないせいで誤操作により、アドレス帳をすべて消去してしまい、入っているのは家族と数人の電話番号だけ。
会長の連絡先を知るため、酒井法子はお母さんに電話。
深夜の電話に心配するお母さんに、
「後でちゃんと説明するから、とにかく教えて」
といって教えてもらい、
「今夜は遅いからかけるのは明日にしてね」
といわれたが、すぐに教えてもらった電話番号にかけた。
会長の携帯は、1度目は留守番電話になったが、2度目につながり、事情を説明された会長は、
「まず落ち着くように」
といい、深夜にも関わらず、
「すぐに渋谷までいく」
といった。
渋谷駅近くの繁華街でタクシーを降り、そこから何度も高相祐一に電話をかけて居場所を聞き直し、初めていくような路地裏で目印を探しながら近づいていった。
途中、高相祐一は
「建設会社の会長に連絡を取ろう」
といった。
それはお母さん母が数十年間、世話になっている人で高相祐一も何度か会ったことがあり、会長の兄は、元弁護士で70歳を過ぎた会長も法律に詳しかった。
酒井法子は
(確かにあの人の助けが必要かもしれない)
と思った。
しかしこのとき酒井法子が持っていた携帯電話は、息子のものだった。
自分の携帯電話は2ヵ月ほど前に液晶が壊れて文字が読めなくなったので、息子の携帯に自分の携帯のチップを差し込んで使っていた。
しかし慣れないせいで誤操作により、アドレス帳をすべて消去してしまい、入っているのは家族と数人の電話番号だけ。
会長の連絡先を知るため、酒井法子はお母さんに電話。
深夜の電話に心配するお母さんに、
「後でちゃんと説明するから、とにかく教えて」
といって教えてもらい、
「今夜は遅いからかけるのは明日にしてね」
といわれたが、すぐに教えてもらった電話番号にかけた。
会長の携帯は、1度目は留守番電話になったが、2度目につながり、事情を説明された会長は、
「まず落ち着くように」
といい、深夜にも関わらず、
「すぐに渋谷までいく」
といった。
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夫が職務質問を受けている現場に着くと制服姿の警察官が取り囲まれた高相祐一がいて、ズボンの中にある巾着袋をみせるように求められて、
「なんでそこまでみせないといけないんですか」
「下半身の薬が入っているから恥ずかしい」
などといって拒んでいた。
そして酒井法子が近づくと顔を寄せてきて警察に聞こえないように
「ごめんね」
といった。
その瞬間、酒井法子の中に恐怖が走った。
(覚せい剤を持っているの?!)
(ここで夫が逮捕されるようなことがあれば、私の人生にとって、そして息子にとっても、どれだけ大きな影響をもたらしかねない)
そして
(何とか防がなければならない!)
(何とか連れて帰らないと!)
と思い、警察官に冷静を装って
「私がちゃんと身柄を預かりますから、今日は帰していただけませんか?」
と訴えながら、心の中では
(この場をしのげるならもう2度と薬物はしないから、お願い)
と必死に願ったが、当然、警察は見逃してくれない。
「なんでそこまでみせないといけないんですか」
「下半身の薬が入っているから恥ずかしい」
などといって拒んでいた。
そして酒井法子が近づくと顔を寄せてきて警察に聞こえないように
「ごめんね」
といった。
その瞬間、酒井法子の中に恐怖が走った。
(覚せい剤を持っているの?!)
(ここで夫が逮捕されるようなことがあれば、私の人生にとって、そして息子にとっても、どれだけ大きな影響をもたらしかねない)
そして
(何とか防がなければならない!)
(何とか連れて帰らないと!)
と思い、警察官に冷静を装って
「私がちゃんと身柄を預かりますから、今日は帰していただけませんか?」
と訴えながら、心の中では
(この場をしのげるならもう2度と薬物はしないから、お願い)
と必死に願ったが、当然、警察は見逃してくれない。
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酒井法子が現場についてから数十分後、会長が運転手つきの車で到着。
会長は、完全に冷静さを失っている酒井法子を周囲の視線から隠すように車の中へ。
会長は外に出ていった後、酒井法子は車中で祈っていたが、やがて戻ってきた会長は飄々といった。
「彼は覚醒剤を持っていて捕まっちゃったよ」
(やっぱり持ってたんだ!
あれだけ薬物の取り扱いには慎重にしようといってたのに)
酒井法子は、深刻な事態に、これからどうなるのか、どうしたらいいのか、体の中が不安だらけになり、真っ先に息子の顔が思い浮かび、続いて仕事のことを考えた。
色々な思いが頭の中に浮かぶが整理はまったくできず、恐怖と不安でパニック状態。
警察官に署に立ち寄るよういわれ、会長の車は渋谷警察の向かって走り出した。
車の中で会長に
「まさか君もやってないだろうね?」
と聞かれたが、酒井法子はとても本当のことはいえず、代わりに
「子供を友達に預けてるから迎えにいってもいいでしょうか」
会長は連絡先を書いたメモを渡し、後で携帯に電話するようにいった。
酒井法子は、109近くの路上で降ろしてもらい、タクシーを拾った。
息子の携帯は居場所を知られないよう電源を切り、まず息子を迎えに行くことも考えたが、迷った末に自宅マンションに向かった。
青山のマンションについたとき、すでに日付は変わっていた。
2009年8月3日午前1時過ぎ、自宅の部屋に入った酒井法子は、ただただこの現実から逃れたい一心で目に入った手提げかばんに衣類を押し込み、
「いつ騒ぎになるかわからない」
という刃を突きつけられるような切迫感に苦しみながら、20分もいられずに、カバンをつかんで部屋を出て、すぐにエレベーターの乗って外へ。
「今思えば、まず息子に会いに行くべきだった。
何が起きたのかきちんと説明して、それから警察に出頭するべきだった。
大人としては母親として社会人として、そう行動するべきだった。
でもできなかった。
そのことをずっと悔やんでいる」
会長は、完全に冷静さを失っている酒井法子を周囲の視線から隠すように車の中へ。
会長は外に出ていった後、酒井法子は車中で祈っていたが、やがて戻ってきた会長は飄々といった。
「彼は覚醒剤を持っていて捕まっちゃったよ」
(やっぱり持ってたんだ!
あれだけ薬物の取り扱いには慎重にしようといってたのに)
酒井法子は、深刻な事態に、これからどうなるのか、どうしたらいいのか、体の中が不安だらけになり、真っ先に息子の顔が思い浮かび、続いて仕事のことを考えた。
色々な思いが頭の中に浮かぶが整理はまったくできず、恐怖と不安でパニック状態。
警察官に署に立ち寄るよういわれ、会長の車は渋谷警察の向かって走り出した。
車の中で会長に
「まさか君もやってないだろうね?」
と聞かれたが、酒井法子はとても本当のことはいえず、代わりに
「子供を友達に預けてるから迎えにいってもいいでしょうか」
会長は連絡先を書いたメモを渡し、後で携帯に電話するようにいった。
酒井法子は、109近くの路上で降ろしてもらい、タクシーを拾った。
息子の携帯は居場所を知られないよう電源を切り、まず息子を迎えに行くことも考えたが、迷った末に自宅マンションに向かった。
青山のマンションについたとき、すでに日付は変わっていた。
2009年8月3日午前1時過ぎ、自宅の部屋に入った酒井法子は、ただただこの現実から逃れたい一心で目に入った手提げかばんに衣類を押し込み、
「いつ騒ぎになるかわからない」
という刃を突きつけられるような切迫感に苦しみながら、20分もいられずに、カバンをつかんで部屋を出て、すぐにエレベーターの乗って外へ。
「今思えば、まず息子に会いに行くべきだった。
何が起きたのかきちんと説明して、それから警察に出頭するべきだった。
大人としては母親として社会人として、そう行動するべきだった。
でもできなかった。
そのことをずっと悔やんでいる」
via pixabay.com
マンションの近くでタクシーを拾うと、最初は東京駅へ向かったが、途中、息子の顔が浮かび、息子のいる渋谷方面へ行き先を変更。
その途中で
「もう寝ているだろうし、こんな遅い時間に友人の家を訪ねるのは迷惑だな」
と考え、
「落ち着いた場所で、これからのことを考えないと」
とホテルを見つけやすい新宿に向かった。
歌舞伎町近くでタクシーを降り、大通りの交差点近くのホテルが目に入り、フロントで1万円を払ってチェックイン。
部屋に入ると会長に連絡しようとしたが、部屋の電話は内線専用。
息子の携帯電話の電源を入れるのはこわいので、
「公衆電話を見つけるか、新しい携帯を買おう」
と荷物を持って外へ。
息子の携帯は、チップを抜き出した後、2つに折ってコンビニのゴミ箱に捨てた。
フラフラ歩いているとドン・キホーテを発見。
しかし店員に聞いてみると電話会社の都合で深夜は携帯電話は買えないという。
ドン・キホーテにあったATMから10万円を引き出し、衣類や飲み物を買い、店を出てと公衆電話を探したが見つからず、新宿でタクシーを拾って、四谷のサンミュージックの近くで降車。
救いを求めたいが、どうやって説明したらいいかわからないし、マネージャーや事務所の電話番号どころか、携帯すらない。
当てもなくさまよっていると事務所の近くの公園で公衆電話を発見。
急いで会長の携帯に電話をかけると
「外をフラフラしてたら目立っちゃうよ。
あまり外を歩くのはよくないな。
ホテルとか、どこか落ち着いた場所に入った方がいい」
といわれた。
そして息子と一緒に東京を離れようということになった。
新宿のホテルを出て、すでに数時間経っており、辺りは明るくなっていた。
「月曜日の早朝、もうじきサラリーマンが歩き始める時間。
新しい1日が始まろうとしていた」
その途中で
「もう寝ているだろうし、こんな遅い時間に友人の家を訪ねるのは迷惑だな」
と考え、
「落ち着いた場所で、これからのことを考えないと」
とホテルを見つけやすい新宿に向かった。
歌舞伎町近くでタクシーを降り、大通りの交差点近くのホテルが目に入り、フロントで1万円を払ってチェックイン。
部屋に入ると会長に連絡しようとしたが、部屋の電話は内線専用。
息子の携帯電話の電源を入れるのはこわいので、
「公衆電話を見つけるか、新しい携帯を買おう」
と荷物を持って外へ。
息子の携帯は、チップを抜き出した後、2つに折ってコンビニのゴミ箱に捨てた。
フラフラ歩いているとドン・キホーテを発見。
しかし店員に聞いてみると電話会社の都合で深夜は携帯電話は買えないという。
ドン・キホーテにあったATMから10万円を引き出し、衣類や飲み物を買い、店を出てと公衆電話を探したが見つからず、新宿でタクシーを拾って、四谷のサンミュージックの近くで降車。
救いを求めたいが、どうやって説明したらいいかわからないし、マネージャーや事務所の電話番号どころか、携帯すらない。
当てもなくさまよっていると事務所の近くの公園で公衆電話を発見。
急いで会長の携帯に電話をかけると
「外をフラフラしてたら目立っちゃうよ。
あまり外を歩くのはよくないな。
ホテルとか、どこか落ち着いた場所に入った方がいい」
といわれた。
そして息子と一緒に東京を離れようということになった。
新宿のホテルを出て、すでに数時間経っており、辺りは明るくなっていた。
「月曜日の早朝、もうじきサラリーマンが歩き始める時間。
新しい1日が始まろうとしていた」
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