車は再びバイクを引き連れて走り出し、保釈後の記者会見を終えた酒井法子は、都内の病院に入院。
メンタルヘルス科の担当医に会った後、個室に案内されると、そこに息子が1人で待っていた。
「ママ!」
1ヵ月半ぶりに再会した2人は抱き合った。
「ママ、もう悪いことしちゃだめだよ」
「ごめんね」
「もういいよ」
その後、病室で一緒に食事し、テレビはつけずに子供向け映画のDVDを観て、1人用ベッドで一緒に寝た。
翌日から検査とカウンセリングで精神状態や薬物の依存度などが調べられ、看護師が1時間おきに病室にやって状態を確認された。
病院は病室がバレないように配慮していたが、酒井法子も1歩も出なかった。
テレビをつけると記者会見の映像が流れるため、数日間しか観ることができず、その後は消したまま。
知っている人だけでなく知らない人からも手紙や花が届き、ママ友やサンミュージックのスタッフがやってきて
「無事でよかった」
といわれた。
via pixabay.com
酒井法子は、2週間で退院。
マスコミを避けるため、しばらく知人の親せきの家に身を寄せた。
10月21日に高相祐一の初公判が開かれた。
酒井法子の裁判の打ち合わせのため弁護士が知人の親せきの家にやってきて、
「これから先のことをどう考えているか、裁判で必ず問われることになる」
といわれ、酒井法子は離婚について真剣に考えるようになった。
10月25日、知人の親せき宅から東京のホテルに移動。
10月26日、東京地方裁判所に向かった。
車は報道陣に取り囲まれ、オウム真理教の麻原彰晃の裁判と同じくらいに注目されていた。
酒井法子は弁護士と2人で控室で待った後、法廷へ。
裁判官、検察官、弁護人に挟まれるように立ち、罪状を読み聞かされた。
薬物を使った経緯や理由、現在の心境について説明し
「離婚して介護の勉強を始めたい」
サンミュージックの横澤正久副社長が情状証人として証言台に立ち
「異変に気づけなかったのは自分の落ち度」
お母さんは、ガンの手術を受けた後だったために来れなかったが
「親の監督不行き届き」
という内容に誓約書を提出。
裁判が終わると酒井法子は、マスコミを引き連れながら、東京、青山のマンションへ。
湾岸署の拘置所から出るときに髪と顔を整えてくれたヘアメイクスタッフがご飯を用意して待っていて、2人で食事。
酒井法子は、お母さんに電話し
「お疲れさま」
といわれた。
酒井法子にとって3ヵ月ぶりの自宅マンションだったが、周りをおびただしい数のマスコミに囲まれ、1日何度もインターホンを鳴らされ、1歩も外に出られず、人に頼んで食料を差し入れてもらいながら1人で過ごした。
マスコミを避けるため、しばらく知人の親せきの家に身を寄せた。
10月21日に高相祐一の初公判が開かれた。
酒井法子の裁判の打ち合わせのため弁護士が知人の親せきの家にやってきて、
「これから先のことをどう考えているか、裁判で必ず問われることになる」
といわれ、酒井法子は離婚について真剣に考えるようになった。
10月25日、知人の親せき宅から東京のホテルに移動。
10月26日、東京地方裁判所に向かった。
車は報道陣に取り囲まれ、オウム真理教の麻原彰晃の裁判と同じくらいに注目されていた。
酒井法子は弁護士と2人で控室で待った後、法廷へ。
裁判官、検察官、弁護人に挟まれるように立ち、罪状を読み聞かされた。
薬物を使った経緯や理由、現在の心境について説明し
「離婚して介護の勉強を始めたい」
サンミュージックの横澤正久副社長が情状証人として証言台に立ち
「異変に気づけなかったのは自分の落ち度」
お母さんは、ガンの手術を受けた後だったために来れなかったが
「親の監督不行き届き」
という内容に誓約書を提出。
裁判が終わると酒井法子は、マスコミを引き連れながら、東京、青山のマンションへ。
湾岸署の拘置所から出るときに髪と顔を整えてくれたヘアメイクスタッフがご飯を用意して待っていて、2人で食事。
酒井法子は、お母さんに電話し
「お疲れさま」
といわれた。
酒井法子にとって3ヵ月ぶりの自宅マンションだったが、周りをおびただしい数のマスコミに囲まれ、1日何度もインターホンを鳴らされ、1歩も外に出られず、人に頼んで食料を差し入れてもらいながら1人で過ごした。
via pixabay.com
自宅マンションに帰って2週間後、再び東京地方裁判所に行き、懲役1年6ヵ月執行猶予3年の有罪判決を受け、裁判官から
「映画やドラマでいろんな役を演じてきたでしょうが、残念ながら、この事件も裁判も現実です」
といわれた。
この後、酒井法子は、マンションで息子と2人暮らしを開始し、福祉の勉強ができる大学に入学。
自宅のパソコンでインターネットを使って講義を受けてレポートを提出するというシステムだったが、酒井法子は初パソコン。
社会福祉、幸福論、音楽療法などについて学んだが、1科目に10分の講義が90回もあった。
相変わらずマンション付近には報道陣でひしめき合い、常に監視され、
「事務所を解雇されても芸能人はやめさせてもらえないんだ」
と感じた。
マンションにやってきたお母さんと3ヵ月ぶりに再会すると、それから数ヵ月間、息子と3人で過ごした。
パソコンでインターネットを開いても、自分の名前を検索することはこわくてできなかったが、数ヵ月後、初めて調べて、検索結果をみて落ち込んだ。
こうしてのりピーの時代は終焉。
酒井法子は新たなステージに進んでいった。
「映画やドラマでいろんな役を演じてきたでしょうが、残念ながら、この事件も裁判も現実です」
といわれた。
この後、酒井法子は、マンションで息子と2人暮らしを開始し、福祉の勉強ができる大学に入学。
自宅のパソコンでインターネットを使って講義を受けてレポートを提出するというシステムだったが、酒井法子は初パソコン。
社会福祉、幸福論、音楽療法などについて学んだが、1科目に10分の講義が90回もあった。
相変わらずマンション付近には報道陣でひしめき合い、常に監視され、
「事務所を解雇されても芸能人はやめさせてもらえないんだ」
と感じた。
マンションにやってきたお母さんと3ヵ月ぶりに再会すると、それから数ヵ月間、息子と3人で過ごした。
パソコンでインターネットを開いても、自分の名前を検索することはこわくてできなかったが、数ヵ月後、初めて調べて、検索結果をみて落ち込んだ。
こうしてのりピーの時代は終焉。
酒井法子は新たなステージに進んでいった。
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