1975年、克美に転機が訪れる。
そんな克美しげるに転機が訪れたのは1975年。所属レコード会社の東芝が、克美のカムバック企画を実施し、“克美茂”と改名した上でシングル「傷」で再デビューすることが出来たのです。
しかしここで問題が起こる。
無事に再デビューを果たした克美ですが、この時の克美は前述の通り妻帯者であり、一方で銀座のホステスと不倫している状態でした。さらにこの時期、克美が妻帯者であることをホステスに知られてしまい(離婚したと嘘をついていた)、ホステスから「マスコミに不倫を話す」と責め立てられます。こういう状況の中で、スキャンダルを恐れた克美はホステスが邪魔になり、彼女の殺害計画を立てたのです。
1976年5月6日、ホステスを殺害。
1976年5月6日、克美しげるはホステスの首を絞めて殺害しました。そして自動車のトランクに遺体を隠し羽田空港の駐車場に駐車、その足で北海道へ飛び、新曲披露のためのイベントに出演するという常識では考えられない行動を取ったのです。
「傷」の次に発表したラストシングル「おもいやり」。
速やかに逮捕、そして実刑へ。
そして5月8日、車からホステスの遺体が発見。ほどなく克美は逮捕されました。不倫とは比較にならないほどのスキャンダルの中で、8月には東京地裁で懲役10年の実刑判決を受け、そのまま服役することとなったのです。
出所後の克美の動向は?
実刑判決を受け服役した克美しげるですが、1983年には収監先の大阪刑務所を仮出所。その後、支援者の助けを得てカラオケ教室で指導を始めるなど更生に向けた生活を送っていたのですが、1989年には覚せい剤の所持で逮捕。懲役8ヵ月の実刑判決を受けました。その後、90年代は心臓病などの疾患に悩まされる日々を送ることとなります。
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2000年代に入り、テレビ出演を果たす!!
克美しげるが40年ぶりの熱唱!! アニメ「エイトマン」主題歌
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二度にわたる服役、そして体調不良と厳しい人生を歩んだ克美ですが、2000年代に入ると体調は回復傾向となり、悲願のテレビ番組への出演も果たしました。そして、2007年には書籍「蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか」で、かつてのヒット曲「さすらい」「おもいやり」「エイトマン」の新録を披露しました。
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事件から歳月が流れ、芸能界に徐々に復帰し始めた克美ですが、2013年2月27日に脳出血により死去しました。享年75。「ヒットメーカーから殺人犯」という、前例のない数奇な人生を歩んだ克美。果たして死の間際には、過去の自身の犯罪に対し贖罪の念を持っていたのでしょうか。それは本人にしかわからないことでしょうね。