黒い噂を常に持ちながらも、空前絶後のモテ男&敬意を持たれた米国の歌手・俳優のフランク・シナトラとはどんな人物だったのか?
2017年4月18日 更新

黒い噂を常に持ちながらも、空前絶後のモテ男&敬意を持たれた米国の歌手・俳優のフランク・シナトラとはどんな人物だったのか?

生涯に亘りイタリア系マフィアとの黒い噂が絶えなかった、米国の歌手・俳優のフランク・シナトラ。しかし、彼を疎ましく思ったり、避けようとする動きがないのならまだしも、逆に女性たちからは若い”アイドル”並にモテて、その豪華な女性遍歴は他の男性が羨む程であった。また、若いミュージシャンなどからは敬意を持たれ、今でも”レジェンド”として、彼の楽曲が多数カヴァーされている。彼の生様を追ってみることにしよう

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Barry Manilow - Strangers In The Night

あま~い声で一世風靡したバリー・マルローもカヴァしている。

Frank & Nancy Sinatra - Something stupid (HQ)

邦題:『恋のひとこと』。フランク・シナトラと娘ナンシー・シナトラのデュエットで人気を集めた。父と娘のデュエット曲がチャート1位を獲得するのは極めて異例。

Frank Sinatra - "My Way" -

言わずと知れた、フランク・シナトラの代名詞的ヒット曲。ポール・アンカ(Paul Anka/1941-)作詞。原曲はフランチ・ポップス。

シナトラの晩年

Frank Sinatra - Come Fly With Me

邦題:『カム・フライ・ウィズ・ミー』。「旅客機による世界旅行」をテーマにしたアルバムで、トランス・ワールド航空とタイアップしていた。
1997年2月、心臓発作を起こした後は一般及びマスコミの前に姿を見せることはなくなり、自宅での治療に専念した。しかし1998年5月14日にビバリー・ヒルズの自宅でまた心臓発作を起こしウェスト・ハリウッドのセダース・サイナイ・メディカル・センターに運ばれ、そのまま回復することなく永眠した。
シナトラの死は世界各国で大きな衝撃を持って受け止められ、ビル・クリントン大統領がシナトラの死を悼むメッセージを述べたほか、エルトン・ジョンやポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソンなど世界各国のアーティストがその死を悼むメッセージを発表した。
またシナトラと縁が深いニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングが弔意を示すために(シナトラの瞳と同じ)青い照明に変えられたほか、同じくシナトラと縁が深いラスベガスのストリップの全ての照明が同じく弔意を示すために10分間完全に消灯された。
1998年5月20日にビバリー・ヒルズのカトリック教会で行われた葬儀には、グレゴリー・ペック、トニー・ベネット、ボブ・ディラン、ライザ・ミネリ、トニー・カーチス、ジル・セント・ジョン、ジャック・ニコルソン、ソフィア・ローレン、カーク・ダグラス、ロバート・ワグナー、ミア・ファロー、ナンシー・レーガンなど、アメリカだけでなくヨーロッパの各界から多数が参列しその死を悼んだ。この参列者の質と量は近頃の芸能人の葬儀ではちょっと考えられない。シナトラという人間がどれだけ慕われていたかを如実に表現するのにうってつけだろう。
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