ボーカルの笹野みちるの力強い歌が魅力的なバンド『東京少年』
2017年1月31日 更新

ボーカルの笹野みちるの力強い歌が魅力的なバンド『東京少年』

らんま2分の1のエンディング曲を歌った事でも有名です。ボーカルの様々なジャンルを扱った歌詞がとても良かったです。

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アルバム『帰り道』(1991年8月21日発売)

アルバム『帰り道』(1991年8月21日発売)

帰り道の裏ジャケ

帰り道の裏ジャケ

このアルバムが発売後、1991年、9月29日の渋谷公会堂でのライブをもって4人は解散。

東京少年_サイレントメビウス - YouTube

アルバム『帰り道』に入っている曲、『サイレントメビウス』
解散後笹野みちるは、バンドをやっていく厳しさを語っています。
2008年11月22日に笹野みちるデビュー20周年記念ライブ(MANDA-LA2)にて一夜限りの再結成を行なった。
中学3年から高校時代は、絵に描いたような理想主義の学生で、まるで明治時代の書生のように「真実とは何か」とか、そういうことを考えていて、バンドに賭ける意気込みと日頃考えていたことが一致していたんです。その迷いのなさは10代後半の純粋さで、間違ってはないにしても、音楽業界という人気商売で、売り上げという数字がとにかくものをいう世界では、理想主義と齟齬が生じて悩むだろうと思っていたら、案の定そうなりました。

岩井俊二監督によるビデオクリップ

なんと日本映画監督の代表とも言える、岩井俊二(代表作は「スワロウテイル」や「リリイ・シュシュのすべて」など)が東京少年のプロモーションビデオを手掛けていました。
作品は、『陽の当たる坂道』と『ハイスクール・デイズ』と『プレゼント』と『Harmony』です。下記に手がけた作品をまとめました。

東京少年 - 陽のあたる坂道で (w/岩井俊二インタビュー) - YouTube

東京少年 - Harmony - YouTube

Tokyo Shōnen 1991
凄いですね。このプロモーションで岩井俊二の世界を堪能できます。

ボーカル・笹野みちる

も~いいかい?なる|宙が歪んだのは、君が泣いている気がしたなる (1557476)

デビュー当時、レコード会社は笹野を前面に出したアイドル的なプロモーションを試みており、笹野は内心それに反発していた。

サウンド面にはU2やXTCなどのニュー・ウェイヴに影響を受けたと思しき作編曲が散見されるが、リンドバーグの渡瀬マキや永井真理子などと同列のボーイッシュな女性ボーカルバンドとして扱われることがあった。
解散後は、笹野みちるは「ささのみちる」に改名(後に本名に戻している)。ソロやインディーズバンド「京都町内会バンド」を結成するなどして活動。
そんな彼女ですが衝撃な告白をしました。
ボーカルだった笹野みちるさんは、女性アーティストでは日本で初めてレズビアンとしてカミングアウトしたことで話題を呼びました

若くして亡くなったメンバー中村英夫

中村英夫(中村コメタロー)

中村英夫(中村コメタロー)

2014年8月27日中村が死去し、10月17日に笹野みちると原みどりがお世話係を務め、中村が好きだった街にあるライブハウスで<追悼>コメちゃんこと中村"コメタロー"英夫!四十九日抱擁イベント@曼通寺を行いました。
43 件

思い出を語ろう

     
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  • カイ・グリフィー 2021/12/11 18:21

    大学生の頃、カセットテープをカーステでひたすら流し続けてました。ハイスクールデイズ、針とパズル、ジョギングシンガーは最高でした。
    今、サブスクで探しても出て来ないんですよね…
    頼むよSpotify!

    りお 2020/11/16 23:58

    僕はS52年3月産まれで東京少年が解散の時、中三で渋谷公会堂に解散ライブに行きました。
    今でもよく覚えています。本当に悲しかったなあ。9月だか10月ぐらいの時期で、受験勉強も佳境の頃だったけど、親に懇願し行った覚えがあります。確か解散ライブだったのに、追加公演が途中で決まって解散ライブじゃなくなった記憶があるんだけどなあ?w 

    Bozzio 2019/10/10 12:09

    私もS52生まれのオッサンです。当時は東京少年マニアと自負するほどの少年でした。CDはもちろんVHSも全て持っております。私の周りには東京少年のファンはあまりいませんでしたが、初めてできたガールフレンドが東京少年のファンでとても嬉しかったのを覚えています。ラストライブのときにレコード会社の方が「いつでも復活OKです!」と仰ってましたが、コメタロウさんが亡くなりドラムの永井さんも超売れっ子になり多忙を極めているので再結成は無理でしょうね。
    今でもCDを聴くとあの頃が一瞬にしてフラッシュバックします。
    30年近く経った今でも心の中に残る淡い思い出です。

    bonzo 2018/12/30 02:35

    「帰り道」の頃、ワタクシ中学1年生の夏で現在41歳(S52年8月生まれ)になりました。。。
    その後、洋楽に夢中になりましたが最初で最後の好きな邦楽アーティストが「東京少年」です。
    それは今でも変わりません。

    きっと、もう陽の目を見ることはないであろう「東京少年」はワタクシにとって
    青春そのものであります!

    東京の西の外れで育ったため、ラストライブの渋公は中1のワタクシにはお金もなく渋谷が遠い「大都会」だったため行けませんでした。

    今現在、嫁も子供もいる普通の「お父さん」ですが、
    今でもたまに聞いちゃいます。
    そんなS52年生まれのおじさん(おばさん)が少なからず居ることを願います。。。

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