2017年2月9日 更新
加藤登紀子が歌い、知られるようになった「百万本のバラ」には、全く違う歌詞の原曲がありました。
「百万本のバラ」は、ソ連時代に生まれ、日本語にも訳され知られるようになりましたが、それはラトビアで歌われていた「マーラが与えた人生」という歌謡曲を原曲としたものでした。日本でも多くの歌手にカバーされた「百万本のバラ」の背景について振り返ります。
ピロスマニの人生の映画化
1日の糧と酒のために、酒場に絵を描くという日々を過ごしたピロスマニの人生は、映画化もされました。女優マルガリータとの出会いの場面も描かれています。
生前は認められず、死後に評価が高まるというのは、画家に限らずよく聞きますが、彼の描いたグルジアの風景や農民や動物たちは、故郷への愛情を感じさせるものかもしれません。
孤独と放浪の中で亡くなったピロスマニの人生は、広場をバラで埋め尽くしたという逸話を、実話として感じさせるものがあります。
アーラ・プガチョワの歌う「百万本のバラ」
百万本のバラ アーラ・プガチョワ(ヒットの頃)
日本語版
日本では、作詞家の岩谷時子や映画監督の松山善三のほか、何人もが訳詩をしていますが、加藤登紀子の訳詩が一般的には知られています。
もともとは、アルバム「時には昔の話を」に収録されていましたが、問い合わせが相次いだため、1987年にシングル版として発売されました。
加藤登紀子とは
加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子[1]、1943年12月27日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。 現在は城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科の客員教授及び星槎大学共生科学科の客員教授でもある。
1965年、東京大学在学中にアマチュアシャンソンコンクールで優勝し、デビュー後は「赤い風船」でレコード大賞新人賞を受賞、1969年に「ひとり寝の子守歌」で、1971年には森繁久彌作詞作曲の「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞しています。
歌手以外の活動
夫と共に、千葉県鴨川市に鴨川自然王国を設立し、東京からも近いこの地で、多くの人々が農業体験に参加しています。
WWF顧問、WWFパンダ大使、UNEP親善大使などに就任し、アジア・オセアニア各地で自然環境の現状を伝え、音楽を通しての交流も重ねています。
女優・声優として
「居酒屋兆治」での高倉健の妻役のほか、スタジオジブリの「紅の豚」でも主人公ポルコの昔馴染みジーナ役で出演し、主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング曲「時には昔の話を」を歌っています。
1987年、中森明菜へ「難破船」、石原裕次郎へ「わが人生に悔いなし」を提供し、自身の「百万本のバラ」もヒットしました。
ロシア語版「百万本のバラ」をベースにしています。
-
すべてのコメントを見る (1)
コメントを書く
※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。