【50年代歌手】低音ボイスが心地よかった昭和のムード歌謡シンガー、フランク永井の魅力に迫る
2017年11月19日 更新

【50年代歌手】低音ボイスが心地よかった昭和のムード歌謡シンガー、フランク永井の魅力に迫る

50年代にデビューしたフランク永井。低音の魅力に心奪われる?!「有楽町で逢いましょう」のヒットから往年のデュエット曲まで今は亡きフランク永井の魅力にどっぷりと浸りきりましょう!

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こんにちは!はんまのままです。

今回はフランク永井さんについて調べてみたと思います。2008年に亡くなっていますが、その素敵な歌声はいまだにファンが多く存在します。そんなフランク永井さんの魅力を余すことなくお伝え出来たらうれしいです。

歌手として活動開始

フランク永井

フランク永井

ふらんくながい
生年月日:1932年3月18日
没年月日:2008年10月27日
デビュー:1955年

宮城県から上京して米軍のクラブ歌手として活動し、「素人のど自慢」にて年間ベストワンに選ばれたことを機に歌手デビュー。低音が素敵なムード歌謡曲を歌いスターとなる。
出身地は宮城県志田郡松山町ですが、平成の大合併で現在は宮城県大崎市となっています。実は筆者の実家が隣町で松山町に関しては知っていたつもりでしたが、フランク永井さんが生まれた町だったとは知りませんでした。初めて知ったのは父親の「歌は弟の方がうまかったんじゃないかな」の言葉からでした。
フランク永井歌コンクール ~ 宮城県大崎市 (1941918)

この松山町はのどかな田園地区で米どころとなっています。酒蔵もあり春には桜が、秋にはコスモスが町を彩っていて時間の流れがスローに感じられるような町です。フランク永井展示室が同市内にありフランク永井さんにまつわるものが所狭しと展示されています。ファンはもちろん地元の人にも聖地となっています。

そんなのどかな田園風景から歌手になりたいと幼い頃から思っていたフランク永井さんは上京し、運転手などのアルバイトを経て米軍のクラブ歌手として契約するまでになりました。耳のこえたアメリカ人の前で歌う契約をしたということはやはり魅力的な歌声だったということなのでしょう。

ムード歌謡歌手、フランク永井

1955年9月に「恋人よ我に帰れ」で歌手デビューとなりましたが、ヒットには恵まれず得意のジャズでは歌手として成功しませんでした。そこでディック・ミネの勧めや作曲家・吉田正と出会ったことで歌謡曲に転向したとあります。

グッドナイトスイートハート

1955年11月発売
このような歌を歌っていたということなのですが、今の時代に聴いても懐かしい感じで受け入れるのですが当時は難しかったのかもしれません。

ディック・ミネ

作曲家・吉田正

作曲家・吉田正

この吉田正の門下生にはフランク永井さんはもちろん俳優として活躍していた鶴田浩二や演歌歌手の橋幸夫、今も絶大な人気を誇る女優の吉永小百合、後にデュエットすることになる松尾和子などそうそうたるメンバーがいます。
有楽町で逢いましょう

有楽町で逢いましょう

1957年11月リリース
この曲の大ヒットで「フランク永井」の名前は一躍有名になりました。有楽町そごうのキャンペーンソングとして歌われていたこの歌を聴いてファンになった人もたくさんいたのではないでしょうか。この曲のヒットで「東京午前三時」や「夜霧の第二国道」もヒットとなりました。

有楽町で逢いましょう

ムード歌謡歌手、フランク永井さんがやっとスタートしたという瞬間だったのかもしれません。この曲の後はのちにムード歌謡の女王と言われた松尾和子とデュエット曲を発表しヒットしています。

東京ナイトクラブ

1959年7月発売
松尾和子

松尾和子

フランク永井にスカウトされ吉田正の門下生となる。
「東京ナイト・クラブ」は今でも歌うお父さん方もいるのではないでしょうか。スナックやクラブなどでホステスさんと歌っているという男性もいると思います。実際、「ふたりの大阪」や「銀座の恋の物語」などと並んで馴染みのあるデュエット曲の1つです。
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