さだまさしが所属していた“グレープ”の相方「吉田正美」とは?
皆さんはグレープというフォークデュオを覚えていますでしょうか?ミドルエッジ世代であれば誰もがご存知であろう「さだまさし」の所属していたグループで、「精霊流し」「無縁坂」といったヒット曲は世代でなくても聴いたことのある方も多いかと思います。一方で、グレープでさだの相方であった「吉田正美」は皆さんご存知でしょうか?この記事では、さだまさしの陰に隠れがちな「吉田正美」にスポットを当ててみたいと思います。
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さだとの出逢いは60年代に遡る!
吉田正美がさだまさしと出会ったのは1969年のこと。共通の友人の紹介で知り合いました。当時、二人は別々のバンドのリーダーを務めていたのですが、1970年にさだ、吉田ら3名でグループを組み、ポプコンの前身である「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に応募。ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせていきます。
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吉田の提案で名付けられた「グレープ」!
その後、大学に進学したさだは大学には行かずにバンド活動に没頭。しかし、肝炎を患ったのをきっかけに長崎に帰郷し大学も中退してしまいました。そんなさだの所に吉田が失踪同然でやってきて、居候状態に。そこで二人は意気投合し、デュオを結成します。そしてグループ名はどうするという話になったときに、吉田が自身の楽譜のトレードマークにしていた「Grape」でどうかと提案。さだは快諾し、結局1分でグループ名が決まったそうです。
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グレープ時代に残した吉田の名曲の数々!!
グレープといえば、代表曲として前出の「精霊流し」「無縁坂」や「朝刊」などが有名ですが、これらはさだの作詞・作曲によるものです。しかし、吉田もグレープ時代に作詞・作曲をしていなかったわけではなく、シングルカットされていない隠れた名曲が、グレープが残した3枚のスタジオアルバムに収録されています。
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絵踊り
1975年に発表された3枚目のアルバム「コミュニケーション」に収録されている「絵踊り」。さだのフォーク色の強いシングル曲とは一転して、エレキギターやシンセサイザーをフィーチャーしたお洒落でシティ・ポップなサウンドに仕上がっています。
絵踊り グレープ 三年坂ライブより 1975.11 中野サンプラザ
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解散後は何をやってるの?
1976年にグレープは音楽性の相違により解散し、吉田はそれ以後、さだとは別の道を歩むこととなります。まず取り掛かったのはバンド活動であり、「茶坊主」というバンドを結成しました。
1976年にシングル「黄昏色に心をそめて」でデビューした茶坊主。同年リリースした1stアルバムでは、さだやクラフト(さだが楽曲提供した「僕にまかせてください」が大ヒットしたグループ)がゲストミュージシャンとして参加しました。
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