佐藤忠志とは、どんな人?
タレント予備校講師の先駆者と言われた「金ピカ先生」(当初は「ヤッチャン先生」と呼ばれていた)。日本の教育評論家・元予備校講師。元拓殖大学客員教授。
佐藤忠志氏の詳しい生い立ちは公表されていない。ネット情報によると中野区の公立小学校に入学し、私立校を経て、杉並区の公立小学校、杉並区の公立中学校を卒業しているようだ。
生い立ちも不明だが、小学生の頃から父親と芸者遊びを楽しみ、中学生の時にソープ(当時のトルコ風呂)で、筆おろし(童貞を喪失)したとか。
中3の時の成績は、オール2。都立高校は、受験前から不合格確定というオチコボレだった。
高校は、私立の男子校、芝浦工業大学高等学校に進学、1970年卒業。
大学受験は、慶應義塾大学を目指すが、見事に不合格となる。
併願していた立教大学に入学。仮面浪人を経て、翌年に慶應義塾大学法学部政治学科を受験し合格する。在学中は内山秀夫研究会に所属し国際政治学を専攻。
慶應義塾大学卒業後、1975年、筑波大学大学院修士課程(地域研究科)を修了。
私立小学校に通っていたことがある。高校は私立校。そして、2年続けて、立教大学と慶應大学の入学金、授業料等を支払っていることから、金ピカ先生は、裕福な家庭の出身と思われる。
しかし、英語とはあまり関係ない。
筑波大学大学院で英語音声学を学んだのか?
人気講師「ヤッチャン先生」誕生
佐藤忠志は、代ゼミ(代々木ゼミナール)の英語講師となり、英単語や長文読解の講座を担当した。
派手な服装と今では問題になる教壇で日本刀をかざすヤクザ風のパフォーマンスで注目を浴び、「ヤッチャン先生」と呼ばれた。
佐藤自身も落ちこぼれ中学生だったが、慶應大学入学を果たした経験がある。
勉強ができない生徒の躓きや気持ちに寄り添い、英語文法をわかりやすく解説した。
英語の偏差値34の生徒を、慶応大学へ合格させたり、入学偏差値が40以下の生徒が一気に65以上になる、ということが実際にあったという。
金ピカ先生の受験英語の教授法が注目され、旺文社大学受験ラジオ講座に出演した。
日本人が聞きやすいネイティブスピーカーの発音というか、独自の日本人訛りの英語だった。当時の受験生にとっては、日本人離れしたアメリカ英語の発音にあこがれた。
予備校移籍とタレント活動
代ゼミから東進ハイスクールへ移籍した。代ゼミでの最後の講義「英語総合問題・最後の仁義なき戦い」には、500名近い受講者で、教室は超満員。講義終了後はは、生徒たちは、佐藤のサインをもらおうとした。
1989年に発売した『金ピカ先生の総仕上げ時事英単語集』は、大学入試英語を時事英語にした。教科書には出てこないが、入試にはでる最新の単語が選んで解説した。
東進ハイスクール CM 1990
講義を始める前にプレゼントに添えられた、手紙を読み上げ、質問に答えることもあった。ときには、雑談が講座の時間の半分以上に及ぶこともあったが佐藤の人気者だった。タレント予備校講師の元祖と言える。
はじめは、「ヤッチャン先生」とも呼ばれていた佐藤は、笑うと親しみやすい顔となる。
ヤクザ風の外見とは対照的に講義の教授法は、論理的で緻密であった。
当時の予備校では、サテライトといわれるビデオ収録講座が開講されるようになる。
金ピカ先生も、その後しばらくサテライトで開講していた。
金ピカ先生の車と武勇伝・年収2億以上?!
ゼミの講義料は、1コマ90分で200万。それが1ヶ月で20コマ近くあると1か月で2000万円近くの収入があった。その他に参考書の印税が、1000万円。
移動はVIP待遇。タクシーではなく、ハイヤーを使用。新幹線はグリーン席、飛行機はファーストクラス。ホテルは一番高いスイートルームに泊まっていた。
佐藤 忠志 (著)