斎藤真由美のプロフィール
斎藤真由美シャッターチャンス
生年月日:1971年2月27日
出身地:東京都練馬区
愛称:マッチョ
身長:177センチ
体重:62キロ
中学入学と同時にバレー部に入部し、本格的にバレーボールを始め頭角を表します。
バレーボールの名門中村高校に進学すると、1年でレギュラーに選ばれました。
そして同年8月のインターハイで3位に入ったものの、「まだ若い」という理由で国体の東京選抜のメンバーから外されてしまったのです。
大人への不信感でいっぱいになり、中村高校を中退してしまいました。
同年11月、中退の噂を聞きつけて声をかけたイトーヨーカドーに入社します。
名門高校で1年生からレギュラーで、中退してもすぐに実業団からスカウトがくるとは、才能は隠せませんね。
一本気な性格も素敵です。
1989 W杯バレーボール女子 日本VSペルー 第1セット / W-CUP Volleyball 1989 JAPAN VS PERU 1SET
バレーボール界のゴクミ(当時美少女ブームで人気だった後藤久美子)と称されるほどでした。
ただソウルオリンピックは、全日本招集時に「ベンチに座っていればいいから」と言われたことを不満に思い辞退しています。
チャンスを逃したかに見えた斎藤真由美さんが大ブレイクしたのは、1989年のバレーボールワールドカップでした。
1989ワールドカップバレーボール女子 日本VSペルー 第2セット
凄く盛り上がっていて、当時は学校でも話題になっていました。
強くてアイドル並みに可愛い斎藤真由美さんは大人気で、みんな応援していましたね。
益子直美さん、中田久美さんなどと共にキューバや中国などの強豪を相手に健闘し、敢闘賞を受賞した斎藤真由美さんです。
斎藤真由美プロモーションビデオ
がむしゃらに頑張ってきた無理が、身体に変調をきたしてしまったのでしょう。
19歳の時には右肩が上がらなくなり、くしで髪を梳かすこともことも出来なくなってしまいました。
必死でリハビリを続けて、ようやく身体が動くようになった矢先の1993年8月…交通事故に巻き込まれてしまったのです。
今度は交通事故に巻き込まれてしまったんです。
トラックのドライバーの飲酒運転と居眠りが原因でした。たまたま帰省で実家に帰り、食事に出かけた帰りがけ、家族が乗っている車に正面衝突されて。運転していた兄、助手席に乗っていた私も大ケガを負い、後部座席に乗っていた母は両肩を脱臼して身体障害者となりました。
私も脱臼や額を13針縫うなどしましたが、特にひどかったのは両ひざ。手術をしたものの、『このケガをしてまたプレーができるのか。たとえコートに立てても、自分を奮い立たす力が出るのか』と、まったく先が見えませんでした」
若い女性にとって顔をケガしてしまった辛さは筆舌に尽くしがたいですよね。
そんなときに70代の看護師さんに看護師さんが『あきらめちゃダメよ。頑張っていれば、その傷が人生の勲章になる時が必ずくるから』と励まされ、その言葉で奮起出来たそうです。
以前の肩のリハビリと合わせて合計で6年半、コートから遠ざかったあとに復帰しました。
ただ所属チーム、イトーヨーカドーの地下のトレーニングルームで1人トレーニングに励んでいたら、メンタルをやられてしまったそうです。
みんなが上で練習する声が聞こえて、取り残されるような気持ちになってしまったのでした。
少しバレーボールから離れて、北海道の病院に転院し道内のバレーボール少年団との交流などから、奮起した斎藤真由美さんはチームに戻ってリハビリを再開したのです。
その後の斉藤真由美
「先日、バレーボールの斎藤真由美さんに話を聞きました。各国で指導をされていたセリンジャーという監督について斎藤さんは『彼は素晴らしい監督です』と言っていました。斎藤さんは交通事故で顔面何十針も縫って再起不能と言われていましたが、斎藤さんが復帰した試合の時に、相手のダイエーは敵なのに、優勝インタビューでセリンジャーは『今日は私たちが勝ったことより、斎藤が戻ってきたことに拍手を送りたい』と、聞いたら涙が出てきちゃうようなことを語ったそうです。その後、米国に戻っていたセリンジャーに『お願いします。絶対に日本に来てください』と呼びかけたのが斎藤さんです」
そしてセリンジャーという監督は、自チームの優勝したよりも斎藤真由美さんの復帰に拍手を送りたいと言ってくれたそうです。
大ケガから不屈の闘志でコートに戻った斎藤真由美さんにとって、最高の賛辞ですし敵とはいえリスペクトに値する一流の選手の証ですね。
斎藤真由美の現在
朝日新聞様に取り上げて頂き
— 斎藤真由美 (@machyo_max8) May 9, 2022
先程、配信して頂きましたhttps://t.co/Ugb9BiaB1H
様々な経験から
成長には痛みが伴うものと自分を励ましひたすら前に進んできましたが
痛めつけられる痛みは深い傷が残るだけ
指導を受けてる子ども達は笑顔ですか?
心に寄り添い安心安全な現場が増えますように
またバレーボール中継の解説を中心に、2016年1月にフジテレビ「春の高校バレー」で解説者としてもデビューしました。
2022年には群馬銀行グリーンウイングスの監督に就任し、後進の指導にあたっています。
辛い思いもたくさんされてきましたが、バレーボール斎藤真由美さんにとって人生の一部なのでしょう。
まとめ
1989年のワールドカップで見た斎藤真由美さんは凄く輝いていて、その後こんなに大変な思いをしているとは知らなかったです。
いつも不屈の闘志で困難を乗り越え続け、真っすぐに生きる斎藤真由美さんの今後の活躍も楽しみですね。