人気逃げ馬の誕生
デビューから2連勝
ツインターボは、
父 ライラリッジ 母 レーシングジイーン
の間に誕生した、鹿毛の牡馬です。
1988年4月13日生まれで、生産は福岡牧場。
所属は、美浦トレセンの笹倉武久厩舎です。
デビューは1991年。遅れて4歳での新馬戦でした。馬体重は438kg。実はこの時が競走馬としての最高体重で、以後は400kg〜420kg台を推移します。
レースは、馬の赴くまま逃げた作戦が功を奏し、3馬身差で見事勝利。続くもくれん賞(500万下)も快勝し、デビュー早々、2連勝を果たしました。
3戦目は日本ダービーの前哨戦、青葉賞(OP)。この時も逃げますが、最後の直線で失速して9着。1着は、のちの菊花賞馬レオダーバンでした。
父 ライラリッジ 母 レーシングジイーン
の間に誕生した、鹿毛の牡馬です。
1988年4月13日生まれで、生産は福岡牧場。
所属は、美浦トレセンの笹倉武久厩舎です。
デビューは1991年。遅れて4歳での新馬戦でした。馬体重は438kg。実はこの時が競走馬としての最高体重で、以後は400kg〜420kg台を推移します。
レースは、馬の赴くまま逃げた作戦が功を奏し、3馬身差で見事勝利。続くもくれん賞(500万下)も快勝し、デビュー早々、2連勝を果たしました。
3戦目は日本ダービーの前哨戦、青葉賞(OP)。この時も逃げますが、最後の直線で失速して9着。1着は、のちの菊花賞馬レオダーバンでした。
重賞初勝利
そして、デビューして4ヶ月目。初の4歳重賞、ラジオたんぱ賞(GIII)を迎えます。
レースは、予定通りの逃げでしたが、大逃げではなく後続と1〜2馬身の差を維持します。1000メートルの通過タイムも、59秒と平均ペース。無理ない逃げが奏功したのか、最後の直線に入っても、ツインターボの脚は衰えません。結局、最後まで後続に詰められることなく、2着のカミノスオードに1馬身半差をつけ快勝。重賞初挑戦初勝利を収めました。
秋は、勝利には恵まれなかったものの、セントライト記念(GII)を2着、福島記念(GIII)を2着と好走。後半失速して惨敗した有馬記念(GI)の14着を最後に、4歳の年を終わります。この頃から、トレードマークとなる青いメンコを着用するようになりました。
レースは、予定通りの逃げでしたが、大逃げではなく後続と1〜2馬身の差を維持します。1000メートルの通過タイムも、59秒と平均ペース。無理ない逃げが奏功したのか、最後の直線に入っても、ツインターボの脚は衰えません。結局、最後まで後続に詰められることなく、2着のカミノスオードに1馬身半差をつけ快勝。重賞初挑戦初勝利を収めました。
秋は、勝利には恵まれなかったものの、セントライト記念(GII)を2着、福島記念(GIII)を2着と好走。後半失速して惨敗した有馬記念(GI)の14着を最後に、4歳の年を終わります。この頃から、トレードマークとなる青いメンコを着用するようになりました。
1991年 ラジオたんぱ賞(GⅢ) | ツインターボ | JRA公式
via www.youtube.com
重賞を圧勝で連勝
七夕賞(GIII)・・・4馬身差
1992年の明け5歳は、体調不良で長期休養に入り、出走レースは1戦のみに終わりました。
6歳となった1993年は、前年の悔しさを晴らすかのように、立て続けに重賞レースに出走します。中山金杯(GIII)6着、中山記念(GII)6着、新潟大賞典(GIII)8着と勝利には恵まれませんでしたが、徐々に力を発揮していきます。
そして迎えた七夕賞(GIII)。ここで、騎手は中舘英二に乗り替わりました。
レースは、後続と3馬身近い差をつける逃げ。1000メートル通過が59秒を切る淀みないペースで、レースを作ります。徐々に後続と差を広げ、3コーナーでは8馬身近い差に。最後の直線に入っても末脚は衰えることなく、差は一向に縮まりません。最後は、アイルトンシンボリが差を詰めますが、届かず。結局、後続に4馬身差をつける圧勝でした。
6歳となった1993年は、前年の悔しさを晴らすかのように、立て続けに重賞レースに出走します。中山金杯(GIII)6着、中山記念(GII)6着、新潟大賞典(GIII)8着と勝利には恵まれませんでしたが、徐々に力を発揮していきます。
そして迎えた七夕賞(GIII)。ここで、騎手は中舘英二に乗り替わりました。
レースは、後続と3馬身近い差をつける逃げ。1000メートル通過が59秒を切る淀みないペースで、レースを作ります。徐々に後続と差を広げ、3コーナーでは8馬身近い差に。最後の直線に入っても末脚は衰えることなく、差は一向に縮まりません。最後は、アイルトンシンボリが差を詰めますが、届かず。結局、後続に4馬身差をつける圧勝でした。
1993年 七夕賞(GⅢ) | ツインターボ | JRA公式
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オールカマー(GII)・・・5馬身差
次走は天皇賞の前哨戦、オールカマー(GII)。春の天皇賞馬ライスシャワー、前年の桜花賞馬シスタートウショウなど有力馬が参戦する中、ツインターボは3番人気に支持されます。
レースは、初っ端から大逃げ。いきなり後続と10馬身以上の差をつけます。1000メートルの通過が59秒5。道中は、なかなか差が縮まりません。最後の直線に入っても、まだ10馬身差。直線の短い中山では、セーフティーリードでした。最後の最後でやっと差を詰めますが、時すでに遅し。結局、2分12秒6の好タイムで、2着に5馬身差をつける完勝でした。
重賞を圧勝で2連勝。こうして、天皇賞・秋(GI)の有力馬として名乗りをあげました。
レースは、初っ端から大逃げ。いきなり後続と10馬身以上の差をつけます。1000メートルの通過が59秒5。道中は、なかなか差が縮まりません。最後の直線に入っても、まだ10馬身差。直線の短い中山では、セーフティーリードでした。最後の最後でやっと差を詰めますが、時すでに遅し。結局、2分12秒6の好タイムで、2着に5馬身差をつける完勝でした。
重賞を圧勝で2連勝。こうして、天皇賞・秋(GI)の有力馬として名乗りをあげました。
1993年 オールカマー(GⅢ) | ツインターボ | JRA公式
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逃げバテで惨敗続き
天皇賞・秋(GI)では、重賞を連勝した勢いを買われ、3番人気に支持されます。レースは、もちろんツインターボが逃げる展開。ところが、今回は4コーナー手前で失速し、最後の直線ではズルズル後方に下がっていきます。結果は、まさかの17頭立て17着。前走の逃げ切りの圧勝とは対照的な、逃げバテの惨敗に終わりました。
そして、これ以降は全く勝てなくなり、"逃げバテ" がツインターボの専売特許のようなレースが続きます。
顕著だったのは、1994年の有馬記念(GI)。ナリタブライアンが圧勝したレースとして有名ですが、道中は、ツインターボが後続と20馬身以上もの差をつける大逃げを打っていました。しかし、3コーナー付近から急激に失速。4コーナー手前では多くの馬に追い抜かれ、終わってみれば、トップから30馬身差の13頭立て13着に終わりました。
そして、これ以降は全く勝てなくなり、"逃げバテ" がツインターボの専売特許のようなレースが続きます。
顕著だったのは、1994年の有馬記念(GI)。ナリタブライアンが圧勝したレースとして有名ですが、道中は、ツインターボが後続と20馬身以上もの差をつける大逃げを打っていました。しかし、3コーナー付近から急激に失速。4コーナー手前では多くの馬に追い抜かれ、終わってみれば、トップから30馬身差の13頭立て13着に終わりました。
地方競馬へ、そして引退
惨敗続きでもファンが多く、ツインターボの人気は不動のものでした。しかし、なかなか結果が出ず、8歳となった1995年、ついに公営の上山競馬へ移籍します。上山競馬は、温泉地として有名な山形県上山市にあった地方競馬で、2003年に廃止されています。
移籍後の初戦は、中央競馬出身の貫禄を見せ、見事勝利。しかし、その後は結果が出ず、9歳となった1996年に引退します。引退後は種牡馬入りしますが、5頭の産駒を残した矢先、1998年1月15日に心不全でこの世を去りました。
移籍後の初戦は、中央競馬出身の貫禄を見せ、見事勝利。しかし、その後は結果が出ず、9歳となった1996年に引退します。引退後は種牡馬入りしますが、5頭の産駒を残した矢先、1998年1月15日に心不全でこの世を去りました。
最も長く先頭を走り続けた馬
出走したすべてのレースで、競馬ファンを楽しませてくれたツインターボ。中央競馬のすべてのレースで逃げ、その道中のほとんどで先頭を走っていました。どの馬よりも長く先頭を走り続けた馬、と言っても過言ではないでしょう。
勝っても負けても、競馬ファンを笑顔にしてくれたツインターボ。今も、青いメンコの小さな逃亡者が、ひたむきに先頭を走る姿が目に浮かびます。短い生涯でしたが、いつまでも競馬ファンの記憶に、笑顔とともに残る一頭となることでしょう。
勝っても負けても、競馬ファンを笑顔にしてくれたツインターボ。今も、青いメンコの小さな逃亡者が、ひたむきに先頭を走る姿が目に浮かびます。短い生涯でしたが、いつまでも競馬ファンの記憶に、笑顔とともに残る一頭となることでしょう。
via ja.wikipedia.org
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