最後まで底が見えなかった20世紀最後の名馬グラスワンダー
2016年11月25日 更新

最後まで底が見えなかった20世紀最後の名馬グラスワンダー

2015年はスクリーンヒーローを父に持つモーリスが年度代表馬に選ばれ グランプリ有馬記念はゴールドアクターが勝利した。 それらの祖父にあたるのがグラスワンダーであり、常に底知れぬ力を秘めた名馬であったことは間違いない。彼の偉大な軌跡を追っていきたい

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マルゼンスキーの再来

グラスワンダーのデビューは1997年の9月中山競馬場
デビュー戦を3馬身差で圧勝すると、続くオープン特別のアイビーステークス
G2の京王杯ステークスを5馬身、6馬身差で圧勝する。
続く、2歳王者決定戦、朝日杯3歳ステークスも2馬身半差で圧勝
しかも荒馬場の中でのレコードタイムは見るものすべてを驚愕させた。
実況アナを含め、皆、こう思った。マルゼンスキーの再来だと

故障と復活

2歳王者となったグラスワンダーだったが、ここからが彼の苦難の道の
始まりでもあった。NHKマイルカップを目標にしていたグラスワンダーだったが
春先に骨折をしていることが判明、春シーズンを全休することが決まった。
復帰戦は毎日王冠、休み明け、さらにサイレンススズカを意識しての競馬もあり
5着敗退、続くアルゼンチン共和国杯も6着敗退、マルゼンスキーの再来と呼ばれた
2歳王者の評価は、ただの早熟馬に変わりつつあった。
次走は暮れのグランプリ、有馬記念、単勝オッズは14.5倍の4番人気だった。
しかし、そんな低評価をあざわらうかのようにグラスワンダーは同期のセイウンスカイ
天皇賞馬のメジロブライトを退けて勝利を収める。2歳王者の見事な復活劇であった。

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古馬の王者へ

古馬になったグラスワンダーは安田記念から宝塚記念を
春の目標とする。復帰戦の京王杯スプリングカップは勝利したものの
安田記念ではエアジハードとの激戦の末、敗れてしまう。
一方、古馬の王道路線では同期で前年のダービー馬スペシャルウィークが
春の天皇賞を勝利し、王者として宝塚記念へと参戦した。
人気はスペシャルウィークが1番人気、グラスワンダーが2番人気
完全に2強ムードであったが、終わってみれば、1強だった。
グラスワンダーがスペシャルウィークに3馬身差をつけ圧勝し
春のチャンピオンに輝いた。

1999年 7月11日(日) 3回阪神8日 天候: 晴 馬場状態: 良 11R 第40回 宝塚記念 グラスワンダー 3歳以上・オープン・G1(定量) (国際)(指定) 芝・内 2200m 12頭立 1 グラスワンダー 2 スペシャルウィーク 3 ステイゴールド 4 ローゼンカバリー 5 マチカネフクキタル 6 オ...

ライバルとの死闘

秋になりグラスワンダーは毎日王冠からジャパンカップを目指して
始動した。毎日王冠はハナ差の辛勝、相手関係を考えると物足りない
勝利と言えた。次走はジャパンカップを予定していたが、筋肉通が生じ、回避
暮れのグランプリ有馬記念は順調では無いものの出走
人気はグラスワンダーが単勝2.8倍で1番人気、スペシャルウィークが3.0倍で2番人気と
人気はやはりこの2頭に集まった。この有馬記念は20世紀最後の名勝負として
後世に名を残すレースとなる。
最後の直線、先に抜け出すテイエムオペラオーとツルマルツヨシを
グラスワンダーとスペシャルウィークが追い込み、2頭が抜け出したところがゴール板だった。
タイミングはほぼ同時、写真判定に持ち込まれたが、スペシャルウィークの鞍上、武豊は
勝利を確信し、ウイニングラン、しかし、勝ったのはグラスワンダーだった。
最強馬同志の4センチのハナ差の勝負は、まさしく世紀の一戦という言葉がふさわしい
名勝負であった。

低迷と引退

グラスワンダーは翌年も現役を続けることを表明
同期のライバル、スペシャルウィークが引退したため
王者として、古馬の王道路線を目指すこととなった。
しかし、有馬記念の激闘の影響か、復帰戦の日経賞を6着
前年勝利した京王杯スプリングカップを9着
再起をかけて挑んだ宝塚記念も骨折の影響があり6着敗退
これを最後に現役を引退することとなった。

種牡馬としてのグラスワンダー

種牡馬となったグラスワンダーは、アーネストリー、スクリーンヒーローを
始めとしたG1ウィナーを輩出する。スクリーンヒーローは2015年度代表馬
モーリスを輩出し、改めてグラスワンダーの価値を高めている。
グラスワンダーの底知れぬ力が孫の代にも継承されていると言っていいだろう。

#アーネストリー #2012金鯱賞

A photo posted by Mitsuo Kawashima (@mitsuostagram) on

#アーネストリー #2012金鯱賞

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