あれから25年、今も歌手『ちあきなおみ』の耳に喝采は聞こえているのか。現在の近況や画像
2016年11月28日 更新

あれから25年、今も歌手『ちあきなおみ』の耳に喝采は聞こえているのか。現在の近況や画像

1970年代に『喝采』の大ヒットで知られる歌手の『ちあきなおみ』。芸人コロッケのモノマネでも有名だ。そんな彼女が『黄昏のビギン』を最後に、舞台から姿を消した…。引退をすることもなく、あれから約25年が過ぎた。あの喝采の歌詞は、ちあきなおみの実話だったのか?ちあきなおみの近況や夫。セクシーボインと言われた『ちあきなおみ』現在の画像。

47,177 view

歌手『ちあきなおみ』

ちあき なおみは、1947年9月17日に東京都板橋区でうまれる。小学2年生の時に神奈川県藤沢市辻堂へ転居する。
tnikki (1773643)

「ちあきなおみ」は5歳時に有楽町の日劇で初舞台を踏んだ。その時の芸名は、「白鳥みえ」。アメリカ軍のキャンプでもタップダンスを踊り、ステージをつとめていた。
tnikki (1773646)

10代の頃の「ちあきなおみ」は、「五城ミエ」「南条美恵子」と名前を変え、ポップス歌手として、活動した。
米軍キャンプやキャバレー、ジャズ喫茶でロカビリーを歌い、俗にいう「ドサ周り」で全国を回った。
1968年に「ちあきなおみ」は、コロンビアのオーデションをうけた。結果は保留になるが、作曲家鈴木淳の事務所に紹介される。

この時の「ちあきなおみ」の芸名は、「瀬川三恵子」。子供のころから切ったことがない長い黒髪の少女は、北島三郎の兄弟仁義を歌った。

ちあきの歌には天性の声とリズム感があった。また、「ドサ周り」で身につけた歌唱や個性的なこぶしに特徴があった。

そして、鈴木淳による「ちあきなおみ」の持ち前の力強い発声とバイブレーションを活かした、ハスキーなストレートボイスのトレーニングが始まった。
 (1773660)

1969年、21歳の時に、「瀬川三恵子」から、『ちあきなおみ』の芸名になり、「雨に濡れた慕情」でデビューする。
昭和44年「雨に濡れた慕情」で、デビューしたしたときのキャッチフレーズが「ハスキーボイン」
高価買取・販売 ハイファイ堂 中古オーディオ 04-00006-35359-60 (1773651)

昭和のミニスカート姿で歌う、「ちあきなおみ」懐かしい!
●「明星1970/8」 - forest of used books - Yahoo!ブログ (1773687)

1970年8月に雑誌「明星」を飾った、「ちあきなおみ」の水着グラビア(右)。左ページで大胆なポーズをとっているのは、辺見えみりのお母さんの辺見マリ。
るりからビーンさんのツイート: "ちあきなおみ、佐良直美、水前寺清子、和田アキ子の「おかしな四つ児」キャストがいつかまたステージに揃うことを祈ってます。ちあきなおみの歌は本当に大人の歌だから、ブランクがあったとしても、深みがあって一つの作品としてまた出せると思う。 http://t.co/GvBgP2EcL2" (1790615)

1971年(昭和46年)4月にTBS系で放送されたドラマ「おかしな四つ児」に出演した、ちあきなおみは、四卵性四つ児の姉妹を佐良直美、水前寺清子、和田アキ子と演じた。

(写真は左から、水前寺清子、ちあきなおみ、和田アキ子、佐良直美)

ちあきなおみの歌う『喝采』が大ヒットする

ちあきなおみ - 四つのお願い @ 舊式音樂 【日文老歌區】 :: 隨意窩 Xuite日誌 (1790616)

「ちあきなおみ」は、1969年6月から、1982年10月の約12年間にシングル28曲を発表した。
写真は、1970年4月にリリースされた「四つのお願い」。

ちあきなおみ/四つのお願い 昭和45年

ちあきなおみに魅力、コケティッシュなお色気が堪能できる、4枚目のシングル「四つのお願い」。

1980年代に曲名の四つ(よつ)が、差別用語にあたるとして、放送禁止曲に指定されたと一部では言われている。

「四つ子」もダメ?
 (1773654)

昭和47年、ちあきなおみの歌う『喝采』は、日本レコード大賞を受賞する。
このときの最優秀歌唱賞は和田アキ子。受賞曲の、「あの鐘を鳴らすのはあなた」がコールされたときに、客席から、ステージ上まで、ジュリー(沢田研二)の手を引き、彼を引き連れて登場。感動の涙で落ちたマスカラを黒くにじませながら、熱唱した。

ちあきなおみ/喝采 1972年

当時、ちあきなおみが歌う「喝采」の歌詞は、実話といわれていた。

ずっと気になっていた、亡くなったのは、誰なのか?

ちあき自身が10代の頃に慕っていた映画俳優の方が、突然亡くなっていた。
その人とは、「喝采」で歌われている関係ではなかった。
「喝采」の歌詞は、曲のプロモーションのために、ちあきの実話として伝えられた。
そして、実体験のように思わせる「ちあきなおみ」の表情や歌唱が「喝采」ヒットにつながった。

「ちあきなおみ」といしだあゆみ」は友達だった?!

スタ-千一夜 19760224 いしだあゆみ ちあきなおみ

1976年02月24日「スタ-千一夜」 に出演したいしだあゆみ 、ちあきなおみ。
当時28歳の二人が、トークの後で歌う歌は、「恋挽歌」(ちあきなおみ)、「時には一人で…」(いしだあゆみ)。
42 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

ケメ=佐藤公彦「フォーク界の貴公子」65歳の生涯、思い出の『あおい君と佐藤クン』

ケメ=佐藤公彦「フォーク界の貴公子」65歳の生涯、思い出の『あおい君と佐藤クン』

1970年代に「ケメ」の愛称で活躍していたシンガーソングライターの佐藤公彦は、中性的な外見と女性ファンの多さから「フォーク界の貴公子」と呼ばれていました。その佐藤公彦さんは、2017年6月に65歳の若さで亡くなりました。ケメの音楽や深夜放送『あおい君と佐藤クン』などを振り返ってみました。
「おじさん!」というドドンパ「東京娘」桜たまこがヌードに!

「おじさん!」というドドンパ「東京娘」桜たまこがヌードに!

1976年、ピンクレディーがデビューした年に石坂まさの門下生、14歳の桜たまこはデビューした。セカンドシングルの「東京娘」がヒット。変わった芸名と「おじさん!」という曲の出だし、優れた声量と歌唱は記憶に残っている。歌手引退後に発表したヌード画像もあわせて紹介していく。
カルメン・マキ「時には母のない子のように」からロック歌手に!

カルメン・マキ「時には母のない子のように」からロック歌手に!

1969年に17歳のカルメン・マキ「時には母のない子のように」を歌い、デビューしました。その後ロック歌手に転向したカルメン・マキの軌跡。逮捕と現在の活動。
「走れコウタロー」山本コータローの懐かしい深夜放送の思い出~エコロジストの現在

「走れコウタロー」山本コータローの懐かしい深夜放送の思い出~エコロジストの現在

「走れコウタロー」を歌っていた。山本コータローの学生時代や音楽活動、懐かしい深夜放送について。 ドラマ出演や司会・キャスターと多方面で活躍していたこと、エコロジストとしての現在を紹介。
内藤やす子「六本木ララバイ」逮捕・病気からの再起と現在♡最愛の夫は外国人

内藤やす子「六本木ララバイ」逮捕・病気からの再起と現在♡最愛の夫は外国人

1970年代にデビューして順風満帆の時期に内藤やす子は逮捕された。再出発後に「六本木ララバイ」がヒット。旦那さまは21才年下の外国人歌手。幸せの真っ只中に倒れ5年の間記憶を失っていた。現在は夫の介護で10年ぶりに歌手として復帰を果たした。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト