あれから25年、今も歌手『ちあきなおみ』の耳に喝采は聞こえているのか。現在の近況や画像
2020年2月26日 更新

あれから25年、今も歌手『ちあきなおみ』の耳に喝采は聞こえているのか。現在の近況や画像

1970年代に『喝采』の大ヒットで知られる歌手の『ちあきなおみ』。芸人コロッケのモノマネでも有名だ。そんな彼女が『黄昏のビギン』を最後に、舞台から姿を消した…。引退をすることもなく、あれから約25年が過ぎた。あの喝采の歌詞は、ちあきなおみの実話だったのか?ちあきなおみの近況や夫。セクシーボインと言われた『ちあきなおみ』現在の画像。

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歌手『ちあきなおみ』

ちあき なおみは、1947年9月17日に東京都板橋区でうまれる。小学2年生の時に神奈川県藤沢市辻堂へ転居する。
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「ちあきなおみ」は5歳時に有楽町の日劇で初舞台を踏んだ。その時の芸名は、「白鳥みえ」。アメリカ軍のキャンプでもタップダンスを踊り、ステージをつとめていた。
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10代の頃の「ちあきなおみ」は、「五城ミエ」「南条美恵子」と名前を変え、ポップス歌手として、活動した。
米軍キャンプやキャバレー、ジャズ喫茶でロカビリーを歌い、俗にいう「ドサ周り」で全国を回った。
1968年に「ちあきなおみ」は、コロンビアのオーデションをうけた。結果は保留になるが、作曲家鈴木淳の事務所に紹介される。

この時の「ちあきなおみ」の芸名は、「瀬川三恵子」。子供のころから切ったことがない長い黒髪の少女は、北島三郎の兄弟仁義を歌った。

ちあきの歌には天性の声とリズム感があった。また、「ドサ周り」で身につけた歌唱や個性的なこぶしに特徴があった。

そして、鈴木淳による「ちあきなおみ」の持ち前の力強い発声とバイブレーションを活かした、ハスキーなストレートボイスのトレーニングが始まった。
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1969年、21歳の時に、「瀬川三恵子」から、『ちあきなおみ』の芸名になり、「雨に濡れた慕情」でデビューする。
昭和44年「雨に濡れた慕情」で、デビューしたしたときのキャッチフレーズが「ハスキーボイン」
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昭和のミニスカート姿で歌う、「ちあきなおみ」懐かしい!
るりからビーンさんのツイート: "ちあきなおみ、佐良直美、水前寺清子、和田アキ子の「おかしな四つ児」キャストがいつかまたステージに揃うことを祈ってます。ちあきなおみの歌は本当に大人の歌だから、ブランクがあったとしても、深みがあって一つの作品としてまた出せると思う。 http://t.co/GvBgP2EcL2" (1790615)

1971年(昭和46年)4月にTBS系で放送されたドラマ「おかしな四つ児」に出演した、ちあきなおみは、四卵性四つ児の姉妹を佐良直美、水前寺清子、和田アキ子と演じた。

(写真は左から、水前寺清子、ちあきなおみ、和田アキ子、佐良直美)

ちあきなおみの歌う『喝采』が大ヒットする

ちあきなおみ - 四つのお願い @ 舊式音樂 【日文老歌區】 :: 隨意窩 Xuite日誌 (1790616)

「ちあきなおみ」は、1969年6月から、1982年10月の約12年間にシングル28曲を発表した。
写真は、1970年4月にリリースされた「四つのお願い」。

ちあきなおみ/四つのお願い 昭和45年

ちあきなおみに魅力、コケティッシュなお色気が堪能できる、4枚目のシングル「四つのお願い」。

1980年代に曲名の四つ(よつ)が、差別用語にあたるとして、放送禁止曲に指定されたと一部では言われている。

「四つ子」もダメ?
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昭和47年、ちあきなおみの歌う『喝采』は、日本レコード大賞を受賞する。
このときの最優秀歌唱賞は和田アキ子。受賞曲の、「あの鐘を鳴らすのはあなた」がコールされたときに、客席から、ステージ上まで、ジュリー(沢田研二)の手を引き、彼を引き連れて登場。感動の涙で落ちたマスカラを黒くにじませながら、熱唱した。

ちあきなおみ/喝采 1972年

当時、ちあきなおみが歌う「喝采」の歌詞は、実話といわれていた。

ずっと気になっていた、亡くなったのは、誰なのか?

ちあき自身が10代の頃に慕っていた映画俳優の方が、突然亡くなっていた。
その人とは、「喝采」で歌われている関係ではなかった。
「喝采」の歌詞は、曲のプロモーションのために、ちあきの実話として伝えられた。
そして、実体験のように思わせる「ちあきなおみ」の表情や歌唱が「喝采」ヒットにつながった。

「ちあきなおみ」といしだあゆみ」は友達だった?!

スタ-千一夜 19760224 いしだあゆみ ちあきなおみ

1976年02月24日「スタ-千一夜」 に出演したいしだあゆみ 、ちあきなおみ。
当時28歳の二人が、トークの後で歌う歌は、「恋挽歌」(ちあきなおみ)、「時には一人で…」(いしだあゆみ)。
同じ年齢で歌手仲間の「ちあきなおみ」と「いしだあゆみ」はプライベートでもいろいろ話をしていたようだ。28歳の二人が、トークの後で歌う歌は、「恋挽歌」(ちあきなおみ)、「時には一人で…」(いしだあゆみ)
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