歌手『ちあきなおみ』
この時の「ちあきなおみ」の芸名は、「瀬川三恵子」。子供のころから切ったことがない長い黒髪の少女は、北島三郎の兄弟仁義を歌った。
ちあきの歌には天性の声とリズム感があった。また、「ドサ周り」で身につけた歌唱や個性的なこぶしに特徴があった。
そして、鈴木淳による「ちあきなおみ」の持ち前の力強い発声とバイブレーションを活かした、ハスキーなストレートボイスのトレーニングが始まった。
(写真は左から、水前寺清子、ちあきなおみ、和田アキ子、佐良直美)
ちあきなおみの歌う『喝采』が大ヒットする
ちあきなおみ/四つのお願い 昭和45年
1980年代に曲名の四つ(よつ)が、差別用語にあたるとして、放送禁止曲に指定されたと一部では言われている。
「四つ子」もダメ?
ちあきなおみ/喝采 1972年
ずっと気になっていた、亡くなったのは、誰なのか?
ちあき自身が10代の頃に慕っていた映画俳優の方が、突然亡くなっていた。
その人とは、「喝采」で歌われている関係ではなかった。
そして、実体験のように思わせる「ちあきなおみ」の表情や歌唱が「喝采」ヒットにつながった。
#1972年(#昭和47年 )の #日本レコード大賞 受賞曲、#ちあきなおみ の #喝采 です。まさに言うことなし。
— ちゃあるず (@sawayaka1966) September 19, 2016
名曲過ぎて、何度聞いても鳥肌が立ちます。
現在こんな大人の歌が歌える歌手はいるでしょうか?https://t.co/6wOt64kCQJ
「ちあきなおみ」といしだあゆみ」は友達だった?!
スタ-千一夜 19760224 いしだあゆみ ちあきなおみ
当時28歳の二人が、トークの後で歌う歌は、「恋挽歌」(ちあきなおみ)、「時には一人で…」(いしだあゆみ)。