経歴
1983年松下電器産業(現ガンバ大阪)に入団。
泥臭い得点を演出する本格的ストライカーとして活躍。
1994年に清水エスパルスに移籍。同年に出場したオールスターでは、決勝点を挙げMVPに輝く。
翌1995年1月17日、阪神・淡路大震災で実家が全壊し、「街を勇気づけたい」とシーズン途中からJFLのヴィッセル神戸へ移籍。
1996年、神戸はJFL2位でJリーグ入りを決める。
1997年、現役最年長ストライカーとして全試合に出場し、日本人最多の22点を挙げ、フェアプレー個人賞を獲得。
2000年に惜しまれつつも現役を引退した。
Jリーグ日本人初ハットトリック
6月5日、神戸ユニバー記念競技場で行われた名古屋戦にてハットトリックを達成。
これがJリーグ日本人選手のハットトリック第1号となった。
(Jリーグのハットトリック第1号はジーコ)
日本代表にも名を連ね、ガンバでは不動のエース。まさに円熟期を迎えていた。
Jリーグブームで、スタンドは4万人近い観客。永島は、その期待に応えるべく、最高のパフォーマンスを披露したのである。
開始早々に失点を許すも、15分、MF和田からのボールを押し込んで1点目。
さらに37分、相手キーパーからディフェンダーへのパスをインターセプトして2点目。
そして84分、松波からのパスを豪快に振り抜き、ゴールネットを三度揺らした。
鹿島アントラーズのジーコが開幕戦で達成したのに続き、Jリーグふたり目、そして日本人初となるハットトリックを成し遂げた。3点目を決めた永島は、ガンバフラッグで埋め尽くされたスタンドに向けて、指を3本立てた。
via up.gc-img.net
監督との確執も!?
可もなく不可もないチームだったガンバですが、釜本監督との確執から永島さんはチームを去り、清水に移籍します。レオン監督率いる当時(1994年)の清水は結構な強豪だったのです。
同じストライカーですが、釜本さんから見たら誰でも”ヘタクソ”となるのが原因だったようです。
当時、日本のエースストライカーと言えば、自他ともに釜本氏を挙げる声も多かったと思います。
そして、ストライカーとはある種のエゴイストなので、ぶつかり合うのも仕方ないですね。
スポーツ選手でいられる時間は短いので、自分を使ってくれるチームに移籍するのはごく自然な流れだと思います。
そして、ストライカーとはある種のエゴイストなので、ぶつかり合うのも仕方ないですね。
スポーツ選手でいられる時間は短いので、自分を使ってくれるチームに移籍するのはごく自然な流れだと思います。
ゴール動画
(永島 昭浩)Jクロニクルベスト:1993ベストゴール - YouTube
via www.youtube.com
ガンバ大阪時代のゴール。
力強い彼らしいプレーです、
本当に嬉しそうで思わずこちらもニッコリ。
力強い彼らしいプレーです、
本当に嬉しそうで思わずこちらもニッコリ。
永島昭浩(元ガンバ) 伝説のフリーキック - YouTube
via www.youtube.com
一瞬のすきを逃しません。
シジマールから強引にボールを奪い、シュート!
エゴイスティック!!
現在、テレビで穏やかに解説している彼とは真逆ですね(^^)
シジマールから強引にボールを奪い、シュート!
エゴイスティック!!
現在、テレビで穏やかに解説している彼とは真逆ですね(^^)
(永島 昭浩)Jクロニクルベスト:1997ベストゴール - YouTube
via www.youtube.com
一言。
泥臭い!!
泥臭い!!