三浦泰年
みうら やすとし
1965年7月15日生まれ
出身 静岡県
身長、体重 171cm、69kg
1965年7月15日生まれ
出身 静岡県
身長、体重 171cm、69kg
選手概要
Jリーグ発足時より弟の三浦知良と共にサッカー界の人気を支える。数々のJリーグチームを渡り歩き、2003年現役引退。
現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー(ボランチ)。
1993年、ハンス・オフト監督により、1994年FIFAワールドカップ・アジア地区最終予選のサッカー日本代表に選出される。いわゆるドーハの悲劇を経験した日本代表選手の一人。
言わずと知れた「キング・カズ」の兄貴!
日本代表でも、あのドーハの悲劇を共に経験。
三浦泰年自身は、日本代表では輝けませんでしたが、最終予選の重要な局面で、都並の代役として出場する等の一定の評価は得ていました。
日本代表でも、あのドーハの悲劇を共に経験。
三浦泰年自身は、日本代表では輝けませんでしたが、最終予選の重要な局面で、都並の代役として出場する等の一定の評価は得ていました。
所属クラブ
1984年~1985年
サントスFC ジュニオール
1986年~1991年
読売サッカークラブ
1992年~1995年
清水エスパルス
1996年~1998年
ヴェルディ川崎
1999年~2001年
アビスパ福岡
2002年~2003年
ヴィッセル神戸
サントスFC ジュニオール
1986年~1991年
読売サッカークラブ
1992年~1995年
清水エスパルス
1996年~1998年
ヴェルディ川崎
1999年~2001年
アビスパ福岡
2002年~2003年
ヴィッセル神戸
ヴィッセル神戸では弟のカズと同チームに。
日本代表とヴェルディ川崎時代に引き続き、三度目のチームメイトとなりました。
日本代表とヴェルディ川崎時代に引き続き、三度目のチームメイトとなりました。
選手としての特徴
( 松原良香と)一緒のクラブでプレーすることが出来たのは、福岡の時です。
その時、発見したのは、気持ちの強さはもちろんですが、足元の技術が非常に高いことでした。さすがに静岡の選手だなと、子供の頃に技術をきちんと学ぶことの重要性を改めて感じました。
とにかく練習から熱い…。
ランニングやウエイトトレーニングでも絶対に手を抜かず、率先して練習をしていました。また、若手には厳しく、手を抜いたプレーをした選手には「帰れ」と叱ったこともありました。若手の将来を考えて、わざと嫌われ役を演じていたのです。
当時の監督だったピッコリよりも、ずっと監督らしいと僕たちは冗談で話していたほどです。それほど、チームの中でリーダーシップのある存在でした。
「 松原良香コラム“サッカー人”」より抜粋
1996年に読売を前身とするヴェルディ川崎に復帰したが、1998年にはリーグ戦出場16試合と出場機会が減り、シーズン終了後にV川崎から戦力外通告を受けアビスパ福岡へ完全移籍。
精神的支柱として貢献したが、2001年に最終節でJ2へ降格した。
スーパープレー動画
キミは読売サッカークラブを知っているか?⑦ - YouTube
via www.youtube.com
5:15~
カズからヤスヘ、ゴール前での華麗な兄弟パスワーク!
カズからヤスヘ、ゴール前での華麗な兄弟パスワーク!