【1950年代後半~】昔は仲間と外遊びが当り前だった頃の遊び方いろいろ①
2017年9月5日 更新

【1950年代後半~】昔は仲間と外遊びが当り前だった頃の遊び方いろいろ①

私は日本経済がちょうど飛躍的に成長を始めようとした時期に産声を上げ、日本の経済成長を体現してきた世代と言っても過言ではない。今の子供たちは学校が終わったら、みんなで外遊びをするような光景は殆ど見なくなって久しいが、私の世代は、家の中で腐っていようものなら、親が「外で遊んで来~~い!!!」と怒鳴られたものだ。 そんな私たち世代の外遊びをいろいろご紹介することにしよう!!

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1950年代後半~の外遊びも状況によって多様化していた!!

1950年代の町並み

1950年代の町並み

1950年代後半は、日本経済が急激に成長し始めようとしていた時期に当り、周りの環境というか景色が刻々と変化して行った頃でもあった。勿論、この頃はすでに道路で遊ぶことはめったにできなかったが、家の近くには緑が多く、公園、大きめの空き地、寺・神社など遊べそうな所が何箇所か点在していたため、遊び場を探すのにそんな苦労はしなかった。ましてや子供たちの遊ぶ声が”うるさい!”と文句を言ってくる輩など誰一人いなかった。子供は外で元気よく遊ぶのが”あたりまえの時代であったのだ(良き時代だったのお!!)。
住宅地の光景

住宅地の光景

私が小学校の低学年だった頃は、小学校から下校する頃になると必ずと言って良い程、高学年の地区仲間から「今日はどこどこで遊ぶから何時頃そこにいろよ!!」とかいう伝言が伝わってきたものだ(何故かというと、小学校では低学年が先に下校して行くからだ)。言わば”がき大将”的な人材が何人か君臨していたのだ。ただ、その”がき大将”たちは、決して今で言う”いじめ”っ子ではなく、色々なことを教えてくれる(道具やおもちゃの扱い方や果ては人生相談めいたことまで・・・)”お兄さん”的な存在であったと記憶している。
路地裏の光景

路地裏の光景

外遊びを区別すると大きく分けて、多人数で遊ぶと、半端なく面白かったものもと、二・三人の少人数向けのものがあった。あの頃はその日その日の人数や場所により、遊び方が自然と変わって行ったのだ(まさに子供は遊びの天才である)。

まずは、シンプルに基本中の基本「鬼ごっこ」から!!

「鬼ごっこ」の光景

「鬼ごっこ」の光景

鬼ごっこ(おにごっこ)を知らない人は地球上には存在しないだろう程、超~有名な子供の遊びの一つである。子供の屋外遊びとしては最もポピュラーなものである。もしも知らない人がいたら、その人は”宇宙人”かも・・・??。
「鬼ごっこ」は狭義的に言うと、メンバーからオニ(親)を一人決め、それ以外のメンバー(子)は決められた時間内に逃げ、オニが子に触ればオニが交代し、遊びが続くという形式のものを指すが、世の中には色々なバリエーションが存在する。
例えば、
1.鬼に触られるとその人も鬼の仲間になり、他を追いかけるようになったり(ゾンビが増殖するようなもので、人数が多い場合などには時間短縮になる)
2.鬼の入れない領域やハンデを課してその力を制限するもの(地表より高い構造物などの上など)
3.子のうちの小数が鬼に対抗できる力を持つもの
4.鬼の力を奪い取るものや鬼と子の力が互角のもの
このようなバリエーションを考えるのも仲間と遊ぶ時の面白さの一つだった。

「鬼ごっこ」の発展形である「かくれんぼ」!!

「かくれんぼ」の光景

「かくれんぼ」の光景

かくれんぼ(かくれんぼう、隠れん坊)も、古来よりの伝統的な子供の遊びであり、全国的に有名である。鬼が目をふさいでいる間に子が隠れ、後に鬼がそれを見つけだすという単純なルールであるが、派生したルールを持つ遊びも多い。「かくれご」とも呼ばれる。なお、日本以外にもほぼ同様のルールのものが多数存在する。
かくれんぼにも明確なルールは存在しないが、一般的なルールだと、次のようなものになる。
かくれんぼは2人以上によって行われ、1人の鬼(親ともいう)と残りの子に分かれる(人数が多い時は鬼を複数人にすることもある)。最初の鬼はじゃんけんなどによって決めることが多い。
鬼は壁や柱といった、もたれかかることができる場所に顔を向け、腕で目をふさぎ、あらかじめ決められていただけの数を大声で数える。この声が聞こえている間に子は鬼に見つからないような場所を見つけ、潜む。子が潜むことができる範囲ははっきり決まっていないことが多いが、一般には鬼が数を数える声が聞こえる範囲、というのが不文律的に定められている。

私たちも昔はだいぶ遊んだが、中には隠れている間に仲間をどうしても見つけられなくて、果ては誘拐かもしれないとみんなあせったが、その仲間の家に行くとひょっこり出てきたことがあった。
勿論、その仲間は親御さんからこっぴどく叱られたそうです!!。

これまた「鬼ごっこ」の発展形の一つ「ケイドロ・ドロケイ」!!

「ケイドロ・ドロケイ」をするなら公園

「ケイドロ・ドロケイ」をするなら公園

ケイドロもしくはドロケイは、「鬼ごっこ」の発展系。ケイドロという呼び名は多人数を「警察」チーム(鬼)、「泥棒」チーム(子)に分けて行う「鬼ごっこ」で、警察の「ケイ」と泥棒の「ドロ」を組み合わせている。私は今まで「ドロケイ」と呼んできたが、「ケイドロ」と言う人が多いようで若干ショックを受けた。
「ケイドロ」の基本ルールは下記のようなものであり、地域によってもかなり差異がある。
1.遊び仲間を「警察組」「泥棒組」に分け、警察組の者が泥棒組の者を”全員逮捕”しなければならない。警察組は一定の場所に逮捕した泥棒組の者たちを”留置”する「牢屋」を定める。
2.警察組の者は、泥棒組の者をタッチする(触る)ことで「捕まえた」ことになる(牢屋まで連行しないと捕まったことにならないルールもある)。
3.泥棒組は”逮捕”された仲間をタッチすれば、逮捕は無効になる。牢屋にいたとしてもタッチすれば開放される。(脱獄も簡単!!)

言わば、鬼ごっこの団体戦であり、子供心にも絶えず良い作戦を練ることも重要であった。

「ケイドロ・ドロケイ」をもう1ランクアップさせた「水雷艦長」!!

「艦コレ」って「水雷艦長」が基ですかね?!

「艦コレ」って「水雷艦長」が基ですかね?!

2~3年前に「艦隊コレクション」というアニメをTVで見た時、私はこれは「水雷艦長」が基になっているんじゃないかと疑って見ていましたが、どうやら違うようですね(私の早ガッテンなのですが・・・)。
水雷艦長(すいらいかんちょう)または駆逐戦艦(くちくせんかん)は、軍艦の艦種ごとの特性をじゃんけんのような三すくみで応用した、鬼ごっこと戦争ごっこを併せた日本の子供の屋外遊びの一種である。第二次世界大戦前から昭和40年(1965年)代に入った頃まで男の子の間で盛んに遊ばれた。
二組に分かれ、それぞれの組で(a)戦艦、(b)駆逐艦、(c)潜水艦、各若干名の3種類の役を割り振り、戦艦は敵の駆逐艦を、駆逐艦は敵の潜水艦を、潜水艦は敵の戦艦を撃沈することができ、戦艦が全員撃沈された(戦艦役が捕らえられた)組が負けとなる。追いかけて触れば撃沈=沈没で捕えたことになる。また、同じ艦艇同士の場合は、その場でじゃんけんをして勝てば相手を撃沈したことになるルールも存在した。「沈没」ではその場にしゃがみこみ、「基地」(陣地)を設けた場合には沈没ではなく抑留となり、戦艦が他の艦艇を救出できる。
野球帽や体操帽子などで各々がどの艦船を担当するのか区別させていた記憶がある。これも戦略を練ることが重要になっていた。

禁じられた遊びになってしまった「長馬跳び」!!

めずらしい女の子だけの「長馬跳び」の光景

めずらしい女の子だけの「長馬跳び」の光景

「長馬跳び」は今の若い方々にはあまり知られていない遊びかも知れないが、私たちの頃には、ごく当たり前の遊びだった。しかし私が小学校の高学年になった頃に、危険だと言われ始め、まもなく禁止になってしまった遊びだった。あまり多人数で乱暴にやったら、危険だろうという考えは、冷静な時の子供心にも芽生えていたのは確かである。
ルールはごく、簡単!!
まず、二人ずつジャンケンをし、勝ち(=馬跳び)チームと負け(=馬)チームに分ける。各々4、5人づつが一番良い(馬が長くなると跳ぶ側はそれだけ勢いよく跳ばなければならないし、馬側はその衝撃に耐えなければならないから)。
そして広場の傍らに、寄りかかれるような太い木か柱か壁のあるところを探す。馬側の1人がそれを背にして広場に向って立つ。ちょうど馬の首にあたるポジションだ(ここにその組の一番弱そうな仲間を立てるのが良い戦略)。
一番目の馬になる子が、その立ってる子の股に首を突っ込んで下を向いて踏ん張り、馬になるわけで、立ってる子の足を両手でしっかり抱えると安定させる。二番目の馬の子は一番目の馬の子の尻の後ろから首を突っ込んで、同じく前の馬の足を抱えて踏ん張る。これの繰り返しである。
馬の首の子が馬の準備状況を見て、「いいぞう!」と宣言する。
そこで、馬跳びチーム側の子供は馬の最後尾側から小走りに走って、1回だけ馬の背に手をついて跳び箱の要領で馬の首に向かってポーンと跳ぶのであるが、できるだけ馬の首のそばまで跳んで、次に跳ぶ子のスペースを確保しなければならない。馬が長ければ長いほど、勢いをつけて跳ばなければならないのである。そして、跳び乗った後、わざと尻をグリグリさせて馬を痛めつける輩もいるが、この位は序の口である。ただ、馬に跨った尻が落ち着いたら、しつこくやってはならないのが暗黙のルールだった。

跳ぶ側が失敗して馬から落ちたら跳ぶ側の負け。跳び乗られて誰かがつぶれれば馬側の負けだ。
全員が順々に跳び乗って、馬側もつぶれたりしなければ、「馬の首の子」と「馬とび側の最後尾の子」がジャンケンをする。
勝った側が馬跳び側になり、この一連の行為が続くのである。
当然、馬はしっかり耐えてつぶれてはならないし、馬跳び側は思いっきり跳ぶのだが、目測をあやまたないよう加減して上手く跳び乗らなければならない。まさに体力と根性と正確な運動動作が要求されたのである。そしてうまくやればチームワークも湧いてきて何やら一体感も味わえたのだ。

「長馬跳び」は禁止になった理由をご存知ですか??

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