世界一性格の悪い男 鈴木みのる
主な獲得タイトル
キング・オブ・パンクラシスト第2代王者
【新日本プロレス】
第46代IWGPタッグ王座(パートナーは高山善廣)
2011年G1 TAG LEAGUE優勝(パートナーはランス・アーチャー)
【全日本プロレス】
第35代、第42代三冠ヘビー級王座
第55代世界タッグ王座(パートナーは太陽ケア)
第81代アジアタッグ王座(パートナーはNOSAWA論外)
2009年、2010年チャンピオン・カーニバル優勝
【プロレスリング・NOAH】
第23代GHCヘビー級王座
第10代GHCタッグ王座(パートナーは丸藤正道)
【プロレス大賞】
2004年度 / 技能賞、最優秀タッグチーム賞(パートナー高山善廣)
2006年度 / 最優秀選手賞(MVP)
2008年度 / 最優秀タッグチーム賞(パートナー太陽ケア)
鈴木みのる-創ってきた道-
新日本プロレス
国体2位という実績を残して卒業後、
新日本プロレス入門。
1988年6月23日横浜文化体育館、
飯塚孝之戦でデビュー。
同年10月22日、飯塚戦で初勝利。
1989年3月15日愛知県体育館、
第1試合でアントニオ猪木と対戦。
・この試合を迎えるまでに鈴木は成績73戦1勝64敗8分と散々な成績でしたが、首脳陣、マスコミからの評価は非常に高く、ライバルの佐々木健介とのシングルマッチは「前座の名物カード」と呼ばれていた。
また、この頃アントニオ猪木は、2月の両国大会で長州力との一騎打ちに敗れてから1からの出直しとして、越中、馳、中堅外人選手などと第1試合でシングルマッチを続けていました。
この「1からの出直し」に噛みついた形でデビュー間もない鈴木が猪木と対戦することとなる。
ちなみに結果は、7分48秒弓矢固めでアントニオ猪木の勝利でした。
同年3月16日、横浜文化体育館で飯塚戦を逆十字で破りデビュー2勝目を収めたのを最後に新日本を退団。
その後はUWFへ新たな理想を追い求めるために移籍したのでした。
UWF~藤原組
田村潔司のデビュー戦を務め、UWF移籍後初勝利を飾る。
同年11月29日東京ドーム、
負傷欠場となった船木誠勝の代役で後の好敵手、モーリス・スミスと異種格闘技戦で対戦。
結果は4ラウンドKO負け。後に鈴木は「スミスの強さにビビって大観衆の前で泣いて自らリングに寝転がった」と語っている。
1991年3月、UWFを退団し、船木らと共にプロフェッショナルレスリング藤原組に参加する。
1992年10月東京ドーム大会、
ソウルオリンピック、レスリング金メダリストのゴベリシビリ・ダビッドと対戦し、裸絞めで勝利する。
・藤原組はプロレスの神様カール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。
アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せていたようです。
1993年1月、船木らと共にさらなる理想を求め、藤原組を退団。
パンクラス
同年9月21日、旗揚げ戦の第1試合にて稲垣克臣にチョークスリーパーで勝利。
1993年11月神戸大会、
モーリス・スミスとキックボクシング・ルールで対戦し、3RTKO負け。
1994年5月武道館大会、
モーリス・スミスと再戦し、3R腕ひしぎ十字固めで勝利。
U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たす。
1995年5月13日東京ベイNKホール、
ケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなる。
1995年9月日本武道館大会、
バス・ルッテンにフロントチョークスリーパーで敗退し、キング・オブ・パンクラシストから転落。
1996年1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦をフランク・シャムロックと行うが敗退。
以降、首の負傷(ヘルニア)が原因で連敗を重ね、6月にはデビュー半年の近藤有己にまで敗退。同年10月より長期欠場した。
1997年5月、ジョエル・サトゥン戦で復帰するも、同年7月負傷が再発し再び欠場することとなる。
以後、山宮恵一郎や、冨宅飛駈などに敗北。
その後は「キャッチレスリング」という組み技限定ルールとエキシビションを中心に活動。
・指導者としては「出稽古禁止」などのルールを設けたが、これはパンクラスの練習を疎かにして他の所に練習に行くという行為を認めなかったというもの。
しかしマスコミや一部の練習生からの反発もあり、引退していた船木にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまう。
2002年11月横浜大会、
獣神サンダー・ライガーに勝利。
本来はライガーではなく、佐々木健介と対決する予定であったが、同年9月に健介が負傷。その後、健介が新日本プロレスを退団したため、ライガーが代役として出場した経緯があった。
また、このライガー戦を最後に、パンクラスを含めて総合格闘技の試合は行っていない。
(エキシビション・マッチ=非公式試合は有)
2003年4月、パンクラスのプロレス部門として、
「パンクラスMISSION」を立ち上げた。
新日本プロレス、プロレスリング・NOAH
成瀬昌由戦より古巣・新日本プロレスに参戦。
2004年7月10日プロレスリング・NOAH東京ドーム、
IWGPタッグ王座を持ちパートナーの高山善廣と共にプロレスリング・ノアに参戦。
同年11月新日本プロレス、
IWGPヘビー級王座を懸けて念願の佐々木健介との対戦を実現させる。
2005年1月8日プロレスリング・NOAH日本武道館、
小橋建太とのGHCヘビー級タイトルマッチを行った。
同年6月18日プロレスリング・NOAH、
丸藤正道と組んでイギリスまで出向き、スコーピオ、ダグ・ウィリアムス組と戦い勝利し、GHCタッグ王座奪取。
2006年2月11日後楽園、佐々木健介20周年自主興行に参戦。
全日本プロレス
メインイベント三冠ヘビー級選手権試合終了後、勝利した小島聡を背後からスリーパーで絞め上げ、参戦を表明。
同年4月のチャンピオン・カーニバルより全日本が主戦場となる。
同年9月3日札幌メディアパーク・スピカ大会、
太陽ケアを破り、三冠ヘビー級王座を奪取(第35代)
2007年1月4日新日本プロレス東京ドーム、
永田裕志と三冠ヘビー級王座戦を行い、勝利。
2008年4月20日全日本プロレス後楽園大会、
太陽ケア、NOSAWA論外、MAZADA、TAKEMURAと共に「GURENTAI」結成。
同年6月17日後楽園ホール、鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」を開催し、モーリス・スミスとのエキシビションマッチ、高山善廣とシングルマッチを行った。
2009年8月30日全日本プロレス両国大会、
プロレス復帰した船木誠勝とタッグマッチで対戦。
(鈴木みのる、蝶野正洋組 vs 船木誠勝、武藤敬司組)
2010年4月11日全日本プロレス、
チャンピオンカーニバル決勝で船木誠勝を破り、大会史上3人目の連覇を達成した。(対船木戦初勝利)
同年5月2日愛知県大会、
浜亮太を破り第42代三冠ヘビー級王者となる。
2011年5月8日プロレスリング・NOAH有明コロシアム大会、
杉浦貴のGHCヘビー級選手権に挑戦し敗北。
同年6月、全日本プロレスとの常時出場契約が満了し、19日の両国国技館大会で渕正信とのシングルマッチで対戦。
試合後「新しい実がついたら(選手が育ったら)収穫に来てやる」とコメントを残し全日本に別れを告げた。
新日本プロレス~鈴木軍結成
同年6月18日大阪府立体育会館大会より新日本プロレスに本格参戦する。
同年6月25日、2回目の自主興行「PAILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~」を開催。
鈴木は里村明衣子と組み、高山善廣、栗原あゆみ組とのミックスドタッグマッチで試合をした。
また、無期限謹慎中だったNOSAWA論外をリングに上げ(NOSAWA1人で、KIKUZAWA、高山、鈴木の3人と続けてシングルマッチを行う「3人掛け」をその場で組み)、NOSAWAのプロレス界復帰の後押しを行なった。
同年10月、ランス・アーチャーとのタッグでG1タッグリーグに出場し、決勝でジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組を破り、リーグ優勝を果たす。
2012年1月4日、棚橋弘至の持つIWGPヘビー級王座に挑戦したが敗北。
2013年5月3日、オカダ・カズチカの持つIWGPヘビー級王座に挑戦したが敗北。
2014年6月8日、直前の横浜アリーナ大会でCHAOSを裏切り鈴木軍入りした飯塚高史とタッグを組み、矢野・桜庭らとの抗争を開始する。
同年7 - 8月、4年連続でG1 CLIMAXに出場したものの、5勝5敗(勝ち点10)で予選リーグ敗退となった。
また、G1公式戦のA.J.スタイルズとの試合が、レスリング・オブザーバー紙年間最優秀試合(Match of the Year)に選出される。
同年11月9日、中村あゆみとのコラボ興行「あゆみのるPresents"風になれ"フェスティバル」を開催。
鈴木軍(鈴木、TAKAみちのく、タイチ組)のボスとして自身に縁のあるGURENTAI(高山、NOSAWA論外、MAZADA組)と試合した。
2015年1月4日東京ドーム、
桜庭和志と3カウントと場外カウントなしの完全決着ルールで対戦し勝利し一連の抗争に決着を付けた。
1月4日東京ドームを最後に、鈴木軍としてあらたな戦いの場を求めて航海に出る。
鈴木軍~プロレスリング・NOAH
以降、現在に至るまでノアに参戦している。
同年3月15日、丸藤正道を破り第23代GHCヘビー級王座となった。
現在も王座として防衛を重ねるとともに、鈴木軍としてプロレスのリングを力で引っ掻き回している。
実業家としての道-パイルドライバー誕生-
株式会社パイルドライバー
〒150-0001 東京都渋谷区 神宮前6-27-8 京セラ原宿ビルB1
2015年4月28日GRANDOPEN !!!
プロレスファンには最新の鈴木軍グッズが買える場所として。
そうでない人も、グッズ以外にもカッコいいアイテムがトコロ狭しと並んでいるので、渋谷~原宿あたりに行った際には要チェック。
生年月日:1968年6月17日
出身地:神奈川県 横浜市
身長:178cm
体重:102kg
所属:パンクラスMISSION
サンミュージックプロダクション
プロレスデビュー:1988年6月23日