【プロ野球】全球団からホームラン!交流戦以前に達成したたった3人の選手
2022年11月24日 更新

【プロ野球】全球団からホームラン!交流戦以前に達成したたった3人の選手

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団からホームランを記録するには、セ・パ各2球団以上に所属し、ホームランを複数本打てるだけの長打力を維持する必要がありました。あの落合博満も達成できなかった大記録。記録した選手はわずか3人です。その強者3人とは誰でしょうか?

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日本ハム時代

1976年に日本ハムファイターズに移籍。この時のトレード相手はあの張本勲で、張本 vs. 富田、高橋一三の1対2トレードでした。初年の4月に、いきなり古巣南海からホームランを記録。パ・リーグ全球団ホームランを達成します。

1976年4月24日 南海ホークス

日本ハム時代がキャリアのピークで、打率は、1976年8位1977年6位1978年8位とトップ10の常連でした。

中日時代

1981年に中日ドラゴンズに移籍。現役最後の球団です。

全球団ホームラン達成まであと2球団。この年は、わずか3ホームランに終わりますが、うち2本が残る2球団からで、最後の巨人で見事、史上2人目の全球団ホームランを達成しました。

1981年5月22日 大洋ホエールズ
1981年8月26日 読売ジャイアンツ


因みに、全球団ホームランを達成した1981年8月26日はプロ野球史で最も記憶に残る1日の一つです。まず、チームメイトの宇野勝が起こした「宇野ヘディング事件」が正に同日でした。また、チームは異なりますが、江本孟紀の「ベンチがアホやから野球がでけへん」発言もこの日だったと言われています。
法政三羽ガラス

法政三羽ガラス

加藤秀司(加藤英司)

阪急時代

加藤秀司(加藤英司)は、1968年ドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。1969年、1970年は出場試合数は少なかったものの、1971年には、西本幸雄監督が3番打者に大抜擢します。期待に応え、リーグ2位の打率.32125ホームランを記録。その年は見事、2年ぶりのリーグ優勝を果たします。また、敵チーム全球団からのホームランも達成しました。

1970年9月27日 南海ホークス
1970年10月7日 東映フライヤーズ
1971年5月3日 西鉄ライオンズ
1971年5月11日 近鉄バファローズ
1971年6月11日 ロッテオリオンズ


その後の阪急での活躍は言うまでもなく、1973年に首位打者1975年はMVPと打点王1976年も打点王を獲得。タイトル争いの常連となります。中でも、1979年の記録は凄まじく、打率.364で首位打者104打点で打点王を獲得ホームランは自己最多の35本を記録するも、トップのマニエルにわずか2本及ばず、三冠王は逃しています。
阪急時代の加藤秀司

阪急時代の加藤秀司

広島時代

1983年に、14年間在籍した阪急を離れ、広島東洋カープに移籍。シーズン半ばで病気療養したものの、4月〜5月だけで、敵チーム5球団からホームランを記録します。残るは、自身が所属した阪急と広島だけです。

1983年4月17日 中日ドラゴンズ
1983年4月23日 大洋ホエールズ
1983年5月14日 ヤクルトスワローズ
1983年5月22日 阪神タイガース
1983年5月26日 読売ジャイアンツ

近鉄時代

翌1984年に近鉄バファローズに移籍すると、4月早々、古巣の阪急からホームランを記録。パ・リーグ全チームからのホームランを達成しました。

1984年4月28日 阪急ブレーブス

巨人時代

近鉄には2年在籍したのみで、再びセ・リーグに移籍。今度は、読売ジャイアンツです。出場機会に恵まれず、ホームランは3本に終わりますが、5月に最後の1球団、広島からホームランを放ち、全球団ホームランを達成しました。

1986年5月10日 広島東洋カープ

翌年は南海ホークスに移籍し、その年に引退。現役最後の数年は移籍ばかりでしたが、阪急黄金時代の強打者として今も必ず名前が挙がる名選手です。
2011年5月7日「阪急ブレーブス蘇る黄金の70's」より

2011年5月7日「阪急ブレーブス蘇る黄金の70's」より

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