日本ハム時代
1976年に日本ハムファイターズに移籍。この時のトレード相手はあの張本勲で、張本 vs. 富田、高橋一三の1対2トレードでした。初年の4月に、いきなり古巣南海からホームランを記録。パ・リーグ全球団ホームランを達成します。
1976年4月24日 南海ホークス
日本ハム時代がキャリアのピークで、打率は、1976年8位、1977年6位、1978年8位とトップ10の常連でした。
1976年4月24日 南海ホークス
日本ハム時代がキャリアのピークで、打率は、1976年8位、1977年6位、1978年8位とトップ10の常連でした。
中日時代
1981年に中日ドラゴンズに移籍。現役最後の球団です。
全球団ホームラン達成まであと2球団。この年は、わずか3ホームランに終わりますが、うち2本が残る2球団からで、最後の巨人で見事、史上2人目の全球団ホームランを達成しました。
1981年5月22日 大洋ホエールズ
1981年8月26日 読売ジャイアンツ
因みに、全球団ホームランを達成した1981年8月26日はプロ野球史で最も記憶に残る1日の一つです。まず、チームメイトの宇野勝が起こした「宇野ヘディング事件」が正に同日でした。また、チームは異なりますが、江本孟紀の「ベンチがアホやから野球がでけへん」発言もこの日だったと言われています。
全球団ホームラン達成まであと2球団。この年は、わずか3ホームランに終わりますが、うち2本が残る2球団からで、最後の巨人で見事、史上2人目の全球団ホームランを達成しました。
1981年5月22日 大洋ホエールズ
1981年8月26日 読売ジャイアンツ
因みに、全球団ホームランを達成した1981年8月26日はプロ野球史で最も記憶に残る1日の一つです。まず、チームメイトの宇野勝が起こした「宇野ヘディング事件」が正に同日でした。また、チームは異なりますが、江本孟紀の「ベンチがアホやから野球がでけへん」発言もこの日だったと言われています。
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加藤秀司(加藤英司)
阪急時代
加藤秀司(加藤英司)は、1968年ドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。1969年、1970年は出場試合数は少なかったものの、1971年には、西本幸雄監督が3番打者に大抜擢します。期待に応え、リーグ2位の打率.321、25ホームランを記録。その年は見事、2年ぶりのリーグ優勝を果たします。また、敵チーム全球団からのホームランも達成しました。
1970年9月27日 南海ホークス
1970年10月7日 東映フライヤーズ
1971年5月3日 西鉄ライオンズ
1971年5月11日 近鉄バファローズ
1971年6月11日 ロッテオリオンズ
その後の阪急での活躍は言うまでもなく、1973年に首位打者、1975年はMVPと打点王、1976年も打点王を獲得。タイトル争いの常連となります。中でも、1979年の記録は凄まじく、打率.364で首位打者、104打点で打点王を獲得。ホームランは自己最多の35本を記録するも、トップのマニエルにわずか2本及ばず、三冠王は逃しています。
1970年9月27日 南海ホークス
1970年10月7日 東映フライヤーズ
1971年5月3日 西鉄ライオンズ
1971年5月11日 近鉄バファローズ
1971年6月11日 ロッテオリオンズ
その後の阪急での活躍は言うまでもなく、1973年に首位打者、1975年はMVPと打点王、1976年も打点王を獲得。タイトル争いの常連となります。中でも、1979年の記録は凄まじく、打率.364で首位打者、104打点で打点王を獲得。ホームランは自己最多の35本を記録するも、トップのマニエルにわずか2本及ばず、三冠王は逃しています。
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広島時代
1983年に、14年間在籍した阪急を離れ、広島東洋カープに移籍。シーズン半ばで病気療養したものの、4月〜5月だけで、敵チーム5球団からホームランを記録します。残るは、自身が所属した阪急と広島だけです。
1983年4月17日 中日ドラゴンズ
1983年4月23日 大洋ホエールズ
1983年5月14日 ヤクルトスワローズ
1983年5月22日 阪神タイガース
1983年5月26日 読売ジャイアンツ
1983年4月17日 中日ドラゴンズ
1983年4月23日 大洋ホエールズ
1983年5月14日 ヤクルトスワローズ
1983年5月22日 阪神タイガース
1983年5月26日 読売ジャイアンツ
近鉄時代
翌1984年に近鉄バファローズに移籍すると、4月早々、古巣の阪急からホームランを記録。パ・リーグ全チームからのホームランを達成しました。
1984年4月28日 阪急ブレーブス
1984年4月28日 阪急ブレーブス
巨人時代
近鉄には2年在籍したのみで、再びセ・リーグに移籍。今度は、読売ジャイアンツです。出場機会に恵まれず、ホームランは3本に終わりますが、5月に最後の1球団、広島からホームランを放ち、全球団ホームランを達成しました。
1986年5月10日 広島東洋カープ
翌年は南海ホークスに移籍し、その年に引退。現役最後の数年は移籍ばかりでしたが、阪急黄金時代の強打者として今も必ず名前が挙がる名選手です。
1986年5月10日 広島東洋カープ
翌年は南海ホークスに移籍し、その年に引退。現役最後の数年は移籍ばかりでしたが、阪急黄金時代の強打者として今も必ず名前が挙がる名選手です。
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