力道山に憧れ来日した【大木金太郎】馬場・猪木と“若手三羽烏”と呼ばれた
2019年6月14日 更新

力道山に憧れ来日した【大木金太郎】馬場・猪木と“若手三羽烏”と呼ばれた

力道山が誕生した後、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の二人のスター候補が日本プロレスに入団する前に、力道山を崇拝し、祖国韓国を離れ、プロレス界に足を踏み入れた一人の男がいました。その男とは頭突きだけでトップに駆け上がった大木金太郎です。ほぼ同じ時期に入団した馬場・猪木と共に若手三羽烏と呼ばれました。彼の人生は壮絶そのものでした。

994 view

大木金太郎とはどんなプロレスラー

 (2112368)

大木金太郎のプロフィール

大木金太郎は、1029年(昭和4年)2月24日に韓国で生を受けました。韓国名は「金一(キムイル)」と言います。韓国の猛虎と言われ、シルムの選手であった。シルムとは韓国の相撲のようなものです。

1958年大木金太郎が29歳の時に漁船で日本への密入国をしました。翌年逮捕されるのですが、祖国の英雄である「力道山」に憧れ、プロレス入りを願っていました。大木金太郎は収容所で力道山に対し、嘆願書を書いたことから力道山が身元引き受け人になりました。

当時日本プロレスのコミッショナーであった副総裁大野伴睦(おおのばんぼく)代議士に頼んで釈放してもらいました。これを機に大木金太郎は1959年に日本プロレスに晴れて入団できました。

大木金太郎のパッチギ

猪木、大木金太郎を語る

韓国名金一(キムイル)は、背も大きいことから、大木金太郎とリングネームがついたと言われています。これは釈放する代わりに、韓国名を用いることを厳禁にしたからとも言われています。

崇拝する師匠力道山から「オマエは朝鮮人なんだから頭突きでやれ」と言われたことを頑なに守り、練習はサンドバッグ相手に頭突きを繰り返した。パッチギとは頭突きのことを韓国語であり、街の喧嘩ではメジャーの技の一つでした。

頭突きを鍛えるのに、ゴルフパターやバットで、師匠の力道山に頭を毎日叩かれ、血が吹き出てもシゴキは続けられました。頭に塩を塗りながら繰り返したようです。

若手三羽烏

当時のプロレスは今のように飛んだり跳ねたりすることは少なく、高度な技の応酬や受け身などは不要で、大木金太郎のように前に前にいくプロレスが主流でした。
大木金太郎は、持ち前の大柄な体格を活かし数ヶ月後には前座でデビューしました。

1960年にはジャイアンツのピッチャーだった馬場正平(のちのジャイアント馬場)と力道山がブラジルに行った時に、見つけた若者猪木寛至(のちのアントニオ猪木)が入団し、日本プロレス三羽烏と呼ばれました。

大木金太郎はスパーリングの相手として、馬場や猪木とやっても組み伏せるほど実力はあり、猪木のデビュー戦の相手は大木金太郎でした。この時、馬場は高待遇で練習場にはマンションから通い、月給50000円でジャイアンツ時代と同じでした。しかし猪木は、いつも厳しく稽古をつけられ、練習場に住み込み、力道山の付き人までしていました。給料などなく小遣い程度だと猪木は語っています。

その時に大木金太郎と猪木は同じ部屋で、将来の夢を語り、とても仲が良かったそうです。

力道山の後継者を目指した大木金太郎

 (2112371)

ブックとセメント

プロレスの試合は、いつも勝敗が決まっていて「ブック」と言われています。それは八百長ではありません。興行ですので、お客さんを楽しませるのが一番なのです。しかし、前座試合までは「ブック」はほぼ決まっていないし、メイン試合で出る技は出してはいけないので、基本技だけで試合を構成しないとなりません。

そうなると実力で決まることが多く、目が肥えたファンは前座こそ面白いという人もいました。ちなみにこのガチンコで戦うことを「セメント」と言われていました。そんな中、大木金太郎は実力を発揮するわけですが、ゴングが鳴ったら頭突きで、相手を圧倒し、倒れたら寝技でグランドに持ち込むスタイルなので、決してお客さんを楽しませるスタイルではなく、華が無い選手でお客さんを呼べるスター選手にはなれませんでした。

力道山死去

1963年大木金太郎に転機が訪れました。当時提携していたロサンゼルスのWWAに武者修行に行き、日系アメリカ人ミスター・モトとタッグを組んで、12月10日にUSタッグ王座を獲得しました。

しかし喜びもつかの間、崇拝する力道山が刃物で刺されて死亡したと訃報を受けたのです。大木金太郎は傷心のまま、力道山という拠り所を失い、母国である韓国に帰国しました。

韓国で「大韓プロレス」を旗揚げしました。当時の朴大統領がプロレスの大ファンであったことから、うまく軌道にのり、「2代目力道山」襲名の話が出るほどの人気者になりました。

日本プロレスの崩壊

力道山の死後、日本プロレスは求心力を失い、豊登が社長兼エースで立て直しもはかるも、アメリカでヒールとして活躍し、力道山以来のインターナショナル・ヘビー級王者になったジャイアント馬場が帰国すると、豊登は追放されました。

アントニオ猪木「東京プロレス」旗揚げ

豊登は策略をはかります。なんとアメリカから帰国するアントニオ猪木をハワイで口説き落とし、東京プロレスを旗揚げしたのです。

日本プロレスは、馬場と猪木の二枚看板で建て直そうとしましたが、それは実現せず、急遽「大韓プロレス」でパッチギ王として力道山の後継者になりつつある大木金太郎を呼び戻しました。これで馬場・大木の二枚看板となり、大木金太郎は日本プロレスのNo.2になりました。

人気絶頂「BI砲」

27 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

テレビ朝日『プロレス総選挙』アントニオ猪木が「史上最高のプロレスラー」に決定!

テレビ朝日『プロレス総選挙』アントニオ猪木が「史上最高のプロレスラー」に決定!

テレビ朝日で、現役・OBレスラー200人と、ファン1万人がガチで投票した『プロレス総選挙』が放送され、「史上最高のプロレスラー」がランキングが明らかになった。
red | 1,881 view
蘇る金狼!上田馬之助!馬場、猪木を巻き込んだ「日本プロレス密告事件」やレスラーとしての活躍を振り返る!

蘇る金狼!上田馬之助!馬場、猪木を巻き込んだ「日本プロレス密告事件」やレスラーとしての活躍を振り返る!

長らくプロレスのリングでヒールとして活躍した金狼こと上田馬之助。ジャイアント馬場やアントニオ猪木らと画策した日本プロレスの一部幹部への退陣要求。後に上田馬之助による裏切り行為があったとされ「日本プロレス密告事件」と呼ばれる一件などを並木モッズのイラストで振り返る。
並木モッズ | 2,059 view
力道山なら勝てる!アメリカに勝てる! 敗戦で傷ついた日本人に勇気を与えたヒーロー

力道山なら勝てる!アメリカに勝てる! 敗戦で傷ついた日本人に勇気を与えたヒーロー

敗戦により荒廃し、占領された日本で、からだの大きな外人レスラーを叩きのめして、投げつけることで、鬱積とした日本人の感情を力道山は爆発させ勇気を与えた。
RAOH | 6,649 view
プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その1日本人ヘビー級編

プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その1日本人ヘビー級編

WBCの延長で放送時間がゴールデンから一気に深夜番組となってしまった「プロレス総選挙2017」!!こんな結果だったと言うお知らせとマツド・デラックス的にあたしの独断でそれぞれの部門のベスト10を作ってみたわ!これはひとそれぞれ好きな人が違うから皆ににも投稿してもらいたいわよ!
アントニオ猪木の燃える事件簿1  プロレスラー時代編

アントニオ猪木の燃える事件簿1 プロレスラー時代編

1960年代にプロレスラーになってから、1989年に国会議員になるまでのアントニオ猪木のまとめ。 「プロレスこそすべての格闘技の頂点」、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」というストロングスタイルのプロレスで、人々を熱狂させ、現在の総合格闘技の源流となる異種格闘技戦を行った燃える闘魂の事件簿。
RAOH | 25,428 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト