日本サッカーが「世界一」に最も近付いた99年!小野ら黄金世代がワールドユースで躍進!
2016年12月4日 更新

日本サッカーが「世界一」に最も近付いた99年!小野ら黄金世代がワールドユースで躍進!

11,969 view
続く、準決勝。対するは古豪ウルグアイ代表だった。
ウルグアイ代表は細かいパスでの連携から日本サイドに攻め込むが、日本の堅い守備の前に決定的なシュートには繋がらなかった。そして、前半23分に左サイドを駆け上がったドリブラー本山の折り返しを高原が決めた。これで日本代表は6試合連続の先制ゴールとなり、チームの勢いと決定力の高さを印象付けた。

だが、その1分後に同点とされ、試合は振り出しに。しかし、前半35分に永井雄一郎のゴール前での相手DFを揺さぶるフェイントから2点目が生まれた。この永井の大会初ゴールが決勝点となり、日本サッカー界の歴史を塗り替えたとも言っても大げさではない、「決勝進出」の快挙を達成した。

日本vsウルグアイ 1999ワールドユース 準決勝

ただ、この試合で常にチームを牽引してきた小野伸二が決勝トーナメント累積2枚目の警告を受け、決勝の舞台には立てなくなってしまった。
「誰が小野の代わりを務めるのか」もしくは「誰が小野の代わりを務められるのか」といった不安がチームとサポーター、日本で応援するファンの間で広がった。

決勝の相手はスペイン!当時からFCバルセロナで活躍していたシャビも出場!

4月24日、”小野抜き”で迎えたスペイン代表との決勝戦。
高原がキャプテンマークを巻き、選手がそれぞれ「やってやるぞ」と引き締まった表情で試合に臨んだ。

しかし、試合開始からスペイン代表との実力差が露呈することとなった。

前半4分と14分に立て続けにゴールを奪われる日本代表。
スペイン代表は、当時FCバルセロナで既にレギュラーとして試合に出ていたシャビなど多くのスター候補が出場しており、個人能力でも日本代表を圧倒していた。

サイドから中央からと自由自在に、日本ゴール前へボールを運ぶスペイン代表に対して日本代表はなすすべなく、前半が終わった段階で0-3と大差をつけられた。

後半も開始早々に、スペイン代表による日本ゴール前での華麗な短いパスの交換時、二列目から飛び出してきたガブリに4点目を決められてしまう。
その後、懸命にボールをスペインサイドへ運ぶ日本代表。本山や播戸のドリブルでなんとかゴール前に迫り、混戦からのこぼれ球を遠藤がシュートし、ゴールかと思われたがスペイン代表DFがクリア。決定機を逃してしまう。

日本代表は徐々にボール保持率を高め、左サイドの本山を中心に攻め込むがあと一歩、スペインDF陣を崩せず、無得点で試合が終了。
結果、0-4の惨敗で日本代表の挑戦が終わりを迎えた。
優勝し、トロフィーを掲げるスペイン代表

優勝し、トロフィーを掲げるスペイン代表

GKには1999年にレアルマドリードのトップチームに昇格したカシージャスも名を連ねていた。
シャビは2000年のシドニーオリンピックで銀メダルにも...

シャビは2000年のシドニーオリンピックで銀メダルにも輝いた!

2010年にワールドカップで優勝する素地はこの頃からあったと思われる。

日本vsスペイン 1999ワールドユース 決勝

2010年、遠藤保仁は「Number」のインタビューで、サッカー人生で一番印象に残っているゲームにこのスペイン代表戦を挙げていた。

遠藤はワンボランチで中盤の要として活躍したが、「あそこまでボッコボコにやられて、ボロ負けした試合は今までないからね。俺も何もできずに終わったんで……」とコメントし、「正直、スペインの完成度や個人能力の高さをすごく感じた。例えば、シャビは体格的にそんなに大きくないし、見た目も強い感じはしないけど、ここぞという時はしっかり身体を張って、当たり負けしなかったからね。当時はバルサのトップチームに入りたての頃だと思うけど、やばいって思っていた」と当時を振り返った。
遠藤保仁

遠藤保仁

大会の「ベストイレブン」に小野と本山が選出された!

大会のベストイレブンには、攻撃的MFとしてダイレクトパスや巧みなゲームメイクで日本代表に貢献した小野伸二と何度も鋭いドリブルで相手チームを脅かしたMF本山雅志が選出された。

後年、本山はこの選出を「たまたま」と表現しているが、大会を通じて随所に個人能力の高さを見せていた。
また、当時の代表チームの雰囲気や選手層の厚さにもコメントし、「あのチームはやっていくなかでみんな成長していったし、みんなうまかった。シンジ(小野伸二)もタカ(高原直泰)も、(小笠原)満男も。DFラインもみんな頑張ってたし、南(雄太)も、ソガ(曽ヶ端準)ちゃんもいたし。ヤット(遠藤保仁)がボランチで、イナ(稲本潤一)が出られないくらいのメンバーでしたから。」と振り返っている。
本山雅志

本山雅志

小野伸二

小野伸二

34 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

フランスW杯直前、Jリーグデビューから11日後の高校生が日本代表デビュー!市川大祐!

フランスW杯直前、Jリーグデビューから11日後の高校生が日本代表デビュー!市川大祐!

1998年のフランスワールドカップを前に、高校生ながら代表へ招集された清水エスパルスの市川大祐。同じく10代だった天才・小野伸二と共に日本代表の試合に出場。カズと同じく、惜しくもワールドカップ直前に代表落ちするも日韓ワールドカップで活躍した。
ひで語録 | 2,739 view
天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

サッカー元日本代表で北海道コンサドーレ札幌のMF・小野伸二(44)が3日、明治安田生命J1の最終節・浦和レッドダイヤモンズ戦で、現役ラストマッチを迎ました。
隣人速報 | 404 view
「サッカー王国」静岡県出身!往年のJリーガーでベストイレブンを考えてみた!

「サッカー王国」静岡県出身!往年のJリーガーでベストイレブンを考えてみた!

今年はワールドカップ2018ロシア大会がありますね~!そこで今回は、主に90年代に活躍した静岡出身のサッカー選手で、勝手にベストイレブンを考えてみました(^^)/ 是非読んでみてくださいまし~!!
つきねこ | 13,514 view
遡るシリーズ!【1993年・平成5年】のアレコレを振り返る

遡るシリーズ!【1993年・平成5年】のアレコレを振り返る

この年はアメリカでビル・クリントンが大統領に就任し、世界貿易センター爆破事件が発生しました。国内ではJリーグが開幕し、レインボーブリッジが開通しました。そんな1993年を振り返ってみたいと思います!
つきねこ | 10,874 view
あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

ワールドカップ出場が夢のまた夢だった時代があった。それはついこないだのようだが、1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』から20年が経つ。サッカー日本代表の1997年アジア最終予選を時間軸に沿って振り返ってみる。
ひで語録 | 5,549 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト