(※2)パウル・バドゥラ=スコダ
1927年10月6日、ウィーン生まれ。オーストリアのピアニスト・音楽学者。1945年からウィーン音楽院で学ぶ。1949年にヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンらの指揮者と共演した。2019年9月25日、ウィーンの自宅で死去した。
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(※3)ブルーノ・マデルナ
1920年4月21日、 ヴェネチアに生まれ。イタリアの現代音楽の作曲家・指揮者。
1973年11月13日、ドイツのダルムシュタットにて没。
1973年11月13日、ドイツのダルムシュタットにて没。
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スウェーデン国籍を取得
フジコ・ヘミングは、16歳の時に中耳炎が悪化して、すでに右耳の聴力を失っていた。そして、左耳の聴力も失ってしまった。演奏を断念して、治療のためスウェーデンに移住した。
フジコは、40歳の時に、父親の後妻の助力でスウェーデン国籍を取得した。
フジコは、40歳の時に、父親の後妻の助力でスウェーデン国籍を取得した。
ラ・カンパネラ 1973
フジ子・ヘミング (アーティスト, 演奏), リスト (作曲) 形式: CD
ピアニスト、フジ子・ヘミングによるライヴ音源を収録したアルバム。1973年イイノホールでのリサイタル、1998年の奏楽堂でのリサイタル、2004年芸術劇場でのコンサートの模様を収録。 (C)RS
フジ子・ヘミング (アーティスト, 演奏), リスト (作曲) 形式: CD
ピアニスト、フジ子・ヘミングによるライヴ音源を収録したアルバム。1973年イイノホールでのリサイタル、1998年の奏楽堂でのリサイタル、2004年芸術劇場でのコンサートの模様を収録。 (C)RS
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日本へ戻り、60代で大ブレーク
1993年に母・大月投網子が亡くなったのを機に1995年に日本に戻る。
母が残した下北沢の自宅に住み、母が留学時代に購入し、日本に持ち帰った「ブリュートナー社製」のピアノを弾きながら、同居する25匹の保護猫と暮らしていた。
1999年に放映されたNHKドキュメンタリーETV特集「フジコ――あるピアニストの軌跡――」により、彼女の音楽に対する世間の関心が高まる。デビューCD「ラ・カンパネラ」は200万枚以上を売り上げた。
母が残した下北沢の自宅に住み、母が留学時代に購入し、日本に持ち帰った「ブリュートナー社製」のピアノを弾きながら、同居する25匹の保護猫と暮らしていた。
1999年に放映されたNHKドキュメンタリーETV特集「フジコ――あるピアニストの軌跡――」により、彼女の音楽に対する世間の関心が高まる。デビューCD「ラ・カンパネラ」は200万枚以上を売り上げた。
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フジコ・へミングは2001年6月にニューヨークの カーネギーホールで演奏した。
60代で大ブレークした。2013年に自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を発足。
フジコ・へミングは、90歳まで世界各地で演奏を続けた。そして聴力は左耳だけ、それも普通の人の30%しか聴こえない。
60代で大ブレークした。2013年に自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を発足。
フジコ・へミングは、90歳まで世界各地で演奏を続けた。そして聴力は左耳だけ、それも普通の人の30%しか聴こえない。
クリスチャンで菜食主義者。愛煙家だったが、89歳で禁煙した。愛猫家であり、動物愛好家でもあった。チャリティーコンサートを定期的に行い、ドイツには彼女の名前を冠した動物愛護団体があるという。演奏については「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」と豪語している。
フジコ・ヘミングは、運命に翻弄された数奇な生涯をピアノで表現した。その生き様と音楽で多くの人々を感動させる「魂のピアニスト」として広く知られている。
2024年4月21日に膵臓がんのため死去。92歳没
フジコ・ヘミングは、運命に翻弄された数奇な生涯をピアノで表現した。その生き様と音楽で多くの人々を感動させる「魂のピアニスト」として広く知られている。
2024年4月21日に膵臓がんのため死去。92歳没
フジコ・ヘミング公式サイト
日本で最も支持されるクラシックピアノの偉才、イングリッド・フジコ・ヘミング公式サイト。公演チケットや最新情報、グッズの情報を掲載。
Paul Badura-Skoda (アーティスト), Ludwig van Beethoven (アーティスト) 形式: CD