松木安太郎【サッカー】の現役時代ってどんな選手だったの?監督歴や名言も
2020年10月5日 更新

松木安太郎【サッカー】の現役時代ってどんな選手だったの?監督歴や名言も

松木安太郎さんと言えば、サッカー解説者としてお馴染みの方ですが現役時代を知る人は少ないのではないでしょうか。この記事では、松木安太郎さんの選手時代や監督時代の紹介や解説者としての名言などをお届けします

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松木安太郎のプロフィール

松木 安太郎(まつき やすたろう)

生年月日:1957年11月28日
出身地 :東京都中央区日本橋
身長  :168cm
利き足 :右
ポジション:ディフェンダー

松木安太郎の現役時代

サッカーファンも、そうでない方もほとんどの方が松木安太郎さんの顔と声は知っているのではないでしょうか。

W杯など、日本全体がサッカーで熱狂するたびに小気味良いトークと、サポーターが思っている事を代弁してくれる親しみやすさから、人気の解説者として有名です。

しかし、松木安太郎とはどのような人物なのか?となると閉口する人が多いはず。

そこで、まずは松木安太郎さんの現役時代にスポットを当てて簡単に解説していきましょう。

松木安太郎はサッカーブーム以前に活躍していた選手

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松木さんは小学校時代からサッカーを始め、中学進学と同時に読売サッカークラブ(ユース)に加入しています。

中学校までは、ポジションはディフェンダーではなくゴールキーパーで他のポジションには目もくれず、キーパー一筋でプレイしていたそうです。

高校生に進学したタイミングで、指導者のバルコム氏によってディフェンダーへとコンバートを勧められた事をきっかけに、キーパーからディフェンダーへと転向し、その後は引退までディフェンダーとしてプレイする事となります。

高校2年になると、ユースチームからトップチームへと昇格した事で練習量が多くなり、通常の高校生活を送ることが困難になった為、堀越高等学校へ転校して「芸能コース」で高校生活を送っています。

読売サッカークラブに在籍したまま、高校を卒業し日本体育大学へと進みますが大学3年で中途退学。

松木さんを指導していたバルコム氏によって、日本サッカーリーグにデビューして1976年に晴れてサッカー選手として活躍の場を与えられる事となります。

しかし、バルコム氏による松木さんの抜擢には疑問を持つ人も少なくなかった(技術的に松木より優れた選手がいた)ため、批判的な声もあがりましたが期待に応える形で実力を付けていき、1983年からはキャプテンとしてチームをまとめる立場にまで成長を遂げます。

松木さん率いる読売クラブは、日本サッカーリーグで3度の優勝に輝き、天皇杯やJSLカップなどでも優勝を果たしています。

持前の明るさとキャプテンシーでチームを引っ張り、1984年~1986年までは「日本代表メンバー」としても活躍。

引退までに国際Aマッチに合計12試合出場した経歴を持っています。

松木安太郎の恩師フランツ・ファン・バルコム

キーパー志望だった松木さんをディフェンダーへと転向させ、大学を辞めて実力が伴わない内から周りの反対を押し切り日本サッカーリーグへと招いてくれたのがフランツ・ファン・バルコム氏でした。

バルコム氏は、オランダ生まれのサッカー指導者で読売クラブでは1973年~1975年まで読売クラブで監督を務めた人物です。

監督を辞任するタイミングで松木さんの起用を提言していて、前監督の意向を受けた形での抜擢で松木安太郎という選手は日の目を見ることが出来たのです。

バルコム氏はその後も世界各国でサッカー指導を行い、日本でもJリーグのコーチや監督としてその手腕を振るっています。

残念ながら2015年9月2日に逝去されていますが、松木さんにとっては人生を変えてくれた恩人にあたる人物と言っても過言ではない指導者です。

松木安太郎の引退後~監督として就任~

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松木さんは1990年に現役を引退していますがそのまま読売サッカークラブのコーチに就任しています。

コーチとしてチームを支える立場となり、1990年~1992年までを過ごしますがJリーグ元年でもある1993年、読売サッカークラブ改め「ヴェルディ川崎」の監督に就任します。

この時、松木安太郎35歳。

若すぎる監督として話題を呼び、その手腕に注目が集まる中で松木さんはヴェルディ陣営にある男を迎え入れます。

コーチとして迎えれたのは「フランツ・ファン・バルコム」その人で、オランダ人コーチとオランダ人プレイヤーをチームに入れて、ヨーロッパで主流だった組織的なサッカーをチームに組み込もうとしました。

この若き監督の方針に、選手は反発。

Jリーグ開幕からチームの主力が反発から欠場するなどのアクシデントがあり、1stステージは優勝を逃してしまいます。

しかし2ndステージでは選手らの声に耳を傾けて方針を転換、チーム一丸となったヴェルディは優勝をもぎ取り、Jリーグの初代王者という称号を手にしました。

2年目も監督を続投し、チームを連覇へと導き2年間の監督業から退きました。

ちなみに1998年にはセレッソ大阪の監督に、2001年には東京ヴェルディ1969の監督に就任していますが、どちらも結果が振るわず短期間(1年・半年)で解任されています。

2年連続優勝という華やかな経歴と、1年も持たずに解任されるという黒歴史。

松木監督の手腕については、ファンや専門家の間でも評価に賛否両論あるようです。

松木安太郎と言えばサッカー解説!名言や迷言を紹介

松木安太郎さんと言えば、やはり個性的なサッカー解説が魅力です。

一部のファンからは「ただのうるさい騒音」や「当たり前の事しか言わない」などと揶揄される事もありますが、松木さんは【あえて】簡単で判りやすい言葉を選んで実況していると語っています。

地上波で、しかも代表戦などはサッカーを良く知らない視聴者も多い事を考慮して、専門用語や難しい事はあえて解説せずに、感情のおもむくままに「応援」をしているのだそうです。

筆者もサッカーファンの端くれですが、松木さんの解説に対してはすでに抗体が出来てしまったのか、最近では全く気にならなくなりましたが皆様はどうでしょうか。

松木節とも言われる様々な名(迷)言をいくつか紹介しておきましょう。

キーパーさえいなければ・・・

まずは、伝説とさえ言われている迷実況から。

アジアカップ2011「日本×ヨルダン」戦で岡崎選手がシュートを外した時に思わず漏れた言葉が

「岡崎いけっ!×3 あぁ・・ダメかー。でも今キーパー居なかったら入ってましたよ!!」

とても小学校から中学校までキーパー一筋だった方の発言とは思えないですよね(汗)

解説者としての職務放棄

アジアカップ2011「日本×シリア」戦での一幕。

ゴール前にシリアの選手が飛び込んできて、川嶋選手と衝突したプレイがあり、視聴者もオフサイド(シリア側の反則)だと思っていた所、判定は川嶋選手の反則で一発退場。

この時、試合を見ていた視聴者は状況が飲み込めず何が起こったのかを知りたかったのですが・・

なんなんすかこれ!なんなんすかこれ!!」⇐松木さんの解説です。

それは、私たちが思っている事です松木さん。

解説者はその疑問を解説するお仕事では(汗)

取り敢えず連呼する

松木さんの解説ではしばしば同じ言葉の連呼も見られます。

例えば「PK!!PK!!PKだろ今のは!PK!」のようなパターンや

ハンドだ!今のハンドだろ!ハンドじゃないか?ハンドだろ!」などです。

文字に起こすと全てが迷言にしか見えてこないのですが、視聴者の気持ちを代弁しているという意味でこちらは名言としてご紹介致します。
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