19歳で日本代表に初選出された戸塚哲也!読売クラブでのプレイに支障が出るからと代表を辞退!
2017年2月15日 更新

19歳で日本代表に初選出された戸塚哲也!読売クラブでのプレイに支障が出るからと代表を辞退!

読売クラブ、ヴェルディ川崎で活躍したMF戸塚哲也。読売クラブではラモスやジョージ与那城とブラジル流のサッカーを構築。繊細なボールタッチでゴールを量産した得点王でもあった戸塚哲也をまとめる。

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戸塚哲也

1961年4月24日生まれ。東京都出身。
都立世田谷工業高校自動車科卒。元日本代表。

【個人データ】
身長:174cm
体重:70kg
ポジション:MF
ヴェルディ時代の戸塚哲也

ヴェルディ時代の戸塚哲也

【所属クラブ】
・読売クラブ(1979-1992) ※ユースにはそれ以前から所属
・ヴェルディ川崎(1992-1994)
・柏レイソル(1994)
・ワールドブリッツ小山(1996)
「カルビーJリーグカード」裏面

「カルビーJリーグカード」裏面

”チーム生え抜きのベテラン。ドリブル、キープ力はチーム一。攻撃的として、ラモスとのコンビは見ていて楽しみさえ与えてくれる。”

(カード文面を引用)

18歳と1日で日本サッカーリーグデビュー!

読売クラブの下部組織出身。
1979年4月25日の東洋工業戦において、18歳と1日で日本サッカーリーグデビューを飾る。これは当時の最年少出場記録でもあった。

1981年にスペインのバレンシアCFにサッカー留学を行う。
帰国後、後楽園球場で行われたハレルヤ蹴球団との試合で30mのミドルシュートを決め、決定力の高さを実証した。

キミは読売サッカークラブを知っているか?④

1:04~ 与那城ジョージからのスルーパスを戸塚が見事に決めるシーン。
3:26~ ゴール前の混戦から、戸塚が見事なトラップでゴール。
1983年に監督に就任したルディ・グーテンドルフによってMFからFWへコンバート。ポジションの変更は当時読売クラブでエースFWであったラモスとの単純な入れ替えであったと評す向きもあるが、翌1984年に14得点を上げリーグ得点王に輝いている。

日本リーグ末期からJリーグ黎明期の読売クラブ/ヴェルディ川崎の黄金期を支えるエースストライカーであった。当時日本屈指のキープ力と称され、その懐深いドリブルは相手DFから球を奪われることは殆どなかった。

キミは読売サッカークラブを知っているか?⑤

3:35~ 武田からのパスを受けた戸塚がゴール。

19歳で日本代表に選出!

1980年、19歳の若さで日本代表に初選出される。

「1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選」では、風間八宏、金田喜稔といったテクニシャンと共に中盤を形成。しかし、中国に敗れ予選突破は成らなかった。

その後も代表へ度々選出され、背番号10番を背負う事もあったが、1983年に個人的な理由から辞退した事で、それ以降数年間代表へ招集される事はなかった。

しかし1985年に行われた「1986 FIFAワールドカップ・アジア予選」では、当時の監督・森孝慈の強い要望もあり、日本へ帰化したジョージ与那城と共に最終予選東京・ソウルでの韓国戦2試合に出場した。
しかし、日本は2連敗で悲願のワールドカップ出場を逃している。

この頃の戸塚は、読売クラブでは好調さを維持していただけに、早くから戸塚が参戦して代表に溶け込んでいたらと、当時を振り返り惜しむオールドファンは少なくない。

国際Aマッチ、18試合出場で3得点だった。
日の丸を背負ってプレイ!

日の丸を背負ってプレイ!

≪戸塚が日本代表を辞退した理由≫

戸塚さんが日本代表からのオファーを断るようになった訳も、常に読売でジョージさんやラモスと一緒にプレーをしていないと彼らとのサッカーに対応出来なくなってしまうからという、超個人的な理由からだった。

後にも先にも、こんな理由で日本代表を辞退する選手は戸塚さんぐらいしか自分は知らない。

天才肌の選手にはその人だけにしかわからない感性があるのだろう。名誉ある日本代表を辞退するといった行為も、戸塚さんのブレのなさと理想のサッカーへの追及がそうさせた当然の事だったのかもしれない。

Jリーグが開幕し、ヴェルディ川崎でプレイ!

ラモスは読売クラブ時代に居残り練習をしていた時、戸塚や都並敏史らユース世代を交えて遊んでいたという。
戸塚は根っからの読売っ子で、Jリーグが開幕してもヴェルディでプレイを続けた。
しかし、当時32歳だった戸塚は、三浦知良ら現役日本代表を多数擁し、クラブの黄金時代を謳歌するチームにおいて、次第に出番を失うようになった。ヴェルディでは17試合出場で1得点だった。

戸塚と同じくヴェルディに在籍していた北澤豪は、スタメン選手は11以下の背番号という決まりがあったため8番をつけてはいたが、実際に好きな背番号は憧れの戸塚がつけていた「14」だったという。

そして、1994年に出場機会を求め、当時ジャパンフットボールリーグに在籍した柏レイソルに期限付き移籍、その年のJリーグ昇格に貢献した。
その後、1996年に栃木県社会人サッカーリーグのワールドブリッツ小山に移籍。監督兼任でプレイし、天皇杯の栃木県代表へと導いた。

なお、1997年にはビーチサッカーの日本代表として、ポルトガルで行われた世界選手権世界大会に出場している。
ヴェルディ川崎時代

ヴェルディ川崎時代

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