フジテレビにとって特別な「ドハチ」と『オレたちひょうきん族』
先日、21年もの長きに渡ってフジテレビの看板バラエティだった『めちゃ×2イケてるッ!』が数、来年3月をもって終了することが明らかになりました。同番組の放送日時といえば、土曜夜8時台。「ドハチ」と形容されるこの枠は、1981年5月16日から1989年10月14日にかけて放送された『オレたちひょうきん族』の成功によって、フジ内部である種の「神聖視」がされるようになっています。
via www.amazon.co.jp
なぜ、フジの歴史の中で数ある名バラエティを差し置いて、『ひょうきん族』が、そして「ドハチ」だけが特別なのかといえば、ライバル局・TBSの同日・同枠に長年君臨し、全盛期は視聴率50%もたたき出した伝説のオバケ番組『8時だョ!全員集合』を討ち果たしたコンテンツだからに他なりません。
80年代、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチコピーを旗印に、「振り向けばテレ東」と陰口をたたかれる弱小テレビ局だったところから躍進を遂げ、ついには「バラエティといえばフジ」といわれるほどの黄金期を迎えられたのも、この『ひょうきん族』があったからこそなのです。
80年代、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチコピーを旗印に、「振り向けばテレ東」と陰口をたたかれる弱小テレビ局だったところから躍進を遂げ、ついには「バラエティといえばフジ」といわれるほどの黄金期を迎えられたのも、この『ひょうきん族』があったからこそなのです。
オレたちひょうきん族 THE TAKECHANMAN7~VS パーデンネン
via www.youtube.com
『ひょうきん族』でちょっとだけ売れたうなずきトリオ
そんな伝説の番組から羽ばたいていったお笑いタレントは数知れず。ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、山田邦子、片岡鶴太郎…。番組内でとかくフューチャーされた彼らは、『ひょうきん族』が終了した90年代以降もテレビ界のメインストリームで活躍をつづけ、たけし・さんまに至っては未だ、バラエティに出ずっぱりです。
もちろん、「王・長嶋がヒマワリなら、俺は月見草」と語った野村克也氏よろしく、たけし・さんまがヒマワリなら、月見草だった芸人も同番組にはたくさんいます。その代表格が、うなずきトリオです。
もちろん、「王・長嶋がヒマワリなら、俺は月見草」と語った野村克也氏よろしく、たけし・さんまがヒマワリなら、月見草だった芸人も同番組にはたくさんいます。その代表格が、うなずきトリオです。
【80s】 懐いCM 山田邦子 大塚製薬 ファイブミニ
via www.youtube.com
ツービートのたけしじゃないほうのビートきよし、紳竜の紳助じゃないほうの松本竜介、B&Bの洋七じゃないほうの島田洋八という、コンビの地味なほうを集めて結成されたこのコンビ。名前は、「仮にトリオ漫才をしたとしたら、全員ツッコみであるがゆえにうなずいてばかりいるだろう」という紳助の発言から命名されました。
大滝詠一がプロデュースした『うなずきマーチ』なる楽曲で歌手デビューを果たすなどして、ほんのちょっとだけ注目を集めたひょうきん族の月見草だった彼らですが、番組終了後から現在に至るまで、はたして、どのような半生を歩んでいたのでしょうか。今回、一人ずつ紹介していきたいと思います。
大滝詠一がプロデュースした『うなずきマーチ』なる楽曲で歌手デビューを果たすなどして、ほんのちょっとだけ注目を集めたひょうきん族の月見草だった彼らですが、番組終了後から現在に至るまで、はたして、どのような半生を歩んでいたのでしょうか。今回、一人ずつ紹介していきたいと思います。
うなずきマーチ
via www.youtube.com
ビートきよしのその後…
『ひょうきん族』終了後は、主に俳優として活動。NHK大河ドラマ『秀吉』や『世にも奇妙な物語』、『土曜ワイド劇場』といった地上波ドラマに、端役としてちょこちょこ出演していました。また、相方・たけしとの関係はずっと良好で、『北野ファンクラブ』『たけしの誰でもピカソ』といったたけしの冠バラエティへたびたびゲストとしてお呼ばれし、たけし監督の映画『菊次郎の夏』『TAKESHIS'』にも起用されています。
via www.amazon.co.jp
近況としては、2012年11月に書籍『相方~ビートたけしとの幸福』を上梓し、2014年には所属事務所を辞めてオフィス北野へ移籍、2016年にもたけしとの修行時代を描いた『もうひとつの浅草キッド』を出版するなど、徹頭徹尾、「たけしの相方」として芸能界を生き抜いています。この世渡り上手で、良くも悪くもプライドがない性格だからこそ、おらくアクの強い性分であろう鬼才・たけしとも、数十年来上手くやってこられたのでしょう。
via www.amazon.co.jp
島田洋八のその後…
元祖・イケメン芸人として知られる島田洋八ですが、芸人としての華やセンスでは相方・洋七に遠く及ばず、漫才ブーム時代から日陰者扱いでした。1983年にB&Bが解散した後は、ビートきよしと同様、俳優業に注力。さまざまな事業に乗り出しては失敗し、身を滅ぼしていった洋七とは対照的に、堅実なキャリアを歩み、1999年に公開された浅野忠信主演の映画『鮫肌男と桃尻女』では、頭のおかしいホテルの支配人を演じて高い評価を得たりもしました。現在は、歯科医の女性と再婚して、伊豆大島で田舎暮らしをしているといいます。
松本竜助のその後…
さて、最後の一人。もっとも悲惨な人生を辿ったといっても過言ではないのが、この松本竜助です。1985年に紳助から見放されてピン芸人となった彼は、新たな相方とコンビを組んだり、映像制作会社を立ち上げたりしたりしますが、いずれもうまくいかず。実業家としても成功した元相方に憧れたのか、竜助も喫茶店の経営、アダルトビデオの制作など、タレント業のかたわらでサイドビジネスに精を出しますが、やはり失敗続き。1億3000万円もの負債を抱え、ついには、自己破産してしまいます。
cx Saturday Night 2022/4/19 06:28
裏局「8次だヨ全員集合」終焉時・当番の80年代半ばNGやハプニングを裁定する「懺悔室」1984年ころから妹と「ドリフ」vs「ひょうきん」でおふざけの対決
8時からは「おっすとちょうさんがいう!志村けん・加藤茶!」と言おうとすると
「懺悔、たけし・さんま」といって80年代のジャストミドルイヤーで「たかし」と仁丹のcmにたけしがでたのでいもうとの頭を叩きました