イエスの方舟とは?
1980年の今日(2/21):イエスの方舟が狂信的団体として国会で取り上げられた(イエスの方舟騒動)。 #80年代 pic.twitter.com/ojyzVFUgGB
— マイケル上大岡* (Michael Kamiooka) (@cue80s) February 20, 2015
千石剛賢(せんごく たけよし)
やさぐれ紳士録 18
— 実験的銀幕紳士 (@samurai197683) June 20, 2020
『千石剛賢』
″イエスの方舟″の主宰者である。
千石の宗教活動に共感した女性らが、家を捨て居場所を求めて集い共同生活を始めたが、信者の家族が捜索願いを出したこともあり千石はマスコミから集中砲火を浴びる。
しかし何も疚しい所は無く逮捕にも至らなかった。
享年78歳 pic.twitter.com/jNo72xQ9hZ
終戦後は自営業である刃物工場の経営に失敗し、てきや、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始め20代は喧嘩に明け暮れる毎日だった。自分自身の気の短い性格に、いつかは傷害事件を起こしたりして最後は死刑になるのではないかとおびえていたと言う。
夫人と再婚後の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源。
2001年12月11日、福岡市の病院で死去。78歳没。
#俺たちが愛した昭和の女神たち
— フラミンゴ (@MadShingo) August 20, 2020
イエスの方舟
和製チャーリーズ・エンジェル pic.twitter.com/HNJFG0r1lF
信者の多くは若い独身女性で、その後、千石氏の体調が悪化したことと満足な布教活動ができなくなったことを理由に、1978年から千石氏は信者26人と共に全国を転々としはじめています。
「サンデー毎日」1980年発行。特集はイエスの方舟事件。 pic.twitter.com/ufZzXf2E8U
— 古書森羅●古本屋さん (@kosyosinra) May 17, 2019
1980年に「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルで家族の手記を掲載し、千石を邪教の主宰者と糾弾。
そのほか多くのマスコミも、「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現で同調する報道が続きました。
教祖は「娘はここにはいない」と主張、警察までもが出動しましたが、千石氏は男女26名と共に集団失踪、完全に行方をくらませたのです。
名誉毀損、暴力行為などの容疑で5人に対して全国に指名手配がなされました。
ところが、このことが新聞報道された7月3日午後6時50分、千石氏は持病の心臓病から狭心症を発症し緊急入院して、娘たちがマスコミの前に姿を現し会見を行ったのです。
その後、捜索願が出されている娘たちに関しては、親元へ帰されました。
不起訴処分に・・・。
千石氏は、逮捕もされることはなく、会の実態が世間に知られるようになるにつれて、マスコミ報道は沈静化していきました。