2021年12月10日 更新
【訃報】ファミコンの開発責任者・上村雅之さん死去。ディスクシステム、スーパーファミコンなどの開発にも携わる
日本を代表する家庭用ゲーム機・任天堂「ファミリーコンピュータ」の開発責任者で、立命館大学の客員教授などを務めた上村雅之(うえむら まさゆき)さんが、12月6日に亡くなっていたことが明らかとなりました。78歳でした。
【訃報】ファミコンの開発責任者・上村雅之さん死去。
日本を代表する家庭用ゲーム機・任天堂「ファミリーコンピュータ」の開発責任者で、立命館大学の客員教授などを務めた上村雅之(うえむら まさゆき)さんが、12月6日に亡くなっていたことが明らかとなりました。78歳でした。
第一報はこちらです!
上村さんは1943年、東京都杉並区出身。1971年に任天堂に入社し、技術責任者・開発責任者として光線銃シリーズ、ファミリーコンピュータ、ディスクシステム、スーパーファミコンといった家庭用ゲーム機の開発に取り組み、ゲーム業界の発展に大きく貢献しました。その後、2003年には立命館大学大学院先端総合学術研究科教授に就任。コンピュータゲームの学術的研究に尽力し、後進の育成にも力を注いでいました。
上村雅之さんが開発したファミコンの初期を振り返る!!
上村さんが開発責任者を務めた、ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されたのは1983年7月のこと。初期型の「四角ボタン」のファミコンで遊んだ経験のある方も多いかと思います。ここでは、ファミコン初期に発売されたゲームについて軽く思い出しておきましょう。
「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」
1983年7月に、ファミコンと同時に発売されたタイトル(ローンチタイトル)は「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」の3本。既にゲームセンターで稼働していたタイトルを、ファミコンに移植する形で発売されました。
「五目ならべ 連珠」「麻雀」
およそ1か月後の1983年8月には、「五目ならべ 連珠」「麻雀」が発売。「五目ならべ 連珠」は1981年に日本物産が発売したアーケードゲーム「五目並べ 連珠」とほぼ同一の内容でした。また「麻雀」は大人も楽しめる内容だったこともあり、ファミコンの普及に大きく貢献したとも言われています。
「マリオブラザーズ」
1983年9月に発売された「マリオブラザーズ」。先行して稼働していたアーケード版から移植された、マリオとルイージを操作することで敵を駆除していくアクションゲームで、マリオシリーズの記念すべき第1作目でした。
以降、1983年には「ポパイの英語遊び」「ベースボール」「ドンキーコングJR.の算数遊び」が発売され、翌1984年には「ロードランナー(ハドソン)」「ゼビウス(ナムコ)」といった他社のタイトルも登場、ファミコンソフトは一気に多様化し、80年代半ばから後半にかけての一大ブームを構築することとなりました。その結果、家庭用ゲーム機の始祖として歴史に名を刻むこととなった「ファミリーコンピュータ」。その開発に携わった上村さんの功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
久しぶりにファミコンで遊びたくなった方はこちらで!
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