宮沢りえ『NO TITLIST』‐1990年2月15日リリース
当時人気絶頂だった宮沢りえとTKの蜜月は、言うまでもなく、りえのデビューシングル『ドリームラッシュ』によって紡ぎだされました。楽曲のみならず、ジャケ写に衣装、プロモーション手法にまで口を出すという、後の盟友・YOSHIKIもびっくりなトータルプロデューサーぶりを発揮した結果、セールス的に大成功を収めたがために、りえ陣営から高く評価されたのでしょう。
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この宮沢りえ二枚目のシングル『NO TITLIST』で作詞を担当したのは、『ドリームラッシュ』、渡辺美里の『My Revolution』でもTKとタッグを組んでいた川村真澄。
ポジティブソングの代名詞みたいなマイレボと、「今だけ 今のために 生まれてきたはずだから♪」と歌っていた『ドリームラッシュ』、そして「誰かのまねをしたくはない 感じたことしか表現できない♪」と宣言する『NO TITLIST』に見られる個人主義・自分らしさ賛美の川村による歌詞は、いずれも、後にTKが華原朋美の楽曲などで綴った「女の子の自分探し的歌詞」に通じるエッセンスを含んでいます。そう考えると、90年代後半にJKの代弁者となったTKの作詞面に、川村が多大な影響を与えたことはほぼ間違いないでしょう。
ポジティブソングの代名詞みたいなマイレボと、「今だけ 今のために 生まれてきたはずだから♪」と歌っていた『ドリームラッシュ』、そして「誰かのまねをしたくはない 感じたことしか表現できない♪」と宣言する『NO TITLIST』に見られる個人主義・自分らしさ賛美の川村による歌詞は、いずれも、後にTKが華原朋美の楽曲などで綴った「女の子の自分探し的歌詞」に通じるエッセンスを含んでいます。そう考えると、90年代後半にJKの代弁者となったTKの作詞面に、川村が多大な影響を与えたことはほぼ間違いないでしょう。
宮沢りえ NO TITLIST
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田中美奈子『夢見てTRY』‐1990年5月9日リリース
その神がかり的手腕によって、くすぶっているB級~C級アイドルをピカピカのスターへと生まれ変わらせる「音楽界の野村再生工場」的役割を担っていたことが、TKブランドの錦の御旗化、ひいては小室ファミリーブームへとつながっていたことを踏まえると、既に一定の市民権があるアイドル・歌手の作詞・作曲・プロデュースをつとめていた90年代前半は、いわば、TKにとってブレイクスルー前夜期といえるでしょう。有能な音楽プロデューサーではあるものの、無から有を生み出す“カリスマ”ではなかった時代です。
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しかし、そこは後の時代の寵児。既にTM NETWORKのフロントマンとして実績十分だった彼は、この90年代前半も、時代を駆け抜ける助走とばかりに、秀逸な佳曲を次々と生み出していきます。
この当時文化祭クイーンで、瞳に1億円の保険をかけたことでも話題になったアイドル・田中美奈子のサードシングル『夢見てTRY』も軽快なメロディといい、キャッチーなサビといいなかなかの良曲です。
この当時文化祭クイーンで、瞳に1億円の保険をかけたことでも話題になったアイドル・田中美奈子のサードシングル『夢見てTRY』も軽快なメロディといい、キャッチーなサビといいなかなかの良曲です。
田中美奈子 夢みてtry
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郷ひろみ『空を飛べる子供たち~Never end of the earth~』‐1990年6月1日リリース
1986年3月、芸能活動を休止して単身ニューヨークに渡り、1年弱滞在した郷ひろみ。2002年にも再びNYで充電期間を設けるなど、米国に対してことさら思い入れの強いひろみは、1990年6月に27枚目のオリジナルアルバム『アメリカかぶれ』を発表。TKは同作のラストを飾るナンバー『空を飛べる子供たち~Never end of the earth~』という、秋元康が作詞した謎にスケールの大きなタイトルの曲における作曲・編曲を担当しています。
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中山忍『ホタル』‐1990年6月1日リリース
30代を過ぎてから2時間サスペンスの犯人役ばかりやっている女優・中山忍も、ティーネイジャーの頃はアイドル歌手として活動していました。TKが手掛けたのは、サードアルバム『箱入り娘~このままじゃいられないわ』に収録された『ホタル』『僕がむかえにいくよ』。ちなみにこの2曲の編曲は、コラムニスト・ナンシー関から「絵に描いたような小室の腰巾着」と揶揄された久保こーじがつとめています。
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観月ありさ『TOO SHY SHY BOY!』‐1992年5月27日リリース
90年代前半は「アイドル冬の時代」と呼ばれています。たしかに、CoCoやribbon、C.C.ガールズ、桜っ子クラブなどが相次いでデビューしたものの、いずれも小粒な印象で、ムーブメントを起こすまでに至っていないから、そう言われても致し方ありません。
しかし、純粋なアイドルは希少種になるも、一昔前の上戸彩、今の広瀬すず、有村架純のようなアイドル女優的ポジションのタレントはむしろ売り手市場であり、宮沢りえ・牧瀬里穂と共に、「3M」と呼ばれていた観月ありさもその一人でした。
しかし、純粋なアイドルは希少種になるも、一昔前の上戸彩、今の広瀬すず、有村架純のようなアイドル女優的ポジションのタレントはむしろ売り手市場であり、宮沢りえ・牧瀬里穂と共に、「3M」と呼ばれていた観月ありさもその一人でした。
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純粋なアイドルにとって歌は重要なセールスツールですが、演技が本業のアイドル女優にとっての歌は単なる余技に過ぎません。そのため、TKとしても自由に時の売れっ子アイドル女優・宮沢りえ、そして観月ありさを自分色に染め、“調教”することができたのです。この観月4枚目のシングル『TOO SHY SHY BOY!』も、後にTRFで存分に追及することになるダンスフロア志向を垣間見せています。