国語の教科書には、楽しい話、悲しい話、意味が分からない話、いろいろなお話がありましたね。印象深いお話を振り返ってみましょう。
バーボン 2020/8/9 05:14
「かげおくり」の様に
自分の影をジッと見て青空を見上げて
「チョーコベ〜〜」
君はチョーコベーを見たか?
というお菓子のCMあったよね。
くるぴーぬ 2020/6/28 15:35
懐かしいのは、花曇りの向こうかなぁ
とおりすがり 2019/12/12 18:55
モチモチの木…表紙の絵がおそろしく,クラスメートにこわくない?と聞くと「ちょっとこわい」と言われて,ここで読んで初めてあらすじを知りました(笑)
怖い話じゃないじゃないの
もしかしたら子供の心を失ったから怖くないと思ったのかもしれませんが
このラインナップ加えていただきたいと思ったのは「てぶくろをかいに」ですね
絵もかわいらしくて,ストーリーと相俟って今でも大好きなお話です
コスモス 2018/11/21 19:19
小4の教科書だったかな?「ひとつの花」というお話、ご存知の方、いらっしゃるでしょうか?小学生だった当時は、父親の弁当のおにぎりをすべて食べてしまう幼いゆみこの食欲に驚きましたが、大人になって、このお話をネットで検索して読み返してみると、父親の娘に対する無償の愛情が痛いほど伝わってきて、読みながら涙が止まりませんでした。ご存知ない方、昔教科書で読んだという方、今こそ読んでいただきたいお話です。
中学校の教科書で印象深いのは「盆みやげ」かな?えんびフライの描写がなんともおいしそうで・・・
まりっぺ。 2018/10/31 15:07
私の世代は、ガマくんとカエルくんの話と、ごんぎつね・お母さんの木・かわいそうな象。
けんかした山・笠地蔵・大造じいさんとガンなどの名作が、国語の教科書に載ってました!
あと、タイトルは忘れたけど。
中学の頃、「カムチャッカの若者が」というフレーズから始まるポエムも印象的に残ってます。
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1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。
上 先生と私
語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰った後も先生の家に出入りするようになる。先生は奥さんと静かに暮らしていた。毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。私は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する。正月すぎに東京に戻った私は、先生に過去を打ち明けるように迫る。先生は来るべき時に過去を話すことを約束した。大学を卒業した私は先生の家でご馳走になったあと、帰省する。
中 両親と私
語り手は「私」。腎臓病が重かった父親は、ますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。手紙が先生の遺書だと気づいた私は、東京行きの汽車に飛び乗った。
下 先生と遺書
「先生」の手紙。「先生」の手紙には謎に包まれた彼の過去が綴られていた。「K」や「お嬢さん」らとの関係とその顛末、「先生」が「私」に語った謎めいた言葉たちの真相が明かされる。
(出典:Wikipedia「こゝろ」)