『スイミー』(レオ・レオニ)
国語の教科書に掲載されている物語「スイミー」
スイミーは黒い魚で仲間外れにされているんだけど、大きな魚が群れを襲いに来た時に、赤い魚たちで魚のシルエットを作って、黒いスイミーは目の役を担った。
そして、大きな魚は、より大きな魚だと勘違いして怖がって逃げていく。
「スイミー」の文章を読み、スイミーを≪form≫から考えています。≪form≫つまり≪見た目≫からスイミーを見ていくと、「小さい魚」「一匹だけ黒い魚」「体が丸くてしっぽが三角の形をしている魚」といったように、ポストイットにどんどん意見を書いていきます。
今度は、≪change≫や≪function≫の観点からスイミーを読み解いていきます。
1学期に国語でべんきょうした「スイミー」です。
小さないのちでも、力を合わせると、大きな力になることをべんきょうしました。
私たちのクラスは、たった3人しかいませんが、スイミーのように力を合わせてがんばりたいです。
『ごんぎつね』(新美南吉)
国語の教科書にのっていた印象に残っている物語「ごんぎつね」
南吉の出身地である愛知県知多郡半田町(現在の愛知県半田市)岩滑(やなべ)地区の矢勝川や、隣の阿久比町にある権現山を舞台に書かれたといわれている。筆者が村の老人から聞いた話という体裁をとっており、「城」や「お殿様」、「お歯黒」という言葉が出てくることから、江戸時代から明治ごろが舞台となっている。
物語は村の茂平からの伝聞という形式になっている。
両親のいない小狐ごんは村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていた。ある日ごんは兵十が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕った魚やウナギを逃すという悪戯をしてしまう。それから十日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り、後悔する。
母を失った兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込む。翌日、鰯屋に鰯泥棒と間違われて兵十が殴られていた事を知り、ごんは反省する。それからごんは自分の力で償いをはじめる。しかし兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、知り合いの加助の助言で神様のおかげだと思い込むようになってしまう。それを聞いてごんは寂しくなる。
その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、またいたずらに来たのだと思い、ごんを撃ってしまう。兵十がごんに駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸がごんの侘びだったことに気づく。
「ごん、おまえ(おまい)だったのか。いつも、栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずく。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語が終わる。
(出典:Wikipedia「ごん狐」)
印象に残っている、国語の教科書にのっていた物語は?
第1位 ごん狐 58人(11.6%)
第2位 スイミー 34人(6.8%)
第3位 走れメロス 25人(5.0%)
第4位 ちいちゃんのかげおくり 12人(2.4%)
第5位 スーホの白い馬 11人(2.2%)
●ごん狐(新美南吉)
・子どもの頃一番切なく感じた作品で、今でも印象に残っている(男性/31歳/通信)
・やるせない結末と、挿絵の火縄銃から出る煙が忘れられない(女性/28歳/団体・公益法人・官公庁)
多くの人が読み親しんだ「ごん狐」。悲しいラストに、涙した人は多いようです。
『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ)
ちいちゃんのかげおくり
お父さんが出征する前の日のことです。先祖のお墓参りに行った帰り道、ちいちゃんのお父さんは家族に「かげおくり」の遊びを教えてくれました。影法師をじっと見つめて10数え、数え終えたらすぐ空を見上げると影がそっくり空に映って見えるというのです。ちいちゃんとお兄ちゃん、お母さん、お父さんは4人で「かげおくり」をしました。影法師は、まるで記念写真のように空に映りました。
「みどころ」
第2次世界大戦の悲惨さを描く物語。ちいちゃん一家の戦争が、やさしく悲しく描かれます。体の弱いお父さんを戦争に送り、家族3人の暮らしが始まったある夏のこと、ちいちゃん一家は空襲に出会います。空襲で焼け出されたちいちゃんは一人ぼっち。空腹に絶え、生きながらえようとする姿は、多くの戦争孤児たちの姿そのものでした。家族4人のかげおくりが、胸に深く焼きつきます。小学3年生の教科書に掲載されている作品。戦争がどんなものなのか、話し合うきっかけになるでしょう。
――(ブラウンあすか)
出典:絵本ナビ「ちいちゃんのかげおくり」