丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる
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『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』(たんばてつろうのだいれいかい しんだらどうなる)は、1989年制作の日本映画。
心霊学と霊界の研究家としても知られる俳優の丹波哲郎のベストセラー「丹波哲郎の大霊界」の映画化作品。丹波は原作・脚本・総監督も兼任。後に舞台化もされた。
続編『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』(1990年)、『大霊界3』(1994年)も制作された。
配収は9億円で、1989年の邦画配給収入第9位を記録した
【スタッフ】 なんと製作・企画・原案・脚本・総監督・出演と丹波哲郎が6役を兼任!!
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監督: 丹波哲郎
石田照
製作: 古岡滉
丹波哲郎
プロデューサー: 森島恒行
坂美佐子
原案: 丹波哲郎
脚本: 丹波哲郎
溝田佳奈
企画: 丹波哲郎
撮影: 岡崎宏三
音楽: 宮下富実夫
美術: 三上陸男
編集: 白江隆夫
録音: 浦田和治
スクリプター: 古岡秀人
寺山威
東島邦子
早川清
助監督: 服部光則
照明: 下村一夫
【キャスト】
丹波哲郎(吉野博士役)
丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 2006年9月24日)は、日本の俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)出身。身長175cm。血液型はO型。
俳優活動は50年以上で出演した映画は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優。テレビドラマでも活躍し、映画製作にも携わった。オールスターの超大作に相応しい映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で特別出演もした。丹波プロダクション・俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成も手がけており、宮内洋は丹波の一番弟子である。
心霊学と霊界の研究もし、多数の書籍を著しており、『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなった。
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映画『豚と軍艦』(1961年)、『丹下左膳』(1963年)、『暗殺』(1964年)、1963年のテレビ時代劇『三匹の侍』などでスターとしての地位を確固たるものとし[1]、荒くれ者の漁師に扮した『ジャコ万と鉄』や、時代劇映画・ギャング映画・任侠映画など、幅広く出演。1967年にはイギリス映画『007は二度死ぬ』に出演して、国際的に認知された[1]。
1968年から放映されたテレビドラマ『キイハンター』では「黒木鉄也」で主演。黒木のイメージは『007は二度死ぬ』で丹波が演じた、タイガー田中の人物像も反映させている。最盛期の『キイハンター』は視聴率30%を越える人気ドラマとなり、当初1年の予定が5年に延ばされた。『キイハンター』終了後も、丹波は同時間帯でテレビドラマ『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』『Gメン'75』と出演して、TBS系土曜21:00の顔となる。
丹波義隆(曽我隆役)
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1955年、東京都杉並区生まれ。1974年東宝映画『青葉繁れる』でデビュー。趣味はラジコン ・鉄道模型・パソコン・ソシアルダンス。ドラマをはじめ 、旅やバラエティー番組などで活躍する。主な出演作品は、ドラマ『水戸黄門』『はぐれ刑事 純情派SP』『新キッズウォー』、映画『しあわせカモン』『心の隙間』、バラエティ番組『いい旅夢気分』『日曜ビックSP』『海筋肉王バイキング』など。また、講演会なども行う。
俳優・丹波哲郎の長男。異母弟は森正樹。曽祖父は丹波敬三。先祖は丹波康頼(丹波氏)。高校在学中の1973年、大森健次郎監督第1回作品『二十歳の原点』(東京映画)に角ゆり子扮するヒロイン高野悦子の弟役で映画デビュー。ついで岡本喜八監督の東宝映画『青葉繁れる』に名門高校の劣等生役で主演しユニークな個性を発揮した。1977年には『アラスカ物語』(映画)で、丹波哲郎と父子共演を果たしている。
豪華な役者陣
キャストは、主役の物理学者役には丹波哲郎の実子・丹波義隆。ほかに若山富三郎、渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一などの大物を据え、もちろん丹波哲郎も出演しています。公開当時は、丹波哲郎のネームバリューもあってか、劇場に行列ができて立ち見状態だったといわれます。
特別出演に渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一(サニー千葉)等の豪華キャストも!