まずは、相撲初心者の質問ー「お相撲の力士が仕切りで何故塩を撒くのか??」
この占いとしての側面から、取組みの前に「占いの場=神聖な場所」を浄める「清めの塩」として、土俵に塩を撒く風習が生まれたと言われている。
現在の大相撲でも、実は三段目以下の力士は、「塩をまく事ができない」そうだ。幕下になってようやく、しかも、時間に余裕がある時だけまく事ができるのである。
「塩を大量にまいたら相手がビビるかも?」と思い、大量の塩を撒き始めた”旭日松”!!
旭日松(あさひしょう)の塩撒き
旭日松 広太(あさひしょう こうた)
最高位 東前頭11枚目
生涯戦歴 401勝400敗17休(79場所)
幕内戦歴 23勝35敗2休(4場所)
優勝 幕下優勝1回
スローモーション安美錦 - 旭日松 塩まき対決 平成二十九年靖国神社奉納大相撲
ちなみに撒く塩の量は決められてないそうです!!。
私の世代だと、”若秩父”が思い出の筆頭に来る!!
若秩父 高明(わかちちぶ こうめい)
本名 加藤 高明
生年月日 1939年3月16日
出身地 埼玉県秩父市
没年月日 2014年9月17日(75歳)
身長 体重 175センチ 150キロ
所属部屋 花籠
改名歴 若秩父 高明 → 若秩父 清邦 → 若秩父 高明 → 若秩父 浩之 → 若秩父 高明
初土俵 1954年5月
最終場所 1968年11月
最高位 関脇
得意手 左四つ、吊り、寄り
年寄名跡 関ノ戸 高明 → 常盤山 高明
生涯戦歴 570勝527敗5休/1096出(81場所)
Wakachichibu vs. Ohikari : Aki 1958 (若秩父 対 大晃)
『塩などは、安いもんだと、若秩父』
現在、私は若秩父の正確な顔や姿を忘れてしまったようだが、大量の塩を撒く相撲力士として誰を思い出すかと聞かれたら、やはりまず第一に若秩父という名前が蘇ってくる。
きっと子供の頃の”彼の大量塩撒き”に相当大きな衝撃を受けたのだろう・・・!?
オイルショックの余波で塩が”もったいない!”と批判されたこともある”青葉山”!!
青葉山 弘年(あおばやま ひろとし)
本名 高橋 幸一
生年月日 1950年4月3日
出身地 宮城県黒川郡大郷町
没年月日 1997年9月24日(47歳)
身長 体重 187センチ 120キロ
所属部屋 木瀬
改名歴 高橋 幸一 → 青葉山 幸一 → 貴城山 幸一 → 青葉山 弘年
初土俵 1968年11月
最終場所 1982年 9月
最高位 小結
年寄名跡 桐山 弘年 → 桐山 博光 → 浅香山 博光 → 浅香山 雅遂0
1970年代半ばから1980年代にかけて活躍した大相撲力士で、得意手は右四つ、吊り。一部マスコミには起重機と呼ばれていた。
あだ名を「ソルトシェイカー」と命名された”水戸泉”
#水戸泉(錦戸親方)の影響って訳じゃないが
— “文士”(仮)廣目天(仮) (@KoMoku10) May 21, 2018
塩をたくさん撒く力士が好きです
この頃あまりいないなぁなんて
週末早い時間から #相撲 をみていたら
おりました#照強 翔輝 (てるつよし しょうき)
番付十両十三枚目
土曜日は物言いで取り直したんで土俵上は真っ白でした#sumo pic.twitter.com/5TbdjHOtkr
初めの頃は1回目から大きく撒いていたが、後に制限時間いっぱいの時にのみ大きく撒くようになった。1回にとる塩の量は何と600gにもなったという。イギリス巡業で「ソルトシェイカー」と紹介され、日本でも「水戸泉といえば豪快な塩まき」として定着した。同時代で同様に大量の塩を撒く力士には朝乃若がおり、対戦した際には豪快に撒き上げる水戸泉と叩きつける朝乃若の両者の塩撒きに観客が沸いた。
水戸泉 眞幸(みといずみ まさゆき)
本名 小泉 政人
生年月日 1962年9月2日
出身地 茨城県水戸市
身長 体重 192センチ 170.5キロ
所属部屋 高砂
改名歴 小泉 政人 → 水戸泉 政人 → 水戸泉 眞幸
初土俵 1978年3月
最終場所 2000年9月
最高位 関脇
年寄名跡 錦戸 政人 → 錦戸 将斗 → 錦戸 眞幸
得意手は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ。愛称は「水戸ちゃん」、「イズミちゃん」など、趣味は油彩画。