兄弟子『千代の富士』に鍛えられた「努力の人」第61代横綱『北勝海』(現 相撲協会理事長)
2018年1月12日 更新

兄弟子『千代の富士』に鍛えられた「努力の人」第61代横綱『北勝海』(現 相撲協会理事長)

「稽古熱心さでは100人に1人の素材」と言われた第61代横綱『北勝海』。ライバル・大乃国との激戦、兄弟子・千代の富士との優勝決定戦など名勝負やその功績・人柄について紹介。現在は相撲協会の理事長として活躍中だが、その道は前途多難のようである。

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第61代横綱『北勝海(ほくとうみ)』現・八角理事長

北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)

北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)

生年月日:1963年6月22日
出身地:北海道広尾郡広尾町
しこ名:北勝海
初土俵:1979年3月
最高位:第61代 横綱
生涯戦績:591勝286敗109休
受賞歴:優勝8回・殊勲賞3回・敢闘賞3回・技能賞5回
現役時代の体格は身長181cm、体重150kg。
愛称は本名に由来する「ポチ」、海外公演で付けられた「ブルドッグ」。
小学生時代には既に1度北の富士から九重部屋への勧誘を受けていた。
広尾小学校の卒業文集に「将来は相撲取りになって、芝生のある家を建てる」という夢を書いた。
14歳で親元を離れ、九重部屋に入門。
早朝から稽古場で四股を踏み、それが終わると中学校へ通う日々を送る。

中学卒業の1979年(昭和54年)3月場所に初土俵。
後に北勝海と同じ「花のサンパチ組」が次々幕内上位で活躍する事となる。

花のサンパチ組

花のサンパチ組

花のサンパチ組

花のサンパチ組は、1980年代後半から1990年代前半に活躍した昭和38年(1963年)生まれの大相撲力士らを指す。
該当する力士は、
◆北勝海信芳(第61代横綱、現在の年寄八角)
◆双羽黒光司(第60代横綱、現在は立浪部屋アドバイザー)
◆小錦八十吉(最高位大関、現在はタレント)
◆寺尾常史(最高位関脇、現在の年寄錣山)
◆琴ヶ梅剛史(最高位関脇、現在は相撲料理店経営)
◆孝乃富士忠雄(最高位小結、元プロレスラーの安田忠夫)
※寺尾は早生まれで学年は1つ上。

この中から双羽黒・北勝海・小錦の3人を抜き出して、「花のサンパチトリオ」と呼ぶ場合もある。

兄弟子・千代の富士との猛稽古により台頭

素質はそれほどないと言われていたが非常に稽古熱心であり、特に昭和の大横綱と言われる九重部屋の兄弟子・千代の富士との激しい稽古を重ねて強くなり、順調に出世していった。

その稽古熱心さから雑用を免除されており、チャンコ番をさせた兄弟子が千代の富士に叱られたという逸話もある。
北勝海は「千代の富士がいなければ綱などとても取れなかった」と語っている。

【動画】千代の富士 対 北勝海 〜兄弟稽古〜

千代の富士による強烈な ぶつかり稽古。
この猛稽古で、北勝海(当時 保志)は 横綱になれたと言っても過言ではない。
19歳の83年春場所で新十両昇進。同年秋場所で新入幕を決める。
新入幕から所要わずか2場所で小結に昇進。
立ち合いでぶちかまし、突き押しに徹するだけではなく差し手からの寄りなど、馬力にスピードや技能も兼ね備えた取り口。
なにより、闘志を全面に出し、最後まであきらめない気迫あふれる相撲でファンを魅了した。

西関脇だった86年春場所で史上初めて5大関を破り、13勝2敗で初優勝を飾る。同年名古屋場所後に大関昇進。
四股名を保志から北勝海に改名した。

当初は出身地の「十勝(とかち)地方」にちなんで、「北十海」「十勝海」「十勝富士」などが候補だった。
しかし十勝の「十」の字は、『勝ち星が10勝止まりになりそうで止めた方が良い』となり、「十勝」から読みは十(と)ではあるが字は「勝」として、「北勝海」と決まった。

ライバル・大乃国との対決と因縁

同じ北海道十勝地方出身であり、中学時代には地方に名の知れた柔道選手であった一つ年上の大乃国とは新入幕の頃から同郷のライバルと言われていた。
横綱・大乃国

横綱・大乃国

昭和57年春場所新十両、同58年春場所新入幕。
新入幕の年の九州場所で、北の湖・千代の富士・隆の里の三横綱を倒す大活躍。
翌年の春場所では、三横綱三大関を総なめにし、殊勲賞・敢闘賞を受賞。
同60年名古屋場所後大関昇進、同62年夏場所で全勝の初優勝を果たした。
昭和62年秋場所後に横綱推挙。
翌年春場所で二回目の優勝。同年九州場所の“昭和最後の一番”で千代の富士の53連勝に土をつけた。

大乃国逆転優勝(昭和63年春場所)対北勝海戦 - YouTube

千代の富士が休場した場所。千秋楽の時点で星一つリードしていた北勝海だったが、本割、優勝決定戦と大乃国に連敗して劇的な逆転優勝を許してしまう。
北勝海は「あの悔しさは一生忘れない」と語っていた。
初優勝・横綱昇進ともに北勝海の方が大乃国をリードしていたが、直接対決では分が悪く通算成績では14勝20敗と負け越し一番の苦手としていた。
特に1985年3月場所から1986年1月場所まで、6連敗を喫するなど圧倒的な差をつけられていた。
だが、北勝海が横綱昇進した1987年7月場所以降は決定戦を含め8勝6敗(1不戦敗)と力関係が逆転し、さらに1989年1月場所以降の成績は6勝2敗と大きく勝ち越している。

1989年9月場所の千秋楽の結びの一番では、7勝7敗と勝ち越しをかけた大乃国と対戦するも容赦なく下し、これで大乃国は7勝8敗とついに負け越してしまった。
1988年3月場所で「これ以上にない屈辱を受けた」という北勝海が、大乃国に対して『15日制が定着してからは初めての横綱皆勤負け越し』という、それ以上の屈辱を与えることになった。

稽古熱心さと品格の良さが認められ横綱へ昇進

大関昇進後、大関4場所目の1987年(昭和62年)3月場所には、上位陣総崩れの中12勝3敗の成績ながらも6場所ぶり2回目の幕内優勝となる。
自身初の綱獲りだった翌5月場所は、千秋楽で14戦全勝の大乃国と対戦するも寄り倒されて13勝2敗と優勝次点の成績に終わる。
15戦全勝優勝の大乃国とは2勝の差があり、千秋楽の後に日本相撲協会から横綱審議委員会へ諮問するとの公表も「横綱昇進は微妙」と報道された。
しかし、それまでの北勝海の稽古熱心な所と品格の良さが横審委員会から高評価を得たことなどにより、満場一致で同場所後に大関5場所目での横綱昇進が決定した。

横綱昇進時の口上は「横綱の名を汚さぬよう、これからも一生懸命稽古をし努力します」。

平成元年一月場所、怪我から復帰し見事な復活優勝

北勝海vs旭富士 (平成元年一月場所・優勝決定戦)

腰痛による3場所連続全休から再起をかけた平成元年初場所は初日から14連勝と勝ち進み、千秋楽に旭富士に敗れたが優勝決定戦では下し、見事な復活優勝を飾り嬉し涙を浮かべた。
北勝海は現役時代の思い出の1番としてこの場所の旭富士戦をあげている。
北勝海は優勝コメントで「まさか優勝するとは夢にも思わなかった。治療先では会う人全てがとても良くしてくれたから、自分も苦しい治療やリハビリを乗り切れたのだと思う。とにかく復活することが出来て本当に嬉しい。今までに会った人に感謝したい」と喜びを語る前に治療時にお世話になった人たちへのお礼の言葉を述べた。

また、この場所前リハビリから帰ってきた北勝海を見た師匠の九重親方は「以前より胸板が厚くなった。本気でリハビリに取り組んでいたんだ」と喜んだという。

北勝海の真面目さや人柄を感じさせるエピソードである。
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