将棋界の七不思議を追う 「井上慶太九段の謎」
2018年5月15日 更新

将棋界の七不思議を追う 「井上慶太九段の謎」

勝負の世界に偏りはつきもの。しかし偏り過ぎると不思議なもの。古今東西将棋の奇妙、誰が呼んだか七不思議。かつてあったもの今もあるもの、ここに紹介。

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 さて。

 井上慶太九段という棋士がいる。
 兵庫出身、1964年生まれの人物で、2015年から日本将棋連盟理事という役職をもっている人だ。

 1979年、高校1年生の時に棋士育成機関である奨励会に入会。
 小学生の時分から在籍することが決して珍しく無い将棋界において、高校生になってから育成期間に入るのはかなり遅いほうである。

 しかしその才能は入会の遅さというハンデを凌駕していた。人によっては10年以上くすぶり続けたり年齢制限で強制退会となってしまうこともある奨励会を、井上慶太は3年で突破した。
 1983年にプロデビューしてからは新人王戦、若獅子戦などで優勝。
 
 その後も軽快な棋風で安定した勝率を上げ、1993年度には将棋大賞において勝率第一位賞を受賞している強豪棋士のひとりである。

「井上慶太九段の謎」

 そんな井上慶太九段にまつわる《不思議》とは何か。流石にwikiの履歴からほりだしてくるのもなんなので別の百科からご紹介しよう。
タイトル戦には全く縁が無く、順位戦A級や竜王戦1組を経験しながら、タイトル戦の挑戦者決定戦にも進むことができず、将棋界の七不思議とまで呼ばれていた。
 はい。

 棋士というのは将棋を指して勝つというのが本業ですから当然公式戦や大会に出てガツガツ結果をだしていかなければいけないわけです。
 で、結果をだすと必然的に大会で勝ち進んでいくので《タイトル》とか《挑戦》とかそういうことに絡んでいくことになります。

 なるはずなのに。
 井上先生ほどの実力と実績があれば十分なはずなのに。
 なぜかタイトルに絡んでこない。これは不思議だ――
 というのが今回の《不思議》の全貌です。

 もちろんタイトル戦においてまったく活躍していなかったのかと言われるとそういうわけでもなく、
1987年度の第36期王座戦で南芳一、米長邦雄、真部一男を破りベスト4に進出した。翌1988年度の王座戦でも米長らを破りベスト4。
竜王戦のランキング戦では、1993年度(第6期)に5組優勝、1996年度に4組優勝、1999年度に3組優勝、2001年度に2組優勝と、通算4回も優勝している。
 という説明がwikiに乗っています。


 井上先生がタイトル戦で活躍していたのは主に1980年代後半のこと。
 将棋界では大山時代から中原時代、御三家の活躍を経て世代交代が行われや否や――という時分でした。

 この時代になるといくつかの要因から強豪棋士が続出。1987年には7大タイトル在位者が7人になる(二冠三冠保持者がいなくなる)という事態が発生しています。

 そういう事情を考慮すると、たしかに棋戦優勝経験者である井上先生が在位者どころか挑戦者としても登場しないことは界隈の人にとっては《不思議》であったのかもしれません。

《不思議》の原因? ピックアップ:55年組

 さて升田大山時代や中原時代、羽生世代などに比べると一見群雄割拠しているように見えるこの時期のタイトル戦。しかしかの一群にはちょっとした特徴があった。

 塚田泰明が王座を獲得して発生したタイトル7人時代。このうち高橋道雄棋王、中村修王将、そして塚田泰明王座は1980年、1981年デビューと世代が近い。また福崎文吾十段も1978年デビューと割合近くにいる。
 これらの特徴を並べて、誰が言いだしたのだろう彼らは将棋界の《55年組》と呼ばれた。
 1980年代後半のタイトル戦と言うと、百戦錬磨のタイトルホルダー達と《花の55年組》と称された彼らが熾烈な戦いを繰り広げていた舞台である。

 何回か触れているように、この時代のタイトル戦の数は7つ。現行のタイトル戦数と同じである。そこに55年組という〝集団〟の登場でタイトル戦登場人数自体は比較的多くなっている。
 棋士の頭数が充実してきた時代でもある。このタイトル戦の熱気と競争率たるやすさまじいことになっていただろう。

 井上慶太九段も《55年組》に分類されることである。
 デビューこそ1983年(昭和57年)度だが、生まれが1964年なので世代的に並ぶのである。そして《55年組》に数えても良いと思われるほどの活躍をしていた。

 もし《55年組》という集団が存在しなければ、あるいは井上慶太九段の生まれが早いか遅いかすれば、彼がタイトルホルダーになっていたのかもしれない――というような〝if〟は挙げればキリが無い。

それからの井上慶太

 タイトルを7人で分け合う時間は、結果的には約1ヶ月で終了した。
 そして1990年代に入る頃には中原、谷川ら強豪と55年組の激闘のなかに羽生世代が登場してくることになる。

 このあたりの井上慶太は1993年、1995年、1996年と順位戦で大活躍。昇級を重ねて順位戦A級在籍井上慶太八段として名人を射程圏内におさめている。

 またこの頃は90年代名物《居飛車穴熊》の全盛期であったとも言えよう。
 どちらかと言うと奇策扱いされていた居飛車穴熊を整理、体系化したのは《55年組》の〝序盤のエジソン〟こと田中寅彦であった。

 そんななかで井上慶太は〝対居飛車穴熊戦術《藤井システム》の最初の犠牲者となり、47手で敗れる〟という逸話も残している。
 藤井システムはその後の棋界に大衝撃を与えることになるのだが、こういう役割は不本意であったかもしれない。
 もっとも井上慶太が標的にされてしまったのは、彼の居飛車穴熊が強かったから――という理由つきではある。
田中寅彦のウル寅流将棋 居飛車穴熊編

田中寅彦のウル寅流将棋 居飛車穴熊編

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