via www.youtube.com
ストーリーそのものは、ネットに発生・存在する人格という意味で『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』と同系統の物語なのですが、この作品で視聴者に対して常に問いかけられるのは
・『自分』とは何なのか
・他者が見ている『自分』と、己自身が認識している『自分』とは同じ者なのか
・あるいは別の存在なのか
・何を以て『自分』という定義がなされるのか
ということです。
観測者がいてはじめて存在が定義される。というのは量子力学における、いわゆる『シュレディンガーの猫』の命題ですが、観測者が『自分自身』である場合なんともそれはあやふやで不確かで
いっそ他者が観測する『自分』のほうが確かなのじゃないだろうか。
とすら考えさせられます。
ここまでとことん一つの命題を突き詰めた哲学アニメは、他にはなかなかないと思われます。
先見の明を感じる作品です。
1998年当時と比べて、現代の方が理解しやすい作品です。
スマホの普及でネット利用は当たり前になり、ネット人格は増え続けています。
そう遠くない未来に、「lain」のような世界観が現実になってくるかも・・・
この作品の構成の複雑さと極めて無機質に統一された表現手法は、非常に人を選ぶと思います。好きな人はとても好きという作品ですね。もし興味がありましたら、ご覧ください。
ワタクシのレベルでは評価が難しい作品です。
このまとめを見ても何だかよく分かりませんね。どれだけ正しいことが書けているのかも自信ありません!すいません!
1998年当時と比べて、現代の方が理解しやすい作品です。
スマホの普及でネット利用は当たり前になり、ネット人格は増え続けています。
そう遠くない未来に、「lain」のような世界観が現実になってくるかも・・・
この作品の構成の複雑さと極めて無機質に統一された表現手法は、非常に人を選ぶと思います。好きな人はとても好きという作品ですね。もし興味がありましたら、ご覧ください。
ワタクシのレベルでは評価が難しい作品です。
このまとめを見ても何だかよく分かりませんね。どれだけ正しいことが書けているのかも自信ありません!すいません!
「みんなは、本当はアプリケーションでしかないとか・・・」
「私は誰なの?」「私はどこにいるの?」
理解が難しいですね。
今後、ネットとリアルがますますシームレスに融合していき
ネットの別人格、アプリケーション・プログラムのようなネットだけの存在、人間として、アイデンティティとしての肉体と精神の重要性と限界、これと物理的な制約を越える可能性としてのネットがつながって、価値がどう高まっていくか。
自分でも何を書いているのやら・・・
この作品は、いろいろなメッセージが込められているように思いますが、受け手に任せている部分も多いように思います。