「コント55号 」の特別番組で久米宏と萩本欽一が、「ぴったし カン・カン」以来32年ぶりに共演!!
NHKは、久米が現在も萩本、故坂上二郎さんへの敬意を抱き続けていることを知り、出演を要請。
久米はNHKからの出演オファーに「最初、冗談かと思いました。こんなことは2度とないと思います。事故みたいなものです」と驚いている。また、「オンエアを見たら僕の出演シーンが全部カットされているんじゃないかと、半信半疑ですよ」と弱気な発言をしつつ、「民放出身としては、NHKは人的にも予算的にも余裕があるんだな、と思いました。やや嫉妬です」と遠慮がないコメントをした。
久米とNHKの因縁を聞いて萩本は「よく来てくれたね、倍うれしいよ」と、自分に近い方の久米の腕をギュッと握った。また、「“ぴったし カン・カン”の久米さんのテンポが好きだった。みんなが“萩本さん”と呼ぶ中で“欽ちゃん、ダメ!”と突っ込んでくれて快感もあった」と当時の様子を振り返った。
コント55号の魅力について聞かれた萩本は「やっぱり坂上二郎さんっていうのは偉大だったなぁ」とつぶやいた。
番組はほかにも、萩本が55号のアドリブ満載のコントをタレントや俳優に徹底指導するコーナーがあり、映像に残っていない幻のコントに、小倉久寛、劇団ひとり、風間俊介、前野朋哉らが挑戦する。
熱く指導する萩本を見ていた久米は「若い俳優さんたちを本気で怒っていましたからね(笑)。でも(コントの)打ち合わせはほとんどないのによくみんな頑張りましたよ」とコントに挑戦した4人に感心。さらに、久米は、「考える間を与えないと人間何するかわからない。人間考えるとダメなんですね。思わずやっちゃったことってとっても面白いですよね」と感慨深げに語った。
コント55号
コント55号
当たりギャグは「なんで(ど~して)そうなるの!」(萩本)、「飛びます!飛びます!」(坂上)。
1966年、営業先の熱海つるやホテルで「机」の一人コントを考案した萩本が、早速以前出演していた浅草松竹演芸場に売り込みをかけようと準備をしていたところ、たまたま浅草フランス座時代に幕間コントで競演した坂上から電話があり、この電話で坂上の助演が決定。10月に浅草松竹演芸場の上席前座として「机」を演じたところ、反応が今一つだったため、三日目に役を入れ替えたところ好評を博し、五日目には正式に香盤表に載る事となり、この時支配人から「コント55号」と名付けられた。
【コントについて】
コントの筋は、坂上扮する善良な普通の一市民が、萩本扮する異常な人物に振り回される内容が多く、所々オーバーな動きがコントに抑揚を付けていた。特に日劇出演を契機に、動きが大きくなり特徴の一つとなった。とりわけ、萩本のツッコミは執拗で、かつ想定外のものが多かった。萩本が演じる狂気の世界が日常とのギャップもあり、坂上が狼狽もしくは苦笑する事で、十分笑いは取れていた。しかし、これに坂上が倍返しともいえるナンセンスなボケで対処し、笑いを増幅させた。(なお、本筋では坂上がツッコミで萩本がボケである。)ビートたけしは55号の笑いについて「萩本さんのセンスと坂上さんの芸に尽きる」と分析している。
『ぴったし カン・カン』
タレントだけでなく一般人も出場していた視聴者参加型番組。殆どの期間においては久米宏が司会を、コント55号の萩本欽一と坂上二郎がチームキャプテンを務めていた。
クイズ番組ならではのスリルを味わうような肩肘張った内容ではなく、大喜利的な要素を持つトーク重視の
内容だった。久米は、この番組での軽妙洒脱な司会ぶりで全国的な人気を得た。