エレキ・ブームを牽引
ベンチャーズ ダイヤモンド・ヘッド~パイプライン
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今やエレキギターは、ポップス・ロック・ジャズ・フュージョンなど、様々な現代音楽には欠くことのできない楽器ですよね。このエレキブームが日本で広がりだしたのは、「ベンチャーズ」や「ビートルズ」が来日した1960年代のことでした。
彼らが演奏する姿に魅入られた多くの若者が、楽器店に駆け込んでエレキギターを購入したそうです。この時、「ビートルズ」といった輸入アーティストではなく、国内でも「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」から「ザ・タイガース」・「ザ・テンプターズ」・「ザ・スパイダース」などといった、いわゆるグループ・サウンズが台頭しました。
そして、日本の若者を夢中にさせたグループ・サウンズとは一線を画して、活動を続けていたのが、正統派エレキギターとも言える演奏を聞かせていた「加山雄三」さんや「寺内タケシ」さんでした。ブームが去って次々とグループ・サウンズが姿を消す中で、「加山雄三」さんや「寺内タケシ」さんといった流れが、エレキ・サウンドを牽引していったのです。
1970年代の「三大ギタリスト」というと、「ジェフ・ベック」・「ジミー・ペイジ」・「エリック・クラプトン」。更に「ローリング・ストーンズ・「レッド・ツェッペリン」・「ディープ・パープル」・「KISS」・「クイーン」などの海外人気バンドの活躍も、日本人のエレキギター・ブームに拍車をかけました。
彼らが演奏する姿に魅入られた多くの若者が、楽器店に駆け込んでエレキギターを購入したそうです。この時、「ビートルズ」といった輸入アーティストではなく、国内でも「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」から「ザ・タイガース」・「ザ・テンプターズ」・「ザ・スパイダース」などといった、いわゆるグループ・サウンズが台頭しました。
そして、日本の若者を夢中にさせたグループ・サウンズとは一線を画して、活動を続けていたのが、正統派エレキギターとも言える演奏を聞かせていた「加山雄三」さんや「寺内タケシ」さんでした。ブームが去って次々とグループ・サウンズが姿を消す中で、「加山雄三」さんや「寺内タケシ」さんといった流れが、エレキ・サウンドを牽引していったのです。
1970年代の「三大ギタリスト」というと、「ジェフ・ベック」・「ジミー・ペイジ」・「エリック・クラプトン」。更に「ローリング・ストーンズ・「レッド・ツェッペリン」・「ディープ・パープル」・「KISS」・「クイーン」などの海外人気バンドの活躍も、日本人のエレキギター・ブームに拍車をかけました。
ずば抜けたテクニック
TBJ・・蒼い星くず~ランニング・ドンキー~夜空の星~君といつまでも
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今回注目する「寺内タケシ」さんは茨城県出身のアーティストで、お母さまが三味線と小唄の家元でした。その影響で幼少期から音楽に包まれて育ったそうです。お兄さんが持っていたクラシックギターに興味を持った「寺内タケシ」少年。そのギターを電話の部品を応用して警報用の拡声機に繋いだのです。これはまさにエレキギターの原型、小さな少年が自作で電気ギターを発明したのでした。
関東学院大学に進学した「寺内タケシ」さんは、在学中にバンド活動を始めます。「ミッキー・カーチス」さん・「ジミー時田」さんと共にバンドを組んだ後、1962年に「ブルージーンズ」を結成したのです。そして「ベンチャーズ」の来日をきっかけにして、エレキ人気が爆発。それ以降、第一人者として活躍し続けます。ずば抜けたテクニックを武器にして、クラシックから民謡などといった、幅広い音楽活動を展開したのです。
1965年には、「加山雄三」さん主演の映画「エレキの若大将」に出演することに。1967年には、ベートーベンの交響曲第5番をエレキギターで演奏した「レッツ・ゴー『運命』」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞します。1978年には「日本民謡大百科」で同じく日本レコード大賞の企画賞も獲得。
「寺内タケシ」さんの持ち歌は、なんと数万曲といわれ、津軽じょんがら節」・「ソーラン節」などの民謡をエレキで演奏する、独自の音楽制作でも高い評価を得たのです。一時「エレキは非行を助長する」などと批判され、全国の学校でエレキ禁止令が広がり始めます。その風潮に抗議した「寺内タケシ」さんは、全国の高校を対象にして「ハイスクールコンサート」を始め、2017年まで継続しました。その時に訪問した学校は、1500校を数えたそうです。
関東学院大学に進学した「寺内タケシ」さんは、在学中にバンド活動を始めます。「ミッキー・カーチス」さん・「ジミー時田」さんと共にバンドを組んだ後、1962年に「ブルージーンズ」を結成したのです。そして「ベンチャーズ」の来日をきっかけにして、エレキ人気が爆発。それ以降、第一人者として活躍し続けます。ずば抜けたテクニックを武器にして、クラシックから民謡などといった、幅広い音楽活動を展開したのです。
1965年には、「加山雄三」さん主演の映画「エレキの若大将」に出演することに。1967年には、ベートーベンの交響曲第5番をエレキギターで演奏した「レッツ・ゴー『運命』」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞します。1978年には「日本民謡大百科」で同じく日本レコード大賞の企画賞も獲得。
「寺内タケシ」さんの持ち歌は、なんと数万曲といわれ、津軽じょんがら節」・「ソーラン節」などの民謡をエレキで演奏する、独自の音楽制作でも高い評価を得たのです。一時「エレキは非行を助長する」などと批判され、全国の学校でエレキ禁止令が広がり始めます。その風潮に抗議した「寺内タケシ」さんは、全国の高校を対象にして「ハイスクールコンサート」を始め、2017年まで継続しました。その時に訪問した学校は、1500校を数えたそうです。
エレキの神様逝く
寺内タケシとブルージーンズ&バニーズ ♪津軽じょんから節
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「寺内タケシとブルージーンズ」のリーダーで、「エレキの神様」として知られていたギタリストの「寺内タケシ」さん。その「寺内タケシ」さんが亡くなったのは、2021年6月18日でした。器質化肺炎により横浜市内の病院で死去されたそうです。享年82歳でした。
エレキの神様が静かに息を引き取ったと報道され、音楽関係者やファンは大いに悲しんだことでしょう。所属レコード会社によると、春先に誤嚥性肺炎のため入院し、一時は回復してリハビリに励みながら回復を見せ、退院が間近だったそうです。しかし18日の午後になって容体が急変。同日の8時37分に息を引き取られたとのこと。
長男の章さんは19日の夜に、横浜市にある自宅兼事務所でスポーツ報知の取材に応じ、「無念です」と言って肩を落としていました。最期も看取られたそうで、「苦しい感じもなく、スーッと亡くなっていった」と話したそうです。
新型コロナウイルス感染拡大以前は、精力的にステージに立って元気に過ごしていた「寺内タケシ」さん。2020年12月にもライブが予定されていましたが、コロナウィルス感染症の影響で延期になってしまい、2019年4月13日に神戸市内で行ったライブが最後のステージとなりました。
エレキの神様が静かに息を引き取ったと報道され、音楽関係者やファンは大いに悲しんだことでしょう。所属レコード会社によると、春先に誤嚥性肺炎のため入院し、一時は回復してリハビリに励みながら回復を見せ、退院が間近だったそうです。しかし18日の午後になって容体が急変。同日の8時37分に息を引き取られたとのこと。
長男の章さんは19日の夜に、横浜市にある自宅兼事務所でスポーツ報知の取材に応じ、「無念です」と言って肩を落としていました。最期も看取られたそうで、「苦しい感じもなく、スーッと亡くなっていった」と話したそうです。
新型コロナウイルス感染拡大以前は、精力的にステージに立って元気に過ごしていた「寺内タケシ」さん。2020年12月にもライブが予定されていましたが、コロナウィルス感染症の影響で延期になってしまい、2019年4月13日に神戸市内で行ったライブが最後のステージとなりました。
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