昭和のスーパースター!ピンクレディー!
2016年2月19日 更新

昭和のスーパースター!ピンクレディー!

昭和の大スター「ピンクレディー」。日本中が熱狂しました。 現代のアイドルブームとは桁が違う!時代を駆け抜けた2人、ミーとケイを改めて紐解いてみました。

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「ピンク・タイフーン」
1979.5.1発売 売り上げ 298,250枚

ピンクレディーの応援歌であるこの曲は、ヴィレッジ・ピープルの「イン・ザ・ネイビー」のカバー曲です。
ラジオ体操みたいな振り付けがあったり手拍子があったり、応援歌らしい本当に元気の出る曲です。
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「波乗りパイレーツ」
1979.7.5発売 売り上げ 241,830

ピンクレディーらしい軽快な夏のナンバーです。
シングル両面同じ曲で、A面は日本吹き込み。
B面はUSA吹き込みでアレンジが違います。
そしてB面のコーラスに、なんと!ビーチボーイズが参加しています。
両面に聴き比べも楽しみの1つです。
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「キッス・イン・ザ・ダーク」
1979.5.1ワーナーブラザースより世界40カ国同時発売
1979.9.5日本発売 売り上げ 110,580枚

いよいよアメリカ進出!第1弾シングルです。
全米ビルボードでの最高位は37位。
当時ビルボードトップ40に日本人でランクインしたのは、かの有名な坂本九さん「上を向いて歩こう」と、ピンクレディーのこの曲だけでした。
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「マンデー・モナリザ・クラブ」
1979.9.9発売 売り上げ 111,700枚

阿久&都倉コンビが、子供ファン向けではなくミーとケイのために作った楽曲です。
2人にとっても”ずっと歌いたかった楽曲”だと非常に思い入れの深い1曲の様です。
大人っぽい歌声とセクシーなダンスが印象的です。
ファンの中には、好きな曲第1位にこの曲を選ぶ人が多く、人気の高い名曲です。
 (1579001)

「DO YOUR BEST」
1979.12.5発売 売り上げ 51,460枚

1980年に開催されるモスクワオリンピックに出場する日本人選手の応援歌として作られました。
しかし、日本がオリンピックをボイコット。この曲の本来の意味合いも消えてしまいました。
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「愛・GIRI GIRI」
1980.3.5発売 売り上げ 16,810枚

アメリカ進出中に発売された曲です。
日本のテレビで歌われることはあまりありませんでした。
大人の女性の心をせつなく歌い上げたこの曲。
当時は直立不動で歌っていましたが、後の再結成でのメモリアルライブでは、KABAちゃんの振り付けで披露されました。
 (1579172)

「世界英雄史」
1980.5.21発売 売り上げ 16,780枚

アメリカ帰国後の作品です。
タイトル通り、世界の英雄達が登場します。
この曲が世界史の勉強の役に立った人も多かった様です。
なんとB面は「ザ・忠臣蔵'80」
とことん歴史にこだわったシングルです。
 (1579200)

「うたかた」
1980.9.21発売 売り上げ 39.850枚

アメリカ進出時に世界発売されたアルバム『Pink Lady』に収録された『Strangers When We Kiss』の日本語バージョンです。
解散発表後、最初に発売されたこの曲は、ジャケットからも分かる通り大人の女性の歌です。
ペッパー警部からわずか4年。
ジャケットを見比べると、その変貌にびっくりです。
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「りメンバー(フェーム)」
1980.12.5発売 売り上げ 10,330枚

アメリカの映画『フェーム』の主題歌のカバーです。
サビの歌詞の『燃え尽きて やるだけやった やるだけやった♪』
ここを聴くたびに、解散を前にした2人の心境のようで、ファンにとってはせつないフレーズでした。
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「ラスト・プリテンダー」
1981.1.21発売 売り上げ 7,800枚

セクシーなジャケットのこの曲は、作詞 糸井重里(子供達にはトトロのサツキとメイのお父さんの声をやった人、と言った方が分かりますね。)作曲 高橋ユキヒロ(YMO)です。
テレビで歌われた事が1度もないこの曲は、アップテンポの軽快なサウンドです。
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「OH!」
1981.3.5発売 売りげ 27,950枚

いよいよラストナンバーです。
最後の曲を手がけたのは、やはり阿久&都倉コンビでした。
しっとりと、でも力強く歌い上げたバラード「OH!」
この歌を聴きながら目を閉じれば、ピンクレディーが駆け抜けた4年7カ月が走馬灯の様に浮かんできます。
ラストソングにふさわしい、本当にいい曲でした。

YouTube

大ヒット曲のオンパレード!全22曲メドレーです!

人気絶頂期~アメリカ進出へ

ピンクレディーの人気絶頂期は、デビューした1976年からの1978年の2年間と言われています。
あらゆる賞を総なめ。オリコンでは通算首位獲得数63週という記録をたたき出し、それは後の2015年、B'Sが記録更新するまで破られなかったのです。
歌だけでなくバラエティー系の番組やアニメ。ブロマイドや数々のピンクレディーグッズが街中に溢れました。

しかし、1979年になると、時代はニューミュージックの全盛期に。
オリコントップ10には名を連ねるものの1位獲得はなりませんでした。
そんな中、アメリカ進出を果たしますが、日本のマーケットを無視したと叩かれ、人気は低迷していったのです。

解散

1980年9月1日、解散を発表。
解散理由については、様々な見解がありました。
人気の低迷。アメリカ進出によって日本のファンを失った。そしてケイが結婚したいがため(後に離婚しました)などなど。
でも、結局真相は明らかにされませんでした。

1980年3月31日、みぞれ交じりの冷たい雨の後楽園球場で、ピンクレディー解散コンサートが開催されました。
スタンドには空席が目立ち、人気低迷を裏付ける淋しいラストコンサートになりました。
活動期間は4年7カ月。
ピンクタイフーンは正に嵐のように駆け抜けていったのでした。

ピンクレディー解散コンサート「グッド・バイ・ソング」

現在のミーとケイは?

アラシスでも綺麗!

アラシスでも綺麗!

アラシスでもやっぱり綺麗!
はいっ!2人共現役で活動しています。
その後それぞれソロ歌手として活動し、再結成も何度もしています。

もうすぐ60に手が届きそうな2人ですが、幾つになってもセクシー衣装で大胆なパカパカダンスを披露して欲しいと思います。
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