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大ヒット曲のオンパレード!全22曲メドレーです!
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人気絶頂期~アメリカ進出へ
ピンクレディーの人気絶頂期は、デビューした1976年からの1978年の2年間と言われています。
あらゆる賞を総なめ。オリコンでは通算首位獲得数63週という記録をたたき出し、それは後の2015年、B'Sが記録更新するまで破られなかったのです。
歌だけでなくバラエティー系の番組やアニメ。ブロマイドや数々のピンクレディーグッズが街中に溢れました。
しかし、1979年になると、時代はニューミュージックの全盛期に。
オリコントップ10には名を連ねるものの1位獲得はなりませんでした。
そんな中、アメリカ進出を果たしますが、日本のマーケットを無視したと叩かれ、人気は低迷していったのです。
あらゆる賞を総なめ。オリコンでは通算首位獲得数63週という記録をたたき出し、それは後の2015年、B'Sが記録更新するまで破られなかったのです。
歌だけでなくバラエティー系の番組やアニメ。ブロマイドや数々のピンクレディーグッズが街中に溢れました。
しかし、1979年になると、時代はニューミュージックの全盛期に。
オリコントップ10には名を連ねるものの1位獲得はなりませんでした。
そんな中、アメリカ進出を果たしますが、日本のマーケットを無視したと叩かれ、人気は低迷していったのです。
解散
1980年9月1日、解散を発表。
解散理由については、様々な見解がありました。
人気の低迷。アメリカ進出によって日本のファンを失った。そしてケイが結婚したいがため(後に離婚しました)などなど。
でも、結局真相は明らかにされませんでした。
1980年3月31日、みぞれ交じりの冷たい雨の後楽園球場で、ピンクレディー解散コンサートが開催されました。
スタンドには空席が目立ち、人気低迷を裏付ける淋しいラストコンサートになりました。
活動期間は4年7カ月。
ピンクタイフーンは正に嵐のように駆け抜けていったのでした。
解散理由については、様々な見解がありました。
人気の低迷。アメリカ進出によって日本のファンを失った。そしてケイが結婚したいがため(後に離婚しました)などなど。
でも、結局真相は明らかにされませんでした。
1980年3月31日、みぞれ交じりの冷たい雨の後楽園球場で、ピンクレディー解散コンサートが開催されました。
スタンドには空席が目立ち、人気低迷を裏付ける淋しいラストコンサートになりました。
活動期間は4年7カ月。
ピンクタイフーンは正に嵐のように駆け抜けていったのでした。
ピンクレディー解散コンサート「グッド・バイ・ソング」
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現在のミーとケイは?
はいっ!2人共現役で活動しています。
その後それぞれソロ歌手として活動し、再結成も何度もしています。
もうすぐ60に手が届きそうな2人ですが、幾つになってもセクシー衣装で大胆なパカパカダンスを披露して欲しいと思います。
その後それぞれソロ歌手として活動し、再結成も何度もしています。
もうすぐ60に手が届きそうな2人ですが、幾つになってもセクシー衣装で大胆なパカパカダンスを披露して欲しいと思います。
1979.5.1発売 売り上げ 298,250枚
ピンクレディーの応援歌であるこの曲は、ヴィレッジ・ピープルの「イン・ザ・ネイビー」のカバー曲です。
ラジオ体操みたいな振り付けがあったり手拍子があったり、応援歌らしい本当に元気の出る曲です。