1stアルバム『VISAGE』製作中、毎日のようにけんかになっていたとKYOは語っている。また、制作中にSHINはローランドのシンセギター「G-707」から突如フェルナンデスのストラトキャスターにギター・シンセサイザーピックアップを搭載したものに変えてしまう(アルバム制作中にフェルナンデスとのモニター契約が決まってしまった理由もある)。TAKASHIもベースのネックをフレットレスに変更してしまいKYOは「こんな行き当たりばったりなレコーディングでアルバムをリリースできるのか不安だった」とコメントしている
デビューから解散まで
1992年2月5日、1stシングル『MELODIES』をBMGビクター アリオラレーベルからリリースしてデビュー。
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1992年4月10日~KYOによるラジオ番組『MID NIGHT ROCK CITY』が再び放送開始。
KYOは、人が言わないあだ名を突然つけることがある。ラジオ番組で、ゲストをあだ名で呼び続けた挙句、一度も名前を紹介せず、後で怒られたことがある。また、ある日突然TAKASHIを「キンちゃん」(注:彼の名字である金内に由来)と呼びだし、ファンから「誰だ!」と言われた。
1992年9月23日に2ndシングル『MY EYES 〜僕の瞳よ〜 』を発売。
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1993年1月8日に3rdシングル『to you』を発売
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1993年6月2日に4thシングル『Nocturne』発売。
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1993年11月21日に5thシングル『LOVE SONG 』発売。
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1993年7月7日に4thアルバム『Eros』を発売。
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【Erosを聴いたコメント】
ポップとしても十分通用するメロディーを持ちながら、変則的なリズムや奇抜なシンセギターの音に耳を奪われる。ボーカリストは歌唱力よりも声で聴かせるタイプなので、これについても問題はないだろう。Die In Criesの代表作であることは間違いない。
メロディやアレンジで全体的に透明感のある白とでも言うような色彩で統一されている。ビート感のある曲は少ないですがメロディの良さとアレンジで最後まですんなり聴ける。「Through the Looking Glass」のしっとりした中にも切なさをこめたメロディ、キャリアが成せる音数の少なさと淡々としたタイトかつテクニカルな演奏がたまらない。後のビートロック、ヴィジュアル系バンドに大きな影響を与えたアルバムの一つでしょう。現ラルクのYUKIHIROは少ない手数のタイトな演奏にする事で歌をより引き立てています。
また「MY EYES ~僕の瞳よ~」のYUKIHIROのレコーディングが難航し、デモテープを聴き直した際「これホントに僕が叩いてるの?」と言うほどのフィルアレンジだったらしいです。
SHINは「音源を作るのに難しく、微妙なタイムラグの発生にとても悩んだ。シンセを搭載しなかったらもっとレコーディングは早く終わっていたかもしれない」と語っていました。