DIE IN CRIES(ダイ・イン・クライズ)
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このバンドが登場したのが、ヴィジュアル系ブームが来る98年以前であり、Xを中心にムーブメントを巻き起こした90年頃~98年頃の「過渡期」だった。イカ天・ホコ天・ジャパメタブームの後、厳しい状況の中、次世代にバトンを渡す役割を果たしたのがDIE IN CRIESだったと言えよう。
デビューまでの流れとメンバー紹介
※DIE IN CRIESを結成する前にKYOは、XのHIDEによる伝説のバンド横須賀サーベルタイガーのボーカルをしており、ドラムの菊地哲の2人と瀧川一郎が一緒になってD'ERLANGERを結成して活動していました。しかし、1990年にバンドは解散します。
1990/12 ZI:KILLが ロンドンにて デビューアルバム『DESERT TOWN』のトラックダウンに出かけた時(1990/12/03~17) YUKIHIROは「ZI:KILL辞めたから一緒にバンドやろう」とロンドンから KYOに電話する。その時は「もう一度話し合え」と 言われたが 結局は 一緒にする事に
KYOはD'ERLANGER解散後「今まで接してくれてた人がいきなり冷たくなったり、連絡が取れなくなり人間不信になった。その時似たような境遇のYUKIHIROから連絡をもらって運命的なものを感じた」と語っている。
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渋谷公会堂のZI:KILL復活ライブで2人は再会する事になる。皮肉にもこのライブのドラマーが元D'ERLANGERのTETSUの"ZI:KILLデビュー"ライブとなってしまう。関係者の席にはZIGGYのボーカル、森重樹一がおり、挨拶に行ったKYOとYUKIHIROに「珍しい組み合わせだね。2人でバンドでも組むの?」と尋ねられ、どういう音楽をやるのか決まっていないのにも関わらず、KYOが「はい、そのつもりです」と返答。KYOはその時の事を「誰にも相手にされなかった時、森重さんが自分の事を心配してくれてたのがとても嬉しかった」とロッキンFのインタビューでコメントしている。
YUKIHIRO(ドラム)
バンド経歴
(ex.ZI:KILL→OPTIC NERVE→DIE IN CRIES→L'Arc〜en〜Ciel, acid android, geek sleep sheep)
(ex.ZI:KILL→OPTIC NERVE→DIE IN CRIES→L'Arc〜en〜Ciel, acid android, geek sleep sheep)
マッドカプセル時代のSHINとZI:KILL時代のYUKIHIROは横浜で対バンしたことがある。KYOがDIE IN CRIESを結成する際「いいギタリスト知らないか?」と相談した所「パンクなのにポップなことやってクビになったヤツなら心当たりある」と話を持ちかけたのがSHINである
室姫深(SHIN)
バンド経歴
(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS→DIE IN CRIES→BLOODY IMITATION SOCIETY→BUG→LIV, THE SPIN, Creature Creature, TETSUYA, AA=→AA=, SUSIE LOVE, Acid Black Cherry)
(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS→DIE IN CRIES→BLOODY IMITATION SOCIETY→BUG→LIV, THE SPIN, Creature Creature, TETSUYA, AA=→AA=, SUSIE LOVE, Acid Black Cherry)
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バンドを結成するにあたり、ベーシスト探しでとても難航する。SHINが「1人思い当たるヤツがいる」と声をかけたのがTAKASHIである。ちなみにTAKASHIは当時、横須賀のスタジオでバイトをしており、KYOとYUKIHIROはTAKASHIがバイトをしていたスタジオでインディーズ時代、それぞれのバンドでリハーサルを行なっている。SHINがスタジオにTAKASHIを連れてきた時、それぞれが顔見知りなことに驚き、その日に加入が決まった。
~大まかな流れ~
D'ERLANGER解散後、KYOのソロプロジェクトとして始動。 ソロプロジェクト第一弾のリリースとなった『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』には、YUKIHIROとSHINのユニット"OPTIC NERVE"が参加、そこにTAKASHIが加わりバンドとしての活動が始まった。
当初、KYOは「喜怒哀楽」の足りない部分を表現する事をテーマとして、ドイツ語で「3つの表情」と言う意味を持つバンド名にする予定であったが、最終的にはRain Tree Crow(ジャパン再結成時のバンド)の歌詞中にある"DIE IN CRIES"をバンド名とする。
当初、KYOは「喜怒哀楽」の足りない部分を表現する事をテーマとして、ドイツ語で「3つの表情」と言う意味を持つバンド名にする予定であったが、最終的にはRain Tree Crow(ジャパン再結成時のバンド)の歌詞中にある"DIE IN CRIES"をバンド名とする。
メンバー的には、当時としては知名度が高いのはボーカルのkyoくらいで、他はまあ知っている人は知っている…くらいな感じのギターの室姫深、ドラムのYUKIHIRO、ベースのTAKASHIという面子。今では、YUKIHIROはラルクのドラムとして、知っている人は多いですね
KYO(Vo) → あまり歌上手くないけどやたら情熱込めた歌唱。低音がセクシー。
室姫深(Gt) → 軽めの無機的なギター。ギター・シンセで変な音を出すのが好き。
TAKASHI(Ba) → 動きまくるベース。かなりのテクニシャン。
YUKIHIRO(Dr) → 音は軽いが正確無比で無機的なドラム。
1991年8月10日に1st.アルバム『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』をリリース。
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NOTHINGNESS TO REVOLUTION
¥366
GUEST MUSICIANにSHINやyukihiroを迎えて制作されているが、 この段階では、ex D'ERLANGERのKYOのソロワークス的色合いが強く、非常に前衛的でアヴァンギャルド。アンビエント要素が濃い。その上尺長な楽曲が多いという後の音楽性からは想像も出来ない方向性。
ロックバンド。