9/14千葉県文化会館・9/16浦和市文化センター・9/24&25札幌ペニーレイン24・9/27青森クォーター・9/29仙台イズミティ21・9/30栃木総合文化センター・10/3愛知県勤労会館・10/4広島アステールプラザ・10/6福岡都久志会館・10/13大阪サンケイホール・10/15新潟フェイズ・10/16長野NBSホール・10/18京都会館第二ホール
ツアー最終日、初の日本武道館で3度めのアンコールの際、日本武道館の使用時間をオーバーする寸前であった。(アンコールだけで1時間かかっている)KYOは3度めのアンコールの際「最後にBEARDSLEY(BEARDSLEYのPUZZLE)演りたい!」とスタッフに詰め寄ると「だったら行け! どうにかする!」とステージに送り出された。演奏終了後、KYOは「武道館の使用許可は二度と降りないだろうと思った」と語っている
1994年5月21日に6thシングル『CRESCENT MOON』を発売。
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1994年4月5日に活動休止。同年10月に活動再開。
活動停止中、ロッキンfにて「DIE IN CRIESリハーサル行なっています」とスタジオでのリハ風景の広告が出る。しかしSHINが活動するBLOODY IMITATION SOCIETYの音楽性の価値観にファンは不安視してしまうがKYOは「いい意味でブラッディーしてるアルバムになると思う」とコメントする
1995年4月28日にKYOが務めていたラジオが最終回。同年5月24日にラストシングル「種」を発売。
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1995年7月2日に東京ベイNKホールにてラストライブを行い解散(公演は完売。当日チケットも完売し、同会場の動員記録となりました)。
DIE IN CRIES - Last Live Tokyo Bay N.K
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今回、紹介した作品以外に、アルバムが1992年3月11日に2nd『VISAGE』、1992年9月23日に3rd『NODE』、1995年6月21日に5th『Seeds』を発表。1993年12月1日にセルフカヴァーアルバム『Classique Ave.の飛べない鳩 』、1995年9月21日にライヴアルバム『LAST LIVE「1995.7.2」』、1995年10月21日にリミックスアルバム『re-make』、1997年9月10日にベストアルバム『THANX -Best of Die In Cries-』も発売しています。
解散について
解散理由は、まずYUKIHIROが音楽性の違いから脱退をほのめかし、それを聞いたKYOが「このバンドが俺個人のものだったころなら認めていたが、今となってはDIE IN CRIESは4人のものだ。脱退するというなら解散しよう。」と答えたからだという。また、室姫深はバンド在籍中からBLOODY IMITATION SOCIETYの活動をソロプロジェクトとしてはじめており、音楽誌GIGSのインタビューで「今あるバンド(DIE IN CRIES)でBLOODYの音楽性をやりたかったが、他のメンバーが嫌がったから地元の仲間とソロプロジェクトではじめた」と話しており、室姫の音楽志向もDIE IN CRIESとずれてきていたことがわかる。
ファンクラブサイトでは、kyoは「1991.8.25~1995.7.2 いろいろな事があった4年間でした。1995.7.3~頂上 目指して更なる第一歩」、TAKASHIは、「少しだけ 大きくなった。もっと大きくなりたい。。。」、SHINは「ごめんな」、YUKIHIROは「どうもありがとうございました。」とメンバーのメッセージが配布されました。
映像関連
DIE IN CRIES/ LOVE SONG【MV】
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DIE IN CRIES/Funeral Procession
via www.youtube.com
DIE IN CRIES/Nocturne(PV)
via www.youtube.com
DIE IN CRIES/Weeping Song(PV)
via www.youtube.com
DIE IN CRIES/ Nocturne
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