日本代表でも活躍した平野孝
1974年生まれ。元日本代表。98年フランスW杯出場。日本代表通算15試合4得点。J リーグ通算352試合54得点。
清水商業高校卒業後、1993年に名古屋グランパスエイトに入団。
ベンゲル監督の下では、ストイコビッチや望月重良らと共に名古屋の黄金期を築いた。
以後6つのJ1クラブを経て、2008年に渡米しバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍。2010年にはメジャーリーグサッカーへの昇格に導く。
現在は「スカパー! J リーグマッチデーハイライト」のMCを務める。JFA公認C級コーチライセンス保有。
出身はサッカー王国・静岡県。
強豪・清水市立商業高校の出身です(通称、きよしょう)。
利き足は左。
ポジションはミッドフィルダー、左サイドアタッカー。
強豪・清水市立商業高校の出身です(通称、きよしょう)。
利き足は左。
ポジションはミッドフィルダー、左サイドアタッカー。
平野のプレースタイルがよく分かる動画
(平野 孝)Jクロニクルベスト:1995ベストゴール - YouTube
ズドンとキャノン砲が炸裂!
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サッカー日本代表 平野孝 - YouTube
名古屋グランパスや日本代表時代の平野
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名古屋グランパスエイト時代
アーセン・ベンゲル監督時代の名古屋では攻撃的な左サイドハーフとしてレギュラーに定着。
左足からのストイコビッチへの正確なパスや、切り込んでの強烈なシュートで活躍した。
人気も高く、地元企業である寿がきや食品のインスタントラーメン、「寿がきやカップ本店の味」のCMに着流し姿で出演したことがある(なお、同CMには当時のチームメイト中西哲生も友情出演している)。
1997年のオフにはプロ野球、Jリーグを騒がせた脱税事件に関与していたことが判明。
その後の契約更改ではクラブ側の曖昧な選手評価基準に疑問を呈し、前年6000万円から1000万円への減俸(1000万円減ではなく1000万円)を自ら申し出てで契約して話題になった。
名古屋グランパス時代の評価
名古屋時代はスピードもあり、左サイドをスピードに乗って突破し、強力なミドルシュートというのが名古屋の大きな武器となっていました。
テクニックのストイコビッチに対して、スピードとキック力の平野という感じですかね。
キック力はかなり強かったです。針の穴を通すようなストイコビッチのフリーキックに対して、壁をぶち破るような平野の弾丸フリーキックが名古屋のセットプレーの幅を広げていました。
1998年フランスW杯にも出場!
「岡野の俊足」と並び、「平野の左足」というのは、ゲームの流れを変えるときに必要な飛び道具として期待されていたのだ。
本大会ではアルゼンチン戦、ジャマイカ戦に途中出場を果たす
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本人はインタビューで試合の流れを読んで、途中から出ても、流れを変える役割をきちんとこなしたいと言っていました。
2000年代以降はチームを渡り歩く
2000年シーズン途中、チームの主力メンバーの望月重良、大岩剛とともに「慢性的なプレーなどでチームの秩序を乱した」として解雇され、京都パープルサンガに移籍。
その後はジュビロ磐田、ヴィッセル神戸、東京ヴェルディ1969、横浜F・マリノスを転々とする。
神戸、東京Vではユーティリティープレイヤーとして成長し、ボランチや左サイドバックとしてもプレイしている。