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相馬直樹
生年月日 1971年7月19日
出身 静岡県静岡市清水区
選手歴
清水東高校(静岡県) ─ 早稲田大学(東京都) ─ 鹿島アントラーズ ─ 東京ヴェルディ1969 ─ 鹿島アントラーズ ─ 川崎フロンターレ(2004〜2005)
代表
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1995年5月のエクアドルとの試合でフル代表デビュー。
3-5-2の左アウトサイドのポジションでした。
1年後のメキシコとの親善試合で代表初ゴールをマーク。同年末のアジア杯中国戦でも、試合終了間際にチームを勝利に導くゴールを挙げました。
1998年のW杯予選14試合、本大会は全3試合スタメン出場と代えの利かない存在でした。
代表記録 58試合4得点
相馬選手といえば、
私は勝手に「欧州型プレースタイルに近い選手」という印象を抱いている。
ビルドアップ時に高い位置まで張り出して組み立てに参加する姿や
敵を抜ききらずにクロスボールをあげる姿がそう思わせる。
さらに、柔らかな外見とはイメージの反する激しいタックルも印象深い。
「左バックといってもさぁ、都並とはなんか感じ違う選手だなぁ。」
と、中学生だった私はNHK BSでの試合中継を見ながら思った記憶がある。
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日本代表の「前任者」である都並が、「左サイドバック像」を確立していました。
しかし、そのイメージを純朴そうな若者が良い意味で裏切ったように思います。
颯爽と駆け上がる姿は、闘志が前面に出る都並とは明らかに異なった個性でした。
しかし、そのイメージを純朴そうな若者が良い意味で裏切ったように思います。
颯爽と駆け上がる姿は、闘志が前面に出る都並とは明らかに異なった個性でした。
鹿島アントラーズ
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名手のJデビューは、鹿島の地にプロの魂を根付かせた『サッカー神様』が最後の輝きを見せているさなかだった。
怪我から復帰したジーコが、最後の数試合でラストダンスを見せる傍らで、大学時代にバルセロナ五輪予選の日本代表も経験した大型ルーキーは初めてJのピッチに立ち、レギュラーを奪い、不動のものとしていったのだった。
ジーコ引退後も、そのDNAを受け継いだ秋田豊・本田泰人・長谷川祥之らと共に、『最強・鹿島』を創り上げて行った。
96年の優勝を皮切りに、97年の前期優勝・ナビスコ杯・天皇杯優勝、98年にはJでの覇権奪還、00年にはJ史上初の3冠を達成した。
怪我
かつて、鹿島アントラーズには、相馬直樹(写真)という左サイドバックの選手がいた。
鹿島の将来を担うと期待された選手だった。彼は2000年の天皇杯準決勝のガンバ大阪戦で負傷して、将来を断たれた。
「左膝外側半月板損傷」の重傷でした。
翌シーズンを治療とリハビリに費やします。
その後は、東京ヴェルディや川崎フロンターレに移籍します。
2005年年末の天皇杯をもって引退しました。(川崎フロンターレでの引退)
翌シーズンを治療とリハビリに費やします。
その後は、東京ヴェルディや川崎フロンターレに移籍します。
2005年年末の天皇杯をもって引退しました。(川崎フロンターレでの引退)
スーパープレイ動画
(相馬 直樹)Jクロニクルベスト:1998 FUJI XEROX SUPER CUP - YouTube
via www.youtube.com