日本代表 「呂比須ワグナー」
元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
1969年1月29日生まれ。ブラジル・サンパウロ州出身。身長182cm、体重75kg。右利き。
ブラジル名は「ワグネル・アウグスト・ロペス(Wagner Augusto LOPES)」。
1997年に日本に帰化し、名前を呂比須ワグナーに改名。
同年、サッカー日本代表に選出され、FIFAワールドカップ・アジア最終予選では3得点をあげる活躍で日本のW杯初出場に貢献した。
1998年FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合全てに途中出場し、ジャマイカ戦では中山雅史のゴールをアシストした。
2002年に現役引退。
ブラジル→来日→引退までの道のり
ブラジルでは才能は開花しなかった
サンパウロ州フランカ市で8人兄弟の末っ子として生まれる。11歳の頃から学業の傍ら兄が経営する靴工場で働き、週末には地元のサッカークラブ、インテルナシオナルFCで練習する。
1984年、15歳で親元を離れ(フランカとサンパウロは同州内であるが約400km離れている)サンパウロFCの下部組織に加入。
主にMFとして起用され同年のU-15サンパウロ州選手権で決勝点を挙げ優勝に貢献。
ジュベニール(16歳~17歳)のブラジル代表にも選出された。
サンパウロFCの大先輩であるオスカー(元京都パープルサンガ監督)の誘いがあり、日本でプレーすることを決意。
18歳で日産自動車サッカー部(現横浜 F・マリノス)に所属し、加茂監督のアドバイスを受け、日本でのプレースタイルを確立。日本でのプレースタイルを確立。日産で3年間プレーした
柏レイソルでの活躍!
移籍後の日立・柏レイソルでは、1992年にジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の得点王となり、ベストイレブンに選ばれる。
同年長男が誕生。当時ロペスは日本もブラジル同様に出生地主義を採用していると誤解しており、この頃から「家族全員で日本人になりたい」と考えるようになった。
翌1993年もベストイレブンと得点ランク2位となる。1993年に世界的スーパースターのカレカと、同じく元ブラジル代表のネルシーニョが加入。
ロペスはカレカとの強力2トップでゴールを量産したが、95年から元ブラジル代表FWのミューレルが加入することが決まり、外国人枠から押し出される形で1994年シーズン限りで柏を解雇される。
1995年、Jリーグ準会員ではない本田技研工業に拾われる。1996年にはクラブは初の旧JFL優勝を果たしロペス自身も得点王となるが、本田技研はJ リーグに準加盟していなかったため、Jリーグへの昇格はされなかった。
しかし本田技研での活躍と帰化の噂が広まった事で1997年、Jリーグのベルマーレ平塚へ移籍。同年9月に日本国籍を取得すると、名前をそれまでの登録名であったワグネル・ロペスから呂比須ワグナーに改め、直後に日本代表に選出される。平塚では在籍時の2年間とも、チーム得点王になる。
via blogs.c.yimg.jp
釜本を超えたFWとして引退
1999年に名古屋グランパスエイトに移籍し、同年と2000年の2年連続でチーム得点王。しかしフロント不信から退団を余儀なくされた。
2001年、FC東京に移籍。開幕戦の東京ダービーではVゴールを含む2得点を挙げる好デビューとなったが、呂比須加入に伴って行われた戦術転換が奏功せず、さらに布陣がFWアマラオの1トップへと変更されたことでポジションを失い、シーズン途中でアビスパ福岡へ移籍。
しかしチームは振るわず、J2降格を喫する。
2002年はJ2でプレーし、同年限りで現役引退。
2002年10月19日、博多の森球技場でのヴァンフォーレ甲府戦のゴールで、日本リーグ・JFL・Jリーグの合計得点が釜本邦茂の202ゴールを超えて203ゴールとなった。
後日、福岡のローカルTV番組から203ゴール目を決めた記念ボールを贈られた。12月8日に博多の森球技場で行われた天皇杯2回戦(栃木SC戦)が最後の公式戦出場となった。
ヘディングに秀でたストライカー
FWとしての特徴
典型的なボックスストライカーでした。とりわけヘディングが強くかなりのゴールをヘディングで決めています。強いシュートも打てましたので、ミドルシュートでのゴールも多いです。
呂比須ワグナー ゴール集 - YouTube
via www.youtube.com
(呂比須 ワグナー)Jクロニクルベスト:1998ベストゴール - YouTube
via www.youtube.com
体格も良く、DFの選手に囲まれても、グイグイと前へ進める推進力を持ったストライカーでした。
上記の動画でヘディングの強さや巧みさがよく分かると思います。
呂比須ワグナーは、ここぞという場面で決めてくれるエースでもありました。
フランスW杯の予選終盤でも、3試合連続ゴールでチームに活力を与えました。
予選通過に赤信号がともっていた日本代表にとって、救世主のような働きぶりでした。
また、日韓W杯に向けたトルシエジャパンにも招集され、コパ・アメリカ1999でも2得点を挙げる活躍でした。
上記の動画でヘディングの強さや巧みさがよく分かると思います。
呂比須ワグナーは、ここぞという場面で決めてくれるエースでもありました。
フランスW杯の予選終盤でも、3試合連続ゴールでチームに活力を与えました。
予選通過に赤信号がともっていた日本代表にとって、救世主のような働きぶりでした。
また、日韓W杯に向けたトルシエジャパンにも招集され、コパ・アメリカ1999でも2得点を挙げる活躍でした。