【文字起こし】近藤真彦と中森明菜の『金屏風会見』
2020年9月25日 更新

【文字起こし】近藤真彦と中森明菜の『金屏風会見』

1989年の大晦日、近藤真彦と中森明菜による緊急会見が行われました。同年7月に自殺未遂を図った中森の復帰会見です。恋愛関係にあった二人の結婚を連想させるように金屏風が設置されるも、実際には中森の謝罪会見となった『金屏風会見』をレポート。会見の様子を【文字起こし】しています。

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近藤真彦と中森明菜の数年にも及んだ恋愛

1989年、平成の幕開けと共に日本の芸能史に刻まれた、当時トップアイドルだった中森明菜の自殺未遂。同じくトップアイドルの近藤真彦と数年にも渡る恋愛関係を続けていた中森に一体何があったのか。

本稿では『金屏風会見』と呼ばれる記者会見の様子を文字起こししています。その前に会見に至るまでの二人の関係をまとめてみました。
映画「愛・旅立ち」(1985年)

映画「愛・旅立ち」(1985年)

二人の仲が深まったのは、1985年公開の映画「愛・旅立ち」と言われています。不治の病に冒された少女と、彼女に生きる希望を与えようとする青年との真実の愛を描いた作品で、二人の初共演作となっています。

今も昔もアイドル同士の恋愛は、タブーとされています。しかも、当時押しも押されもせぬ人気を誇っていた二人です。売れっ子同士のカップルは、さぞ事務所間の大問題へと発展するかと思いきや、なんと二人は同じ音楽番組で共演するなど、注目されることをある意味で利用してオープンな付き合いをしていきます。そして、それから数年もの間、愛を育んでいきます。

1989年7月の自殺未遂

近藤と中森。結婚も予感させたカップルに異変が起きていたことが発覚したのは、1980年7月11日でした。六本木の近藤宅で中森がリストカットを行い、救急搬送されたのです。

第一発見者は近藤。浴室で左手から血を流し倒れている中森を見つけ、すぐさま119番。その後、慈恵医大病院へと搬送されました。一時は手首の傷は相当に深いと噂されましたが、搬送後は幸いにも順調な回復ぶりをみせ、2週間ほどでの退院と診断されています。
歌唱する中森明菜と近藤真彦

歌唱する中森明菜と近藤真彦

このショッキングな自殺未遂の背景には、結婚を希望する中森とまだ結婚は早いと感じている近藤に結婚観の違いがあったと言われています。

また、この数ヶ月前には、同じく80年代を代表するトップアイドル・松田聖子と近藤の”ニューヨーク密会”がスクープされるなど、中森の心境は不安定だったとされています。

1989年の大晦日に行われた『金屏風会見』

騒動以降、姿を消していた中森。いつの間にか病院を退院し、張り付きの取材陣ですらその行方が分からないといった状況が数ヶ月間続きました。しかし、1989年の大晦日、紅白歌合戦で盛り上がる22時頃に中森の復帰会見が急遽開かれることとなります。

会見会場の二人の席後方には、まるでめでたい雰囲気を演出するかのように”金屏風”がセッティングされ、取材陣は急転直下の婚約発表すらも予想する雰囲気となりました。

それでは下記より、会見時のやり取りをご覧ください。
オムニバス「(決定盤)NHK紅白歌合戦 トリを飾った昭...

オムニバス「(決定盤)NHK紅白歌合戦 トリを飾った昭和の名曲」

会見の様子を【文字起こし】

記者とカメラマンが集まり、騒然としている会場内。
取材陣に促される形で、一礼する近藤真彦と中森明菜。二人並んで金屏風の前に用意された椅子に座る。

司会者「近藤さん、どうもありがとうございます。こういう会見の場に、近藤さんが来ていただけるかは分からなかったんですけども、お忙しいところ時間を割いていただきまして、急遽出演していただけるということになりました。ここで近藤さんからも、彼女へひと言励ましの言葉をいただきたいと思いますので、宜しくお願いします。」

近藤「どうも、近藤真彦です。まず一番はじめに喜ばなければいけないのは、彼女がこうして皆さんの前に出れたということだと思います。これはもちろん僕も、そしてここに今日来てらっしゃるマスコミの皆様も一緒に彼女を応援して言ってあげなければいけないと思います。この半年間、事件のことに関しては黙っていなければいけないという辛い立場にありまして、僕にとって非常に辛い半年になりましたが、こうして明菜ちゃんが復帰するレールを引くお手伝いが少しでもできたということにすごく今喜びを感じて、1989年最後こうして飾れたということが一番僕にとって嬉しいことです。来年僕も歌手として10年を迎えるわけで、歌にドラマにレースに、そしてNHK紅白歌合戦出れるように頑張っていきたいと思いますどうもありがとうございました 。」
記者のイメージ

記者のイメージ

近藤の挨拶直後、会見を進めようとする司会者の声を遮るように、二人へ質問を投げかける取材陣。

記者「これは事務所の会見なんですか?TVで生中継してますよね?番組の為なんでしょうか、どっちなんでしょうか?その辺はっきりさせて下さい。」

司会者「これは合同の記者会見となっておりますので、はい。」

記者「なるほど、それを生中継しているということで。」

司会者「時間の方もあまりございませんので、ここで質疑応答に移らさせていただきたいと思います。一人ひとりの方のご質問をお受けしておりますと、時間の方も足りないと思いますので、誠に勝手ではございますけれども、時間をこちらの方で区切らせていただきたいと思います。では、これからですね5分間の間、質問等受けさせていただきたいと思います。」

一斉に質問を始める各記者。指名された一人の記者。

記者「はい!明菜さん。蒸し返しちゃって申し訳ないんですが、今思い返すと死のうと思った一番大きな原因は何だったんですか?近藤さんのことですとか、家族関係のことですとか、事務所とのことですとか言われましたが、ファンはその辺を一番心配していると思うんですよね。何だったんでしょうね。」

中森「えっと...本当に...この短い時間では言いようのない辛いことだったんですけれども。私が仕事をしていく上で、一番信頼していかなくちゃいけない人達を信頼することが出来なくなってしまったということです(吐息)。あとは短い時間では言えません。」

記者「仕事が一番の原因だったということですか?」

中森「はい、それをお話したいんだけれども、長くて伝えることが出来ないんです。」
金屏風のイメージ

金屏風のイメージ

記者「場所を選ぶ時には、まず近藤さんの部屋が思い浮かんだということですか?」

中森「はい、今になっては本当になんて愚かな、なんて馬鹿なって自分でも思います。というのはやっぱり一番自分が信頼が出来た、信用が出来た本当にたったひとりの人だったので。近藤さんのマンションに行ってしまって。そして、やっぱり一番最初に見つけて欲しかったなって思ったんですけど(涙声)、そんな一番大切な人をこんなに傷つけることになってしまって...どうしようもない馬鹿だと思います。」


記者「でも、明菜さんの思い通りに、一番最初に近藤さんが明菜さんを見つけてくれて、そしてまた今日へと導いてくれたのも近藤さんの力が大きかったと思うんですけれども。今近藤さんにはどういうお気持ちですか?」

中森「もう感謝の言葉を言い尽くしても足らないと思います。どんなことをしても償えないと思います。想像もつかない苦しみだったと思います。」

記者「この半年間、密に連絡をお二人取っていたんですか?」

中森「私はこんな迷惑を掛けてしまったものですから、私の方からはそんな我儘は通りませんから。でも、ちょくちょくと励ましのお電話をいただいたり、お手紙もいただきましたし、本当に皆付いてるから、あなたが元気になるのが皆が一番嬉しいことだし、皆が喜んでくれるし、一日も早く元気になることが皆への恩返しだから頑張りなさいということは...言われました。」

記者「身体の具合なんですが、傷がかなり深くて神経までいっていて、手が動かなくなっているんじゃないかという報道もあったんですが、その辺はどうなんですか?」

中森「私は小さい頃から体は弱かった方ですけれども、転んでも泣かないたちだったし、怪我は精神で治すのは結構得意な方だったんで、病院にいるときからお医者さんも回復力にはびっくりしてくださってました。ですから今はもう皆さんがご心配してくださるほど...全然元気です(笑顔を見せながら、左手を握って開くの動作を数回)。」

記者「近藤さんにお尋ねします。今まで色々報じられたりして、お二人一緒になるチャンスというのは無かったと思うんですが、こうしてファンの前にお二人揃って姿を現したわけですが、これから先もずっと明菜ちゃんの支えとなってあげようというお気持ちですか?」

近藤「もちろん、必要な時には僕でよければ色々なアドバイス、その他諸々。今日も記者会見に僕は出席する予定は最初無かったんですが、中森明菜ちゃんと社長の中山さんがわざわざうちまでご挨拶に来てくれまして、それだったら僕も一緒にということで出席させていただきました。」

(近藤の発言途中に中森は涙を見せ、すすり泣く)
報道用ビデオカメラのイメージ

報道用ビデオカメラのイメージ

司会者が記者会見を終了させようとアナウンスをするも、次々と質問を投げかける取材陣。

記者「結婚しようとか、婚約しようとかいう話はどうなってるんですか?お付き合い、半年継続してきたわけですよね?ですから年が明けたら婚約しようとか結婚しようとかいう詰めの話というのは?」

近藤「そういうことはあの全くないんですが、まあ須藤さん(質問した男性記者)にお話するとまた話がめちゃめちゃになっちゃいますんで、嘘ばっかり言われてしまいますので、今日は須藤さんの質問は避けるという心構えでこの席に出席しました、以上(会場からどっと笑い) 。」
マイクスタンドのイメージ

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