青葉学園の「山本操」の必殺技「大ボールスパイク」
テレビドラマ「金メダルへのターン!」(1970年7月6日)
テレビドラマ「金メダルへのターン!」(1970年7月6日)
豊島区の東京スイミングセンターを舞台にした作品(ドラマ本編においては「中央スイミングセンター」となっていた)。空中を飛んで全ての選手を追い越す「飛び魚ターン」や、津波を起こして両脇の選手を妨害する「ジェットターン」などの荒唐無稽な技が多数登場した。
(出典:Wikipedia「金メダルへのターン!」)
金メダルへのターン!のヒロイン「速水鮎子(千葉鮎子)」演:梅田智子
趣味はフェイシャルエステ、料理、水泳、英会話。
1970年代の中頃には、梅田 智美(うめだ ともみ)名義で芸能活動していた期間もある。
東宝ニュータレント8期生として東宝へ入社。同期生は、徳永礼子、牧とし子、木村由貴子、鈴木ひとみ、成川哲夫、関口昭子。
1968年、竜雷太主演の『でっかい青春』(日本テレビ)で、シリーズ後半、竜の役どころが市役所職員から高校の代用教員へ変更となり、その際、菊容子、大谷直、中沢治夫らと一緒にレギュラーの生徒役としてデビュー。
高い演技力で周囲を食ってしまうため、肉食魚ピラニアにちなんでピラと渾名される。初の主演級作品は『炎の青春』のバスケットボール部キャプテンの大村映子役だった。
当たり役は1970年の『金メダルへのターン!』での主役の速水鮎子役。東宝テレビ部所属女優として、主に東宝制作の映画・ドラマに多数出演。1970年には日本映画制作協会新人賞を受賞した。
1979年に『でっかい青春』や『炎の青春』などで共演した大谷直と結婚。出産の為に芸能界の一線から退き、3人の子どもを儲けた。
2004年、かつて『金メダルへのターン!』で姉妹役として共演した青木ひでみと共に剛たつひと作の舞台に出演し、25年ぶりに女優活動を再開した。
2007年には、恩師である高瀬昌弘監督のために夫婦で企画した舞台「掌一杯の温もり-親子戦争」では、実娘とも共演した。
(出典:Wikipedia「梅田智子」)
大阪万博が開催されていた70年7月、水泳をテーマにしたスポ根ドラマが始まった。梅田智子(63)がヒロインを演じた「金メダルへのターン!」(フジテレビ系)である。
「あの当時のプールは本当に水が冷たかったんです。真冬に撮影するとプールに氷が張っていて、そこに入っていくんですよ」
聞いているだけで身震いしそうだが、いかにも平然とこなしていそうなのが梅田の魅力だった。
少女マンガ誌に連載されていた物語の実写ドラマ化にあたり、学園モノで頭角を現していた梅田に白羽の矢が立った。当時では珍しい166センチの長身に、小5の時は学内の大会で優勝したという水泳のキャリアは、ヒロインの速水鮎子役にうってつけだった。
「オーディションとも聞かされず、所属していた東宝テレビ部の本社に来るように言われました。私、ふだんはロングヘアですけど、その日はショートのウイッグ(つけ毛)を着けていて、それが原作のイメージにピッタリだったみたいです」
速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」
いざ撮影が始まると、当時の多くのスポ根ドラマがそうであったように、荒唐無稽な設定が続々と登場。
その代名詞がターンで勢いよく空中にジャンプし、全ての選手を追い越す「飛び魚ターン」だ。
宙を舞った瞬間にスローモーションになり、別世界のような映像が展開された。
「トランポリンを使って、別スタジオで撮影したクロマキー合成と組み合わせます。プールでの撮影では、膝の近くまで水中から勢いよく飛び出すシーンを何回も撮りました」
当初は1クール13回の予定だった。それが20%を超す高視聴率で延長を重ね、65話も続いた。
ただし、原作の多くは1クールで消化してしまい、オリジナルの荒技が次々と登場する。ジェットスキーのような「ロケットターン」や、隣に渦潮を発生させる「渦巻きターン」などがあった。
「中でも大変だったのが『背面飛び魚ターン』ですね。プールは水深が120センチしかなく、そこで背中からトランポリンを使ってのターンですから、顔や臀部を打つことも多かった。幸い、大きなケガはなかったですけど」
速水鮎子(演:梅田智子)が世界新記録でミュンヘンオリンピック出場を決めたところで、ドラマは終了
(出典:Wikipedia「横山光輝と懐かし漫画窟:金メダルへのターン!」)
http://blogs.yahoo.co.jp/banbaban72/6410509.html
テレビドラマ『ワン・ツウ アタック!』(1971年4月3日)
テレビドラマ『ワン・ツウ アタック!』(1971年4月3日)、テレビドラマ「レッツ・ゴー ミュンヘン!」(1971年7月3日)
なお本項では、この続編となったテレビドラマ『レッツ・ゴー ミュンヘン!』(1971年7月3日~10月2日放送、全11話)についても解説。
放送時間は両番組とも、毎週土曜日20:00~20:55。
原作は両作品共に、日紡貝塚女子バレーボールチームに所属していた1964年に東京オリンピックの女子バレーボール代表選手として出場し、東洋の魔女と呼ばれた一人である谷田絹子と、小泉志津男との共著による著書『栄光へのスパイク』(ルック社・刊)。
主人公・伴久美子(愛称・バンビ)は、東都高校卒業後にジャガー工業バレーボール部監督の松岡にスカウトされる形でジャガー工業に入社。松岡率いるチームに入り、背の低さを克服すべく努力を重ねていく。
1971年7月3日からは、ミュンヘンオリンピックでの栄冠を目指すというストーリーを前面に打ち出し『レッツ・ゴー ミュンヘン!』と改題、太洋紡、武蔵大和など多くのライバルチームと対戦する全日本リーグ戦がドラマの中心の一つとなる。
(出典:Wikipedia「ワン・ツウ アタック!」)
ワン・ツウ アタック!の主人公「伴久美子(通称:バンビ)」(演:大田黒久美)
北鎌倉高校卒業。
1969年、内藤洋子主演の映画『華麗なる闘い』の縫い子役募集のオーディションを受け、最終選考まで残る。オーディションの優勝者は、山田はるみだったが、最終選考に残った7人でファニー・セブン(桐生かほる、皆川妙子、坂本千桃、萩元克子、徳峰真理、中沢直子らがいた)として同映画に出演することになり本名の大田黒美波名義でデビューする。
1969年、東宝へ入社。翌1970年、東宝テレビ部に移籍し、テレビドラマを中心に活躍する。
1971年、東京12チャンネルの『ワン・ツウ・アタック!』で主役に抜擢され、芸名を本名の美波から久美に改める。1972年から始まった青春学園ドラマ『飛び出せ!青春』では石橋正次演じる高木勇作のガールフレンド・生田みどり役として出演。青木英美演じる森下真樹と共に人気を得る。
24歳で結婚し、長男の出産に際して、芸能活動を一時休止。その後復帰して活動していたが、次男の出産を期に芸能界を引退した。
2005年1月に『飛び出せ!青春』で共演していた剛たつひとに引っ張り出され、舞台『晴れたらいいね 第二章』(内幸町ホール)に女社長役で出演した。
なお、姓の大田黒は「大」であり、たまにクレジットで「太」の太田黒久美と表記されることがあったが、これは誤りである。
(出典:Wikipedia「大田黒久美」)
千葉代表、青葉学園のキャプテン。180センチの長身。ベスト12に選ばれた際はインターハイの事だけを考え白河、東南の飛垣と秋月と4人組となり全く練習をせず韓国との親善試合では韓国チームにマークされるが、こずえが手首を痛めてまで試合に出たことに心を打たれ、こずえがドクターストップした後に得意のスパイクで日本チームを勝利に導いた。
翌年のインターハイでは予選落ちし白河とケンカするが後に和解。その次のインターハイでは相手のチームをケガ人で続出させるほどの破壊力を持った大ボールスパイクを武器に決勝まで進むが富士見に敗れた。レシーブが苦手。
原作では東都学園バレー部で本郷先生によって力を見出されるが自分に自信がつきバレーの鬼と化しスポーツ校の青葉学園に転校するという設定で顔も全く異なる。平成コミックでは和田アキ子を思わせる短髪の顔で登場した。ちなみに原作では名前は「和代」である。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)