明石家さんま 若手極貧時代
2022年5月3日 更新

明石家さんま 若手極貧時代

玄関はダイヤル鍵。解錠番号は「113(よいさんま)」風呂ナシ、WCナシ、照明も漏電で壊れてナシ。テレビは全チャンネル、砂嵐。ビールケースを並べてベニヤ板を置いたベッド。ガラスがなくビニール袋を貼りつけた窓。兵庫県西宮市のそんな部屋にお笑い怪獣は生息していた。

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横中バックケース解散後、のりおは上方よしおと「西川のりお・上方よしお」を結成。
しかしこのときも一悶着があった。
上方よしおは、2代目「B&B」としてNHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞するなど超売れっ子だったが、相方の島田洋七と大ゲンカして解散。
そのとき
「よしおは芸能界を引退する」
と受け取っていた島田洋七の師匠、今喜多代は、西川のりお・上方よしおの結成を知ると
「筋を通してない」
と激怒。
西川きよしと上方よしおの師匠、上方柳太が仲に立ってやっとコンビを組むことを許された。
のりおにコンビ結成を知らされたさんまは
「次は仲良うやってくださいよ」
といった。
暇なとき、2人は昼間からコーヒー1杯で喫茶店に4、5時間居座り
「さんま、もっと売れたいなあ」
「売れたいですね」
「今はこんなんやけど将来は俺が全国ネットの番組の司会してお前はパネラーや」
「そうでんなあ、兄さん」
と将来の夢を語り合い、夕方になると「パトロール」に出て、女の子に声をかけた。
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西川のりおの実家は自転車屋を営んでいた。
さんまはその店舗兼住宅をみて
「大きなビルとビルに挟まれて、エンピツみたいなビルやな。
よう建てたな」
と思いながらも、よく泊めてもらっていた。
3歳上の先輩、ぼんちおさむの家にも泊まったことがあったが、夜中、おさむが何度も、頭を叩いて舌で音を鳴らす練習や、
「オッ、オッッッおさむちゃんで~す!」
の練習をして、顔を真っ赤にしてジャンプしまくるため、まったく寝られなかった。
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