このモサモサ頭は金城さんでまちがいないでしょう!
ウルトラマンの文芸は金城さんがいてこそでしたよね。早世されたのが残念です。
ウルトラマンの文芸は金城さんがいてこそでしたよね。早世されたのが残念です。
⑤「キャメラマンさん」佐川和夫
佐川 和夫(さがわ かずお、1939年10月29日 - )は、日本の特撮監督。
日本大学藝術学部卒業。在学中に円谷プロダクションに出入りし、円谷英二に師事する。卒業後東宝特殊技術課を経て、円谷プロダクションに入社。
『ウルトラQ』で撮影助手として始動、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』でキャメラマンを務めた後、『マイティジャック』の第4話「祖国よ永遠なれ!!」で特技監督デビュー。『帰ってきたウルトラマン』の第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」で初めてウルトラシリーズの特撮監督を務めた
その後、様々な円谷作品に関わった後、1977年にフリー。(wikipediaより)
日本大学藝術学部卒業。在学中に円谷プロダクションに出入りし、円谷英二に師事する。卒業後東宝特殊技術課を経て、円谷プロダクションに入社。
『ウルトラQ』で撮影助手として始動、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』でキャメラマンを務めた後、『マイティジャック』の第4話「祖国よ永遠なれ!!」で特技監督デビュー。『帰ってきたウルトラマン』の第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」で初めてウルトラシリーズの特撮監督を務めた
その後、様々な円谷作品に関わった後、1977年にフリー。(wikipediaより)
高野さん、後姿しか描かれてませんが、初期の頃から関っていたので高野さんだと思われます。
今見ると錚々たるメンバーですが、当時はみなさん20~30代なのです。作品に情熱があるのがよくわかりますよね。
さて、デンさんはまだ監督を探しています。
さて、デンさんはまだ監督を探しています。
佐川さんの当時の画像が見つかりませんでしたが、略歴からみると佐川さんだと思います。
造形・模型
デンさんは「造詣・模型」の部署に来ました。
「ぞうけいさん」造形・高山良策
高山 良策(たかやま りょうさく、1917年3月11日 - 1982年7月27日)は山梨県西桂町出身の画家、怪獣などのぬいぐるみ(着ぐるみ)、造形物製作者。特に初期のウルトラシリーズでの、成田亨デザインによる怪獣造形は評価されており、「怪獣の父」と呼ばれる。
1965年円谷プロ製作の『ウルトラQ』に参加。製作第14話より怪獣・宇宙人の着ぐるみ製作を担当。成田の秀逸なデザインもあり、現在でも、強烈な印象を与える造形となる。
1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当。「毎週の怪獣造形」という過酷なスケジュールの中、独特の存在感のあふれる怪獣を作り続ける。(wikipediaより)
1965年円谷プロ製作の『ウルトラQ』に参加。製作第14話より怪獣・宇宙人の着ぐるみ製作を担当。成田の秀逸なデザインもあり、現在でも、強烈な印象を与える造形となる。
1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当。「毎週の怪獣造形」という過酷なスケジュールの中、独特の存在感のあふれる怪獣を作り続ける。(wikipediaより)
それからおはなしは「操演」「特撮プール」「ジェットビートルのセット撮影」「科特隊のセット撮影」「スクリーン合成撮影」と続きます。
デンさんはまだ円谷監督を探しています。
デンさんはまだ円谷監督を探しています。
特撮ステージ!
いよいよ 特撮ステージです。
美術スタッフさんがミニチュアを作っています。
美術スタッフさんがミニチュアを作っています。
デンさん、やっと円谷監督を見つけたようです。
神戸市で生まれ、幼少期より父方の故郷である青森市にて育つ[1]。漫画家の成田美名子は従兄弟の娘にあたる。
1954年、美術学校卒業後、『ゴジラ』にアルバイトとして参加。
1965年春、円谷特技プロダクションの契約社員となり、特撮テレビ映画『ウルトラQ』(1966年、TBS)の第2クールから美術監督を務める。続く『ウルトラマン』(1966年、TBS)、『ウルトラセブン』(1967年、TBS)、『マイティジャック』(1968年、フジテレビ)でも、怪獣やレギュラーメカのデザインを手がけた。
(wikipediaより)