1966年の円谷プロにタイムトリップ!
2015年1月に「ウルトラマンをつくったひとたち」という絵本が出版されたのをご存じですか?
発行されたのは2015年。50周年を目前に控えての出版です。ちなみに、今回ご紹介する絵本の画像はすべて筆者の所有物を撮影したものであることをご了承ください。
見開きは赤!
出版の世界では、表紙を開いた「見開き」のページにも意味があります。いわば舞台の幕のようなもの。これからお話が始まるよ!という意味を持たせています。
そして、この「ウルトラマンをつくったひとたち」の見開きは真っ赤です。
そして、この「ウルトラマンをつくったひとたち」の見開きは真っ赤です。
とびらからお話がはじまります。
ここでピンとくる方もいらっしゃるでしょう。「デンさん」ってもしかして…
昭和キッズならわかる!この人はあの人…
この場面ですが、絵本では「かんとくさん」「きゃくほんかさん」…とだけ書かれていますが…おそらく実在された方々であると思われます。
筆者が推測してみました。
筆者が推測してみました。
実在の人物をご紹介しましょう。絵本の絵と似てませんか?
①「かんとくさん」監督・野長瀬三摩地
野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日] - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。
幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。
1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。
1964年、東宝テレビ部に移り、テレビ監督に転身。
東宝で偶然再会した円谷英二に誘われて円谷プロダクションの『ウルトラQ』に監督として参加。以降、特撮番組に携わり、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの初期のウルトラシリーズでは多数のエピソードを監督、南川 竜(もしくは南川 龍)名義で脚本も執筆(中には自身が監督。(wikipediaより)
幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。
1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。
1964年、東宝テレビ部に移り、テレビ監督に転身。
東宝で偶然再会した円谷英二に誘われて円谷プロダクションの『ウルトラQ』に監督として参加。以降、特撮番組に携わり、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの初期のウルトラシリーズでは多数のエピソードを監督、南川 竜(もしくは南川 龍)名義で脚本も執筆(中には自身が監督。(wikipediaより)
野長瀬監督は第4話、第6話、第7話、第9話、第18話、第19話、第28話、第29話を担当されています!
正確には「ウルトラマン」の時期に円谷一さんは監督であってプロデューサーではないのですが、このイラストの絵は一さんに似てるんですよね。後ほどご紹介する英二監督にも似てますし…。
実質的に一さんは1970年にプロデューサーになっていますが、わかりやすくここで一さんを出したのかな?と思うのですが。
実質的に一さんは1970年にプロデューサーになっていますが、わかりやすくここで一さんを出したのかな?と思うのですが。
発行/1015年1月 初版第一刷
出版社/偕成社
監修/円谷プロダクション
※筆者の所有品です。