武双山!父にシゴかれ相撲版「巨人の星」と呼ばれた小学校時代。朝食は畳2畳分!?
2017年2月17日 更新

武双山!父にシゴかれ相撲版「巨人の星」と呼ばれた小学校時代。朝食は畳2畳分!?

スピード出世から「平成の怪物」との異名を取った武双山。左肩の脱臼癖から期待された横綱昇進は叶わなかったが、変化を一切しないガチンコ相撲にファンは惹きつけられた。相撲版「巨人の星」と呼ばれた猛特訓の小学校時代も特集する。

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「平成の怪物」武双山

1993年1月場所に初土俵を踏むと、2場所連続7戦全勝で十両に昇進。
その十両も2場所で通過し、1993年9月には新入幕。昇進が早すぎて大銀杏が結えず、この時はまだ丁髷で本場所に出場していた。

そのスピード出世から「平成の怪物」との異名を取り、将来の大関、横綱候補に名乗り出た。
同時に同い年(学年は一つ下)の貴ノ花(当時、のち貴乃花)や外国出身初の横綱・曙らのライバルに成り得る存在として期待された。
武双山

武双山

1994年9月場所では、当時大関だった貴ノ花と最後まで優勝を争い、13勝2敗の優勝次点となった。
大関取りへの期待が膨らんだが、場所前左肩の亜脱臼のケガによる稽古不足が影響して、7勝8敗と初の負け越しとなってしまう。
また、この左肩の故障が現役中の武双山を常に苦しませることとなる。
手形

手形

1995年1月場所は小結で迎えた。初日に新横綱となった貴乃花を下し、連勝記録を30で止める殊勲の星を挙げた。
しかし、6日目の貴闘力戦でまたも左肩を脱臼してしまい、途中休場に追い込まれた。

その後も左肩脱臼の再発に悩まされ、さらに足の親指の負傷など怪我が重なり、大関候補と言われながら6年もの間伸び悩んでいく。

それでも、1996年3月場所には関脇の地位で12勝の好成績を残し、受賞者自体1年ぶりとなる技能賞を獲得するなど存在感は示した。

幕内初優勝!大関昇進!!関脇陥落・・・再昇進!!!

2000年1月場所では、千秋楽に魁皇(当時関脇)を下して13勝2敗、関脇の地位で念願の幕内初優勝。そして翌3月場所でも12勝3敗の好成績を残し、ようやく遅咲きの大関昇進を果たすことになった。

伝達式での口上は「謹んでお受けいたします。大関として常に正々堂々、相撲道に徹します」だった。

しかし、新大関で迎えた5月場所を腰椎椎間板障害で全休。大関角番で臨んだ7月場所は4勝11敗と大きく負け越し、大関在位わずか2場所で関脇に陥落。現在の制度での最短在位という不名誉な記録を残した。

それでも関脇に陥落した直後の9月場所で、千秋楽に勝利して10勝5敗、大関特例復帰規定に達して1場所で大関に返り咲いた。奇しくも師匠の武蔵川(元横綱・三重ノ海)も大関から関脇陥落後に、1場所で大関復帰を経験している。
「大相撲カードレジェンド 至宝」武双山

「大相撲カードレジェンド 至宝」武双山

1999年に大関になった力士に千代大海がいる。武双山との取り組みは、互いが大関となる以前から壮絶な突っ張り合戦になる事が多く、意地と意地がぶつかり合う名勝負と言われた。
最終的な幕内対戦成績は、武双山の14勝10敗(内、1不戦敗)だった。
千代大海

千代大海

武双山vs千代大海 (平成10年七月場所)

現役引退

2001年3月場所には大関・魁皇らと優勝を争い、千秋楽に魁皇に敗れたものの12勝3敗の優勝次点という好成績を残した。
しかし、以降は大関の地位を保つのがやっとの成績で、大関角番を繰り返した。その原因はやはり左肩の脱臼が大きく影響し、素質をもってすれば横綱への昇進も夢ではなかったが、ついに果たすことはできなかった。

そして、2004年11月場所に引退する。この場所は初日から3連敗するなど、本来の力を発揮できず、大関の地位で現役を引退した。
2004年頃。4度目のかど番を迎えた武双山

2004年頃。4度目のかど番を迎えた武双山

父・尾曽正士によるスパルタ指導は相撲版「巨人の星」と呼ばれた!

父親の尾曽正人は、茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所であり、アマチュア選手として国体に10回以上出場した経験を持っていた。

小学4年生の時、父に「相撲を教えてほしい」と頼んだことから、厳しい特訓の日々が始まった。
父は息子の熱意を確かめるべく「腕立て伏せ30回毎日やり通したら教えてやる」と条件を出し、1か月やり通した息子に指導を行うことを決めたという。
武双山

武双山

「水戸尾曽相撲道場」では柔軟体操から始まり、腕立て伏せ、四股踏み、バスケットボールの中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱え200回の屈伸運動、すり足で200m、そして四股を踏んだ体制でのうさぎ跳び。

朝稽古が終わった後の6時半には例として牛乳2本、野菜ジュース、チーズ4個、目玉焼き2個、ステーキ2枚、焼き魚たっぷり、生野菜とおひたしをボウルで山盛り、ご飯2膳という食事を父が自ら作って用意。大げさに”畳二畳分”とも言われる量を食べきらなければ学校に行くことは許されなかった。

また、昼食も父が用意した二段重ねの特大弁当を持たされた。さらにそればかりかカルシウム補充の目的でポケットには煮干しもねじこまれたという。食事を食べ終わるのが1時間かかるため、集団登校には間に合わず、いつも1人で登校した。

そして、夕方4時半からは実際に廻しをつけ、自宅の庭に用意された土俵に上がっての稽古を行い、仕上げにタイヤを積み重ねた重さ100kgの「ぶちかましマシーン」を6m動かす稽古を30往復課された。
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