セリエAでマラドーナとコンビを組んだカレカが柏レイソルにやってきた!
2016年11月25日 更新

セリエAでマラドーナとコンビを組んだカレカが柏レイソルにやってきた!

柏レイソルをJリーグへ昇格させた立役者カレカ。ブラジル代表での活躍。セリエAナポリでのカレカはマラドーナと「世界最高の2トップ」を形成した。柏レイソル昇格決定直後に「Jリーグ!」と叫んだ有名なシーンもご紹介!

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マラドーナと世界最高の2トップを形成したカレカ!

本名 アントニオ・ジ・オリヴェイラ・フィーリョ。通称カレカ。
ブラジルの元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。

1960年10月5日生まれ。ブラジル・サンパウロ州出身。
身長179cm、体重75kg。利き足は右。
ブラジル代表時代

ブラジル代表時代

母国のクラブでキャリアをスタートさせた彼は、その後名門のサンパウロへと移籍すると結果を残し、ブラジル代表にも選出されエースとして活躍しました。

そして欧州挑戦のクラブとしてイタリアのナポリを選び、マラドーナとのコンビで得点を量産して、リーグ優勝やUEFAカップ制覇に大きく貢献しました。
ナポリ時代

ナポリ時代

カレカ(左)、マラドーナ(右)、ジョルダーノ(右)

カレカ(左)、マラドーナ(右)、ジョルダーノ(右)

カレカとマラドーナの2トップは世界最高と称された。
また、ジョルダーノを加えた強力攻撃陣は、三人の頭文字を取って「MaGiCa(マジカ」とも言われていた。
1993年、当時JFLに所属していた柏レイソルに入団。Jリーグ昇格に貢献した。1996年まで在籍。
Jリーグでの登録名はカレカだが、それ以前にはカレッカと表記される場合が多かった。

その後、母国ブラジルのサントスFC等を経て、1999年に現役引退。
柏レイソル時代

柏レイソル時代

柏レイソルをJリーグの舞台に導いた立役者カレカ!

1993年、当時セリエAの強豪として知られたナポリからカレカが、柏レイソルに移籍するというニュースは、特にJリーグ開幕前からのサッカーファンに衝撃を与えた。
ナポリとブラジル代表で活躍していた大物の移籍は話題だった。

そしてまた、カレカは柏レイソル移籍後も期待に応えた。
1994年の10月23日、JFL最終節でNTT関東サッカー部に勝利したことで2位が確定。チームはJリーグ昇格を決めた。
カレカはこの最終節のゴールを決めた他、チーム最多の19得点を挙げた。
昇格を決めた試合終了後のインタビューで「Jリーグ!」と叫んだことは有名。

Jリーグでは95、96年に35試合12得点。

JFL最終節 NTT関東 vs 柏レイソル Carecaインタビュー - YouTube

0:55~ コーナーキックのこぼれ球をカレカが食らいつきゴール!
3:32~ 有名な「Jリーグ!」と叫ぶインタビューシーン

カレカが柏レイソル時代を振り返ったコメント

93年に加入した時はJFLでJリーグ昇格に失敗。契約ではJリーグで戦うはずだったし、ブラジルにレンタル移籍で戻ることも可能だった。
でも、一度始めたことを途中で放り出すなんてできない。みんなとJFLで戦うことを決めたんだ。

当時は仕事とかけ持ちの選手もいた。「中途半端では勝てない」と(プロ契約の)リスクを取るか自分で選ぶべきだと進言し、少しずつプロ選手を増やすことから始まった。

用具係もいないからユニホームを洗濯機で洗って、スパイクを手入れしたり…。練習着もばらばら。「これではプロ意識が持てない」とそろえてもらった。

日本人選手には負けた時の悔しさが足りないとも思った。メンタリティーがプロになっていないと。そういうことを彼らと話し、次第に変わっていったんだ。
柏レイソルを牽引したカレカ

柏レイソルを牽引したカレカ

FW・カレカのプレースタイル

カレッカは、歴代のブラジル代表だけでなく、世界を見渡しても非常に稀なオールマイティーな能力を備えていた。

ブラジル人らしく、足下のテクニックは完璧の上を行き、シュートは豪快かつ繊細、パスもトラップもなんでもござれだった。
フィジカルも猛々しく、体の使い方も上手く、さすがにマラドーナとコンビを組んでいただけのことはあるといった感じだ。

サッカー SERIEA カレカ - YouTube

細かいボールタッチと迷いのないシュートがカレカらしい!
一昔前のドイツ人FWのような力強さと勝負強さをも兼ね備えた万能型ストライカー。
ブラジルサッカー史上、屈指の点取屋である。

(カレカ)Jクロニクルベスト:1995ベストゴール - YouTube

遊び心に溢れ、GKをあざ笑うかのようなゴール!
1982年にブラジル代表デビュー。
同年のワールドカップには怪我の影響で出場が叶わず、チームも優勝を逃した。
ジーコらで形成された「黄金のカルテット」からのパスを受けるFWにカレカがいれば優勝していたとも言われた。
その位決定力のあるFWだった。

代表通算62試合29ゴール。
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